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15 きんとれ

 寧貴妃に器量も家柄も何もかも悪いと散々言われた一心は、その後、侍女たちを下がらせ部屋にこもってしまった。林杏や詩夏が心配して何度か声をかけてきたが、一心は一人にして欲しいと言い顔を見せることはなかった。しかし、翌朝になっても姿を見せない一心に、皆がどうしたものかと不安を抱く。

「まさか……」

 月明宮正殿の扉を見つめ、侍女の一人が不安そうな声を落とす。


「まさかってなによ。不吉なことを言わないで」

「だって昨日、寧貴妃さまに面と向かってひどいことを言われたそうじゃない」

「気にしていた様子はなかったわ」

「そう見えただけで、実は深く傷ついていたのよ」

「やめてよ! 宮中での自害は大罪よ。そうなったら私たちまで罰せられてしまう!」

 前庭で侍女たちが集まり、あれこれ憶測する。


「おまえたち、無駄話をしていないで持ち場に戻って仕事をしなさい」

 すぐに侍女頭の林杏に注意を受け、侍女たちは散って行く。とはいえ、林杏も昨晩から部屋にこもったままの凜貴人のことが気になっていた。

「まさか」

 侍女たちの言う通り、凜貴人の身に何かあったのだろうか。林杏は意を決して凜貴人の寝室の扉の前に立つ。


「凜貴人さま、お目覚めでしょうか? そろそろ起きてください。凜貴人さま? 入りますよ。失礼いた……ひいーっ!」

 扉を開けた林杏は悲鳴をあげた。

「凜貴人さまの部屋からよ。いったいどうしたのかしら」

 林杏の悲鳴に、一度は自分の仕事場に戻っていった侍女や太監たちが顔色を変え、凜貴人の寝室へと駆けつけてきた。

「林杏さま、どうなさったのですか!」


 滅多なことでは動じない林杏が、扉の前で腰を抜かし、寝室の上空を指差し口をあわあわとさせていた。

 侍女や太監たちはごくりと唾を飲み、おそるおそる部屋の中を覗き込む。

 中には手を合わせ、経を唱えている者もいた。部屋の梁に白布をぶら下げ、凜貴人の無残な姿を見ることになると覚悟していたらしい。

 しかし、そこで見たものは――。


 梁にぶら下がっていたのは白布ではなく、凜貴人であった。いや、この言い方も語弊がある。両手を梁にかけ、凜貴人が懸垂をしていた。さらに、顔には目と鼻と口をくり抜いた薄紙を貼りつけている。

「い、い、いったい……何をなさっているのですか!」

 腰を抜かした状態で林杏は問う。

「見ての通り、筋トレだ。ふんっ」

 梁から手を離し軽やかに床に降り立つと、今度は片手腕立て伏せを始めた。


「一、二、三……」

「きんとれ?」

「体作りだ。こいつの体ガリガリで痩せすぎだろ。もっと筋力をつけなければダメだと思って」

「それで、その顔に貼り付いているのは!」

「これは肌のお手入れ。一晩中かかって化粧水を作っていたんだ」

「はあ……?」

 一心は腕立て伏せをやめ、鏡を覗き込み顔に張り付いた紙をべりっと剥がした。

「うん、しっとりもちもち。忍冬で作った化粧水を紙に浸して顔に張ってみたんだが、効果があったみたいだな。手に吸い付くもっちり感だぜ」

 一心は両手で頬を触る。

「確かに、姉姉のお肌、すべすべです!」

「詩夏にも化粧水をわけてやるよ。もちろん、林杏も皆にもだ」

 わあ、と喜びの声があがった。


「いやー、昨日寧貴妃にいろいろ言われて気づいたんだ。もっと自分を磨かなきゃだめだってことに。少しでもきれになれば、寧貴妃に好かれるだろ」

「陛下のためではないのですか?」

 林杏が理解できないというように眉を下げて言う。

 はあ? と一心は不愉快な顔をする。

「なんで、オレがあいつのために自分磨きをしなきゃなんねえんだよ!」

「ああ、なんていうことを……嘆かわしい……」

 主の言葉使いの悪さと、理解できない行動に林杏はひたいに手をあてた。


「そこまでして寧貴妃さまに気に入られたいんですか? こう言ってはなんですか、はっきり申し上げて、嫌われていますよ、寧貴妃さまに」

 侍女や太監たちはいっせいに頷く。誰が見ても一目瞭然だということだ。

 一心は天然石で作られた美顔ローラーを手に取り、顔の表面をコロコロする。

「だから好かれるように努力するんだ。まずは美に対して気を配る。よくよく考えてみれば現代じゃ男も化粧をする時代だしな。そう思えばあまり抵抗もないもんさ。なあ、詩夏あとで眉をこの時代風に整えてくれないか」


「わかりました! 寧貴妃さまのためというのは釈然としませんが、姉姉が美に目覚めたのはよいことだと思います。ですよね、林杏さま?」

「そうですね……」

「ところで、林杏」

「なんでございましょう、凜貴人さま」

 もはや林杏の口調は投げやりだ。


「寧貴妃って何が好きなんだ? 贈り物をするのなら何が喜ぶ。好きな花は芍薬だっけ? それ以外は? 食事の好みは、甘いものは? 普段は何をしてる? 趣味は? 散歩をするならどのコース?」

「存じ上げません……」

「そうか、後で独自に調査してみるか」

 凜貴人さま……と、呟き、林杏はため息をこぼし、脱力した。

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