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2 皇帝陛下殺害

 ここはどこだ? オレは生きているのか? もしかして元の世界に戻ったのか。そもそも今までのはすべて夢で、起きたら自室のベッドの上かもしれない。


 目を開けた一心はがばっと上半身を起こした。

「あるのか、ないのか、どっち!」

 すぐに両手を自分の胸にあてた。そして、がくりと首を垂れる。

 期待は大外れだ。元の世界に戻っていなかった。

「凜嬪さまが目を覚ましました! 誰か侍医を、侍医を呼んで、早く!」

「姉姉ぇー、心配しました。うわー」


 ベッドの側にいた林杏が侍医を呼べと叫び、詩夏は泣きながら胸に飛び込んできた。

「凜嬪さま、喉は渇いておりませんか? 丸二日も眠ってらっしゃったのですよ」

 林杏も目に涙を浮かべながら、水の入った腕を差し出してきた。

 一心は無言でそれを受け取る。

「ゆっくり飲んでくださいまし、凜嬪さま」

 水を喉に流し込み、空になった腕を林杏に手渡す。そして、立て膝をつきながら、胸の中で泣きじゃくっている詩夏の頭を撫で、今みた夢を思い出す。


 そうだったのか。燕鶯が船から落ちた理由は、そういうことだったのか。

 船から落ちるなんて鈍くさい奴だと思っていたが、あいつも命を狙われていた。自分の妻、それも正妻とその一族に。


 燕鶯を殺そうとした皇后の姿を李凜花は見てしまった。それゆえ皇后は凜花を殺そうとした。これで納得がいく。

 燕鶯は自分を殺そうとした相手が皇后だと知っているのか。

 ふと、外が騒がしいことに気づく。

「何ごとです!」

 林杏が叱りつけると同時に、数十名の兵士が部屋になだれ込んできた。皆、剣を手に怖い顔で入り口を塞いでずらりと並ぶ。

「皇帝陛下殺害の罪で凜嬪を捕らえる」

「ああ?」

 一心の口から素っ頓狂な声がもれる。


「何を言ってるの? 姉姉が陛下を殺すはずがないでしょう!」

 詩夏が両腕を広げ、兵士たちから一心を守ろうとする。

「凜嬪さまは、まだ体調が万全ではないのです!」

 林杏も侍衛の腕にしがみつき、兵士たちを凜嬪に近づけさせまいと抗う。

「どけ。邪魔をする者は斬る!」

 兵たちは林杏を蹴り、さらに、詩夏の腕を掴んで床に突き飛ばす。

「おまえら! か弱い女性に乱暴をするな。林杏、詩夏、下がっていろ!」

 一心は腕を広げ、林杏と詩夏を兵士たちからかばう。


「この者たちも企みに加担しているはず。慎刑司に連れて行き拷問にかけ、あらいざらい白状させなさい」

 冷えた声が響いた。兵士たちがさっと両脇にそれる。現れたのは皇后であった。

 一心は皇后を睨みつける。

「皇帝陛下殺害って、どういうつもりだ」

「おまえは、陛下にお出しする食事に毒を入れ、陛下殺害を企んだ。おまえが作った鍋の中身から毒が発見されている。言い逃れはできないわよ」

「姉姉は毒など入れていません。それに、鍋は姉姉も口にするものでした。毒が入っていると知っていたら味見なんかしませんよね? 姉姉は毒で倒れたのですよ!」

 一心の後ろで詩夏が叫ぶ。皇后はにたりと笑った。


「わざと自分で毒を食したのだとしたら? 自分も被害者だと周りに思わせるために」

「死を覚悟で毒を食らったと? あり得ないだろ!」

「後宮ではありがちな手よ」

「それに、どうして私が燕鶯を殺そうとしなければならない。あいつに恨みがあるわけでもないのに」

「おまえはことごとく陛下の夜伽を拒絶した。後宮の女が陛下の寵愛を拒むなどあり得ないこと。それはつまり、他に思う男がいるからであろう。その男と添い遂げるため、陛下を殺害しようと企んだ」


 アホくさ。そんなばかなことがあるか。言いがかりもいいところだ。


 捕らえるためなら理由など何でもいいのだ。つまり、自分も寧貴妃と同じく皇后にはめられたというわけだ。

 皇后は兵士たちに目で合図する。

「詳しい話は慎刑司で聞こう」

 一心はぎりっと奥歯を噛む。

 慎刑司とやらがどういう場所か知らないが、おそらくそこに行ったら最後、二度と戻って来られないかもしれない。間違いなく殺される。林杏も詩夏を巻き込んでしまう。

「離せ、冗談じゃない!」

 捕らえようとする兵士から逃れようと一心は必死に抵抗して暴れる。だが、相手は訓練された衛兵。人数も多い。そして、自分の体はか弱い女性。力ではかなわない。


 くそ、これだけの人数じゃ抵抗できない。


 込み上げる怒りと悔しさに一心は皇后を睨みつける。相手の嘲笑う顔が心底憎らしい。

 詩夏と林杏が侍衛に引きずられていく。

 ふと、一心の耳に琵琶の音が聞こえた。

 小茜の琵琶だ。それも近い。


 助けが来る! もう少しこの場を持ちこたえれば何とかなる!


