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19:「言えなかった一言」



 今日こそ言うんだと思い続けて十年経った。

 俺たちは、海がよく見える展望台で待ち合わせた。


「よう、葉山」


「……及川」


「元気そうでよかった」


 及川はたぶん、笑っている。

 でも、顔に目も鼻も口も眉もない。

 のっぺらぼうの怪談を思い出したが、悲鳴をあげて逃げるわけにはいかなかった。

 どうしても言いたいことがある。


「真里ちゃんは元気か?」


「二十代なのにNISAに注ぎ込みすぎて、逆に貧乏になっている」


「それなら、イライラしているだろうな」


「そう。正直言って近づきたくない」


 共通の友人の話題で場を温めれば、スムーズにあのことが言えるはずだった。


「なあ、及川……」


 けれど、のっぺらぼうの顔を見た瞬間、口が凍り付いたように動かなくなった。

 誤魔化すように、ペットボトルのジュースを飲む。

 少しぬるくなっていた。


「沙都子ちゃんは今、オーストラリアだっけ?」


「うん。夢のためにバイトしまくったの、すごいよな」


 言わなきゃ。

 そう思うほど、喉が狭くなる。


「なんでオレを呼んだの?」


 不意に核心を突かれ、心臓が跳ねた。


「い、いや……」


 及川は答えを待っている。

 俺はペットボトルを握り締めた。

 ボトルが、ミシッと小さく鳴る。


「あのな、俺……」


 喉の奥から声を絞り出す。


「おまえ、あの日に――」


 ピピピピピピ!

 携帯電話の着信音が、静かな展望台に響き渡った。


「及川です。……ああ、急患ですか」


 終わった。

 ただでさえ忙しい及川を捕まえるのに、半年もかかったのに。


「済まない。病院に呼び戻された」


「いいって。早く行きな」


「埋め合わせはするから」


 そう言って、及川は駅の方角へ走っていった。

 一人になった俺は、海を眺めながら呟いた。


「言えなかった……」


 及川の顔がのっぺらぼうなのは、少し怖い。

 でも、それは重要な問題じゃない。

 本当の問題は、俺が言うべきことを十年間言えないままでいることだ。

 潮風が吹き抜ける。

 十年前、及川は医学部に受かるような成績じゃなかった。

 それなのに、なぜか合格した。

 俺は知っている。

 あの日、及川の顔には、ちゃんと目も鼻も口も眉もあった。

 もしかすると、顔を失った代わりに医者になれたのかもしれない。

 そんな馬鹿げた想像をしてしまう。

 そして、あののっぺらぼうの顔を見る度に、俺は十年前のことを思い出す。

 だから、今日も聞けなかった。

 ――おまえ、あの日に何をしたんだ?


 

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― 新着の感想 ―
これまでの話で一番好きです。 自分だけがそう見ているのか、皆違和感を感じなくなってしまったのか。 いろいろ想像させられます。
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