1 悪夢
ここはどこだ?
確かオレは川で溺れていた子どもを助け気づいたら、辰という古代中国の李凜花という女の体に転生した。
オレが助けたのは子どもではなく、川に落ちた大辰帝国の皇帝陛下だった。
それがきっかけで、後宮で地味に暮らしていた李凜花が皇帝に気に入られ、あれよあれよという間に嬪にまで昇進し、皇帝の寵妃になった。
ああ、体が重い。手足が動かない。息が苦しい。
一心は必死でもがいて水面に浮上する。
水面に浮かび上がった一心は、上空を見上げる。目の前に大きな船があった。
「何者だ!」
厳しい声にびくりと反応する。だが、その声が自分に向けられたものではないと分かって安堵する。
ん? あれは燕鶯じゃないか?
船の上、燕鶯の周りを黒づくめの者たちが取り囲んでいる。彼らは無言で剣を抜き、燕鶯に斬りかかった。燕鶯は武器を持っていない。それでも、襲いかかる刺客たちの刃をかわし素手で戦う。だが、多勢に無勢。
「後ろだ!」
危機を伝えるため叫ぶ。一心の声が燕鶯に届いているかどうかは定かではない。
背後からの攻撃をかろうじて燕鶯は避けた。その時、船が大きく揺れ燕鶯の体が大きく傾いた。咄嗟に船縁に手を伸ばしたが、燕鶯の体はそのまま海へと落ちていく。
「陛下!」
女の声が聞こえた。
離れた場所から、一人の女性が駆け寄ってくるのが見えた。旗袍の裾を持ち上げ、必死の形相で甲板を駆け抜け、まっすぐに燕鶯が落ちた方へと向かってくる。
その女性を見て一心は息を飲む。その顔は李凜花だった。
海に落ちた燕鶯を助けるつもりなんだ。
一心は身振り手振りで、だめだというように凜花を止める。
「バカな考えはやめろ! てか、おまえ泳げないんだから、海に飛び込んだらだめだって……あー!」
言い終わらないうちに、ためらいなく凜花が海に飛び込んだ。大きく水しぶきがあがる。
飛び込んじまったよ!
急いで一心は水面でもがく凜花を助けに向かう。
「待ってろ、今助けに行く!」
必死に泳ぎ、水の中に沈んでいく燕鶯と凜花の手を掴もうとする。
陛下、陛下! 必ずお助けします!
ここで死んではなりません。命にかえても、私がお助け、します……。
凜花の意識が途切れた。気を失ったようだ。
凜花の体が水底へとゆっくり沈んでいく。けれど、意識を失ってもなお陛下を救いたいという気持ちがあったのか、掴んでいた燕鶯の手を離すことはなかった。
「凜花、燕鶯! しっかりしろ……くそっ、オレだって本当は泳げないんだぞ」
二人を救うため、大きく息を吸い一心は水の中に潜った。
気を失ったはずの凜花の声が、脳裏に聞こえてくる。
『死なないでください陛下。神様、私の命を差し上げます。だから、どうか陛下を助けて……ください。お願いします』
この女、自分が死ぬかも知れないというのに、そこまでこいつのことを。てか、泳げないくせに何やってんだよ。目を覚ませ、この手を掴め!
一心は凜花に向かって手を伸ばす。凜花がうっすらと目を開けた。
凜花と一心の目が合う。凜花の口の端から小さな気泡がもれた。
『お願い。陛下を助けて』
『わかった。わかったって! オレに任せろ!』
『よかった……ありがとう』
伸ばしてきた凜花の手を、一心は掴んで引き寄せた。凜花の感情も何もかもが一気に体に流れ込んでくるような気がした。
思えばこの時、オレの魂は凜花の体に移ったのかもしれない。
そのまま水面に向かって浮上していく。
一心の顔が水面へと出た。渾身の力で燕鶯の体を引っ張り上げる。ふと、強い視線を感じ、船の上へと視線を向けた。甲板に立ち水面を見下ろしている人物がいる。
その姿は皇后であった。
「私の息子を皇太子に立ててくれないのなら、あなたはいらないわ。あなたは巡幸中、謝って船から海に落ち亡くなった。そして、我が子を次の皇帝にする」
皇后の唇にうっすらと笑みが浮かんだ。
「朱殿下を玉座につけ、皇后さまが皇太后となれば、蘇一族は栄華を極めましょう」
側にいる侍女が言う。
どういうことだ? 燕鶯を殺そうとしたのは皇后の仕業だったのか。我が子を皇帝につけるために。
「がはっ!」
意識を失っていた燕鶯が、目を開け苦しげに呻いて水を吐き出す。
水音が立ち、船上にいた皇后が鋭い目でこちらを見下ろす。
目が合ってしまった。
皇后の目は静かであった。企みを聞かれても動揺すらみせない。それどころか、口元に緩やかな笑みが刻まれる。
思わず背筋が凍った。それほどまでに皇后の笑みは、冷酷で残忍な笑みに見えたからだ。
オレ、殺されるかもしれない。
そこで一心は目覚めた。




