9 恨まれている
「どうか私を罰して……いいえ、殺してください」
一心はぎょっとする。
「おいおい、物騒なことを言うな。そもそも、毒なんか入れていなかったんだから罰しようがないだろ」
「それでも、私は凜貴人さまを殺そうと思っていました」
「でも、そうしなかった。ずっと気になっていたんだ。以前、寧貴妃の侍女の紫蘭に何かを渡されていたよな? その時は特に気に止めなかったが、それから林杏は思い詰めた顔をするようになった。林杏らしくない失敗をして、しまいには倒れる。そして、紫蘭が亡くなった。何があったんだ?」
林杏の前に腰を落とし、一心は優しい声音で問う。しかし、それでも林杏は口を開こうとしない。怯えるように体を震わせているだけ。
「林杏、オレを信じて話してみないか?」
床の上についた林杏の手がぎゅっと握りしめられた。しばしの沈黙の後、顔をあげた林杏はようやく口を開いた。
「私には妹がいます。妹は琵琶を弾いており、都では少しは名の知れた奏者です」
それは初耳だ。もっとも、今まで林杏が自分のことを話すことはなかったが。
「三年前、皇族と縁のある黄家の宴に琵琶を披露して欲しいと呼ばれた妹は、その宴でお屋敷の若さまと出会い恋仲になりました」
それはおめでたいことではないか。
「私は妹の結婚に反対しました。何故なら黄家の若さまにはすでに正妻と側室がいたことと、我が呉家は家柄も低く、妹が嫁いでも苦労をすると思ったからです。ですが、妹はどうしても愛する人と一緒になりたいと言い、黄家の若さまも決して妹に辛い思いをさせないと誓ってくれました。嫁いでからも若さまは変わらず妹を大切にしてくれ、妹もとても幸せそうで、私の心配は杞憂だと思いました。ですが、どんなに若さまの寵愛を得てもしょせん側室なのです。妹は若さまの寵愛を一身に受けるがゆえ、正室に目の敵にされ、嫌がらせを受けるようになったのです」
気の毒に。
「それでも妹は正室の嫌がらせに耐えてきました。ですが、ある日、妹は正室の子に怪我をさせたと言いがかりをつけられたのです。妹はやっていないと訴えましたが、聞き入れてもらえませんでした。死は免れましたが、若さまと正室の逆鱗にふれた妹は、酒楼の下働きに売り飛ばされる羽目になったのです。もちろん妹は正妻の子に怪我など負わせておりません。それは若さまの寵愛を得る妹と、正妻の嫡子を亡き者にしようと企んだ、もう一人の側室の仕業だったのです。その事実を知った時にはすでに若さまの心は妹から離れ、酒楼から呼び戻されることはありませんでした」
一心は眉根を寄せた。
林杏の家族にそういう事情があったとは。
「妹の話をどこで知ったのかは知りませんが、あの日、紫蘭が私に近づきこう言いました。主の言う通りにすれば、妹を酒楼から身請けをし、良い縁談も紹介してくれると。ただしその条件として、凜貴人に毒入りの茶を飲ませることでした」
妹を助けるために、黒幕は林杏に凜貴人を殺せと命じた。
「人の弱みにつけ込むとは許せない!」
「妹を救いたい気持ちはあります。こんなことを言って信じていただけるか分かりませんが、私は凜貴人さまを裏切るつもりは本当にありませんでした」
一心は頷く。
最初の頃は林杏に嫌われているのではないかと思っていたが、林杏の仕事の丁寧さと、凜貴人に対する忠誠心は真実のものだと感じるようになった。
林杏はいったん言葉をきり、自分の手に視線を落とした。しばらく口を噤んでいた林杏が再び口を開く。仕える主を陥れることは大罪だ。だが、林杏には相手の企みに加担せざるを得ない理由ができた。
「二日前のことです。突然、数名の太監に囲まれ小屋のような場所に閉じ込められました。そこで、紫蘭が首を吊っていたのです。さらにそこで何者かに凜貴人さまを殺せ、命礼にしたがわなければ妹の命はないと脅されました」
寧貴妃の侍女紫蘭が首を吊って死んでいた。殺されたのだ。林杏は警告だと思った。凜貴人を殺さなければ、紫蘭のように自分も妹も殺されると。
「おそらく、陛下の寵愛を得る凜貴人さまが邪魔になったのでしょう。後宮ではよくあることです」
そこまでオレは誰かに恨まれているのか。
「相手の顔は見たのか?」
林杏は首を振る。
「声に聞き覚えは?」
「いいえ」
「そうか」
いったい、林杏を脅しオレを殺そうと企んだ黒幕は誰なのか。
林杏に毒入り茶の袋を渡したのは寧貴妃の侍女紫蘭。普通に考えれば、寧貴妃が黒幕だと思うだろう。
「林杏は誰が怪しいと思う?」
「凜貴人さま、滅多なことを口にしてはいけません。どこで誰が聞いているか分かりません。ですが……」
林杏は声を低く落とした。
「誰が犯人であってもおかしくはありません。だから迂闊に他人を信用してはなりません。凜貴人さま、くれぐれもお気を付けください」
「気をつけろ? それを言うなら林杏もだ」
「私は慎刑司に行きます。罪を告白し、罰を受けます」
「おいおい待てよ。短絡的だな。私は林杏を慎刑司とやらに行かせるつもりはない」
一心は林杏の目の前に手を出した。
「なんでございましょう」
「まだ持っているんだろ、毒入りの茶が入った小袋。それを寄越せ」
「いったい何をなさるおつもりですか」
「オレに考えがある。それと、あいつの手も借りるか」
「何度も申し上げますが、オレではなく私です。それと、あいつと申しますと?」
林杏が怖々といったていで聞き返す。
「燕鶯のことだよ。この間、嫌々手を繋いでやったんだ。見返りを求めてやる」