 詩夏が連れて行かれるのを止めるため、一心は兵士の足元にしがみつく。足にがっちりと腕を回してきたところに蹴りが入った。一心の体が後方へと転がる。

 まともに脇腹に蹴りが入り、一心はその場で呻いた。

「皇帝陛下のおなり」

 孫旺千の声とともに、駆け込むように燕鶯が月明宮にやって来た。皇后を始め、皆が膝を曲げて挨拶をしようとするのを、燕鶯は手を振って止めた。

「これはどういうことだ。皇后、説明しろ」

「凜嬪は陛下を殺そうとした疑いがあります。慎刑司に連れて行き、詳しいことを聞こうとしただけですわ」

「何を言う。そんなばかなことがあるか!」


 まったくだぜ!


 皇后は口角をつり上げて嗤った。

「陛下、後宮内での揉め事は、皇后である私に任せてくださらないと」

 後宮の主は皇后である私。たとえ陛下といえども口を挟むなと言っているのだ。ここで燕鶯が凜嬪を庇おうとすると、皇后の立場を潰すことになる。それはつまり皇后の背後にいる勢力をも敵に回すことになる。朝廷が荒れる。

 まるで勝ち誇ったような笑みを皇后は浮かべていた。


「さあ、早く凜嬪を連れて行きなさい」

 皇后の命令に再び兵士たちが動く。

「待て、凜花を連れていくことは私が許さない!」

 激怒する燕鶯を、孫旺千は小声で宥める。

「陛下、ここはいったん皇后さまの言う通りにして、改めて凜嬪さまを救う手立てを考えた方がよろしいかと存じます」


 それでも燕鶯は凜嬪を慎刑司に連れて行かせまいと、身を乗り出したその時。

「相変わらず月明宮は賑やかね。こんなに人が集まってお祭りでも始まるのかしら」

 凜とした声に皆が振り返る。現れたのは小黒を胸に抱いた寧貴妃であった。寧貴妃の背後には琵琶を抱えた小茜もいる。

「どうして寧貴妃がここへ? 禁足の身でしょう」

「皇后娘娘、禁足は陛下によって解かれたのよ」

 寧貴妃は皇后の側に寄り、優雅な仕草で挨拶をする。

「皇后娘娘に拝謁いたします」

 言って、寧貴妃は上目遣いで皇后を見つめる。


「あら、今日は金木犀の香りをまとっていないのですね。良かったわ、あの香りをかいだら小黒がまた興奮するところだったもの。そう、あの時のように」

 寧貴妃は腕に抱いた小黒を撫で、ふふと笑った。皇后の眉がぴくりと動く。

「ところで、これは何の騒ぎかしら」

「姉姉が、陛下にお出しする鍋に毒を盛ったと疑われているのです!」

 すかさず詩夏が状況を説明する。

「鍋に毒を? それはおかしいわ」

「おかしいとは?」

 皇后は目を細めて問い返す。


「凜嬪が作った鍋は私もいただいたのよ」

「なぜ、寧貴妃が凜嬪の料理を」

「少し前から私の食事を凜嬪が用意してくれているの。皇后さま、知らなかったのかしら。そう、華南宮に食事を届けてもらったのは申の刻」

「その後、皇后さまが月明宮を尋ねてきました! 厨房にも!」

 主を救うため、必死の思いで詩夏が言う。

「皇后さまが月明宮に訪れ、厨房に入った時刻は?」

「はっきり覚えております。陽も落ちかけようとしている酉の刻でございます! その直後に、鍋の味見をした凜嬪さまが毒で倒れました」

 すぐに林杏が答える。


 辺りがざわついた。

「皇后さまが、月明宮の厨房へ入っただと?」

「いったい、どういうことだ?」

 この場にいる者がひそひそと小声で言う。

 寧貴妃はひらりと身をひるがえした。皇后の側にいる侍女に近づくと、彼女の手を掴む。

「その時に何者かが鍋に毒を混入したのかもしれないわね。入れられた毒は夾竹桃ですってね。夾竹桃は枝や葉に素手で触れてしまうだけでも、皮膚が炎症を起こしてしまうほど強い毒性があるのよ」

 皇后の侍女は、寧貴妃の手を振り払い体を震わせた。寧貴妃はふふ、と笑う。


「皇后どういうことだ?」

 厳しい声で問い詰める燕鶯に、しかし皇后は表情を変えず淡々と言う。

「私は凜嬪が作る陛下の食事に気を配っただけです」

「陛下、皇后の侍女に詳しく話を聞いてみたらいかがでしょう?」

「その女を慎刑司に連れて行き尋問しろ」

「はっ!」

 兵士たちの捕らえる対象が、一心から皇后の侍女へと変わる。

「陛下! 凜嬪は陛下を殺そうとしたのですよ!」

「凜嬪が私を殺そうとするはずがない」

「陛下は皇后である私を疑いになるのですか!」

「皇后よ、事件が明らかになるまでそなたは黎明宮でおとなしくしてもらおう。それまで禁足を言い渡す」

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