13 口が裂けても言えない
月明宮に戻った一心は、長椅子に寄りかかり天井を見上げため息をこぼす。
あんな気疲れするミーティングがこれから毎日続くのだと思うと憂鬱だ。
美人たちを眺めるのは目の保養になっていいが、世継ぎを産めとせっつかれるのは勘弁して欲しい。
「凜貴人さま、苑嬪さまがおいでになりましたが」
「苑嬪?」
寧貴妃の取り巻きの妃だ。
一心は首を傾げる。その苑嬪が自分に何の用だろう。
「ごきげんよう、凜貴人」
初めて出会った時とは打って変わって、苑嬪は満面の笑みを浮かべて部屋に入って来た。
「苑嬪さまにご挨拶を申し上げます」
一心は立ち上がり挨拶をして苑嬪を出迎える。そして、自分が座る隣の席に苑嬪が腰をかけると同時に、詩夏が茶を持ってきた。
「ええと、何か用かな? もちろん用がなくても女性が訪ねて来るのは大歓迎だけど」
「ふふ、凜貴人って本当におもしろいのね。お祝いを言いに来たのよ。昇格おめでとう」
「あー、別におめでたくもなんともないんだけど」
側に立つ林杏がコホンと咳払いをする。
「あ、いや……ありがとうございます」
「先程はとてもおもしろかったわ。私、驚いてるの。凜貴人がこんなにも自由奔放で恐れ知らずで、規格外れで、放埒な方だとは知らなかった」
ん?
なめられてるのか、それとも、遠回しにけなされているのか。そもそも、苑嬪は凜花のことを嫌っていたはず。
「寧貴妃さまのひたいに月餅が飛んだのはヒヤヒヤしたけど、すごくおかしかったわ。私、後宮に来て心の底から笑ったのは初めて」
苑嬪は口元に手をあてクスクスと笑う。
こうして見ると、どこにでもいる普通の、年相応の女性だ。だが、後宮に入った時点で、彼女たちの人生は普通ではなくなった。
「ねえ、凜貴人はこんなに楽しい方なのに、どうして今までその性格を隠していたの?」
「いろいろと事情があって」
まさかオレが未来からこの時代に転生してきた男です、とは口が裂けても言えない。いや、言っても頭のおかしい女だと思われるだけ。そもそも信じてもらえるはずがない。
苑嬪は眉尻を下げた。
「ごめんなさい、変なことを聞いたわ。いいの、何も言わないで、誰にだって人には言えない事情はあるものね」
「ありがとう、苑嬪さまは優しいのね。よかったらこれ食べて。さっき作ったばかりなの。豌豆黄と驢打滾よ」
豌豆黄とはエンドウ豆の皮をむきペースト状になるまで煮てから、白砂糖を加え冷まして固めた羊羹みたいなもので、驢打滾は黄米で作った生地に餡を入れ、丸めてバームクーヘンのように何層も重ねたもの。これにきな粉をまぶして食べる。
苑嬪は瞳をキラキラさせた。
「凜貴人の手作り菓子が食べられるなんて幸運だわ。凜貴人が作る料理や点心は、宮中のどの料理人よりもおいしいって評判なのよ」
そうなのか? そりゃ、初耳だ。
苑嬪はつやつやとした黄色い豌豆黄を手に取り口に運ぶ。
小鳥のように小さく口を開け品良く食べる姿は、やはり後宮の妃だ。
「とてもおいしいわ。口の中で溶けていくよう」
「よかった。好きなだけ食べていいぞ。詩夏、茶のおかわりを頼む。確か陛下から貰ったのが……」
苑嬪の突然の訪問に驚いたが、さらに驚くことが起こった。
詩夏がこそりと耳打ちをする。
「寧貴妃さまがおいでになりました」
「寧貴妃が!」
途端、一心の目の色が変わった。
「先客がいると言って遠慮していただきますか?」
気を利かせて言う詩夏に、一心はいやと首を振る。
「早く通してやって。こんな寒空の下で待たせたらかわいそうだ」
ほどなくして、寧貴妃が部屋に入って来た。
「おお! よく来てくれた」
一心は自分が座っていた場所を寧貴妃に譲りつつ、両手を広げ彼女を笑顔で迎えた。
寧貴妃はちらりと先客に視線をやり、腰をおろす。
「苑嬪が来ていたとは意外ね。いつの間に凜貴人と親しくなったのかしら」
よもや寧貴妃が月明宮にやって来ることは思いもしなかったのか、苑嬪は気まずい表情で視線を泳がせる。
「凜貴人の昇格のお祝いを言いにきただけよ」
寧貴妃はにやりと赤い唇に笑みを刻む。
「下心見え見えよ、苑嬪。陛下の寵愛を得ている凜貴人の元へ来れば、陛下にお会いできるかもしれないと思ったのでしょう?」
なるほど、そういうことだったのか。後宮あるあるというわけだ。
「だったら、陛下を呼んでこようか?」
とんでもない一心の発言に苑嬪は顔を青ざめる。
そんなことでわざわざ陛下を呼びつけたと知られたら、むしろ自分の立場を悪くしてしまうと思ったのか、苑嬪は立ち上がった。
「私、そろそろ失礼しますわ。用事を思い出したの」
「え、もうか?」
一心が呼び止めるよりもはやく、苑嬪は逃げるように月明宮から立ち去って行った。
「浅ましいわね」
寧貴妃は詩夏が差し出したお茶を手に取る。
「あら、とても良い香り。よい茶葉を使っているのね」
寧貴妃はすうと、湯飲みから立ちのぼる茶の香りをかぐ。
「茉莉龍珠(ジャスミン茶)だ。茉莉花茶は美容や健康、リラックス効果があって」
「リラ?」
「不安や緊張を和らげ、気持ちを落ち着かせる作用があるんだ。今の寧貴妃さまにぴったりだ?」
「何ですって!」
「いや……それと茉莉花茶には美肌効果もある」
美肌という言葉に、寧貴妃はぴくりと反応する。
どの時代も、こういう話題は女たちにとって興味深いのは変わらない。




