17:「失われた一部分」
朝起きた時間から、胸の奥がざわついていた。
何かが足りない。
私はそれがなんなのか確かめるため、家の中を見回った。
台所から母の鼻歌が聞こえてくる。
味噌汁の匂いがする。今日は和食らしい。
庭では、父が植木に水をやっている。晴れた朝に必ずする習慣だ。
弟は宿題を忘れたと騒ぎ、妹が呆れた顔でそれを見ている。
窓からは隣家も見えている。
階段から下りれば、木の階段が軋む。
床に目を落とせば、自分の影がある。
ダイニングに入ると、家族が「おはよう」と声をかけてきた。
いつもと同じ朝だった。
食卓を囲み、取り留めのない話をしながら朝食を食べる。
「私も学校に行かなきゃ」
立ち上がった時、ふと天井を見上げた。
天井がなかった。
その向こうに青空が広がっている。
そして、空から巨大な顔がこちらを覗きこんだ。
「きゃああっ!」
私はテーブルの下に潜り込んだ。
なのに、家族は誰一人としめ慌てない。
「大丈夫だよ、姉ちゃん」
「え……?」
弟が不思議そうに私を見る。
「あの人たちは僕たちの持ち主だよ」
「な、何を言ってるの?」
巨大な少女が手を伸ばした。
弟の体が、ひょいと持ち上げられる。
「やめて!」
叫ぶ私をよそに、少女は弟を学生服に着替えさせ、靴を履かせ、鞄まで持たせた。
弟は抵抗しない。
妹も、母も、父も同じだった。
やがて巨大な手がテーブルの下に入り込み、私の体を掴む。
「嫌っ!」
必死に暴れ、噛みつこうとして口を開く。
舌に触れたのは、歯のない歯茎だった。
「……え?」
そのまま私は、フリルとリボンだらけのアイドル衣装に着替えさせられた。
少女は嬉しそうに私を掲げる。
「ミラクル·カナちゃん! ハートフルステージ、オンライブ!」
声を出そうとしても、声が出ない。
私はステージへ運ばれ、少女の下手な歌に合わせて体を動かされた。
始まりと同じように、終わりも唐突だった。
「美芽愛ちゃん、お人形さんたちをおうちに帰してあげなさい」
「はーい」
私たちはひとまとめにされ、天井のない家へ戻された。
巨大な少女がいなくなると、私は叫んだ。
「なんなのよ、あいつ!」
弟が呆れたように言う。
「姉ちゃんこそ、自覚しろよ」
「何を?」
「あたしたちはおもちゃなのよ」
目の前が真っ暗になった。
「自分が人間だと錯覚していたのよね」
母が優しく言う。
「人形には魂が宿るって言うから」
父が続ける。
「でも、あまりなりきりすぎない方がいいよ」
私は頷くしかなった。
それから私は、何も考えないようになった。
私は人間ではない。
そう思っている間だけ、持ち主の遊びは怖くなかった。
朝起きても、何かが足りないとは思わない。
もう、自分が人間だと思い込むこともない。
消えたのは、私が人間だという思い込みだった。




