28:「最後の一個」
家族と夕食を食べるのは好きだった。
塾や学校であったことを話したり、取り留めのない話をしたり、楽しかった。
でも、いつも僕ばかり喋っていた。
兄や両親は聞き役に回って、自分のことはあまり話さなかった。
あの日も、そうだった。
夕食が終わっても大皿の上には、みんなが大好きなアスパラのベーコン巻きが一個だけ残っている。
僕はそれが食べたいけど、最後の一個だからためらった。
母はもう、食後のお茶をいれている。
父は明日の予定なんか話している。
いつも通りの顔だった。
兄は宿題を気にしている。
それなら、いいんじゃないか。
「食べないの?」
みんなが一斉に僕を見つめる。
僕は気まずくなった。
「食べないわけじゃないのよ」
「もちろん、食べたくないわけじゃない」
「本当は食べたいの?」
「いや……」
父が言葉を濁すと、兄が口を挟んだ。
「おまえは食べたいんだな?」
「うん」
「いや、でもな……」
兄が悩みだし、本当は食べたいのかと思った。
これ以上待っていたら冷めるし、ベーコンが固くなってしまう。
それに母のアスパラのベーコン巻きは、とてもおいしいのだ。
僕は欲に勝てなかった。
「頂きます」
「あっ……!」
兄が僕の腕を掴む。
びっくりして兄を見ると、険しい顔をしている。
「翔太は何もわかってないのね」
母が泣いたら、僕の胸が痛くなった。
「ごめんなさい。僕は食べないよ」
謝ったが、母は泣きやまない。
父に連れられて廊下に出る。
「父さん、どうして母さんは泣いてるの?」
「母さんの好きにさせてあげなさい」
「なんで?」
食堂から母の大声が聞こえた。
「天使様、お許しください! 翔太は悪くない。悪いのは私なんです!」
「母さん」
かけてやれる言葉なんて、見つからなかった。
あの日以来、母は夕食の最後に必ず一品を残すようになった。
それを食べる者はいない。
母は食卓を片付ける前に、それだけを皿に乗せて自分の部屋へ運んだ。
「母さん、それ何?」
「天使様へのお供えよ」
そう答える母の声だけは、昔と変わらなかった。
僕と兄は実家から飛行機でしか行けない距離の大学に進学するために猛勉強した。
ただ、父は最後まで母を責めなかった。
離婚もしなかった。
あの家を出たのは、僕と兄だけだった。
僕は大学で彼女ができて、お昼に手作り弁当をもらうことが増えた。
弁当箱の隅に、アスパラのベーコン巻きが入っていた。
箸で摘んだ瞬間、あの日の食卓が蘇った。
僕が最後の一個を食べようとしただけで母は泣き、兄は僕の腕を掴み、父は何も教えてくれなかった。
あの時の僕には、何が悪かったのかわからなかった。
今ならわかる。
僕はただ、家族が作った「温かい家庭」のいう幻想を、最後の一個と一緒に食べてしまったのだ。




