11 皇后さまにご挨拶
皇后への挨拶とは、一日に一度午前に、皇后の住まう黎明宮に妃たちが集まりミーティングのようなことをするのだ。
女たちが集まって、ただ世間話をするわけではない。
後宮をおさめる長として、皇后は他の妃たちに細かく気を配ったりするのだ。例えば、陛下のお渡りがなくなった妃に配慮したり、贈り物をおくったり、皇子たちの成長を気にかけたり、妃たちに子を産め、特に皇子を、とせっついたり、などなど。
とはいえ、実際は互いに腹の探り合い。
一見穏やかな雰囲気で会話をしていると見せかけて、水面下では熾烈な争いが行われているのだから、後宮とは恐ろしいところだ。
皇后とて他の女に自分の夫を通わせたり、子を産めとすすめるのは、良い気がしないはず。だが、そんな感情はいっさい表には出さず、笑顔で妃嬪たちを取りまとめていくのだからたいしたものだ。
一心がこのミーティングに参加するのは、実は今日が初めてであった。今までは体調不良と理由をつけて避けていたが、今回の昇格によって逃れることが難しくなったのである。
はっきり言って、面倒くさいことこの上ないが、参加必須ゆえ拒否することはできない。
「凜貴人さま、急いでください!」
林杏に急かされ、一心は旗袍の裾を膝上までたくしあげ走った。
とにかく全速力で走った。
支度を終えすぐに皇后の元へ向かうはずだったのだが、慣れない衣装と、靴底の高い靴(花盆底靴というらしい)のせいで、うっかり転んで衣を汚してしまい出遅れたのだ。それでも、時間ぎりぎりには黎明宮に駆け込んだが、すでに妃嬪たち全員が揃っていた。
「遅れてすまん……ゼエ」
速攻、コホンと林杏が咳払いをする。
「あ、いや……遅れて……ゼエゼエ……申し訳、ございません……ハアハア」
走ってきたため息があがって苦しい。喉がからからだ。とりあえず、水!
せっかくメイクや髪のセットをしてもらったのに、黎明宮についた頃にはぐちゃぐちゃだ。頭に挿したかんざしも、斜めになって落ちかけている。
妃嬪たちが何が起きたのか? という目でこちらを見ていた。
ええと、どこに座ればいいんだ。ここか?
正面に座る皇后から一番遠く離れた、入り口側の席がひとつ空いているのを見つけ、そこに腰を掛ける。サイドテーブルに茶が置いてあったので、手に取り一気飲みをしようとしてあまりの熱さに吹き出した。
「うあちっ!」
すかさず林杏が口の回りを手巾で拭ってくれた。そして、耳元でこそりと言う。
「凜貴人さま、靴を履いてくださいませ」
一心はさりげなく手に持っていた靴を履き、改めて周りを見渡す。
おおう……きれいどころばかりじゃん。
皇后の近くに座っている寧貴妃と目が合い、一心はにたりと笑みを返す。相手は眉根を寄せ、すぐに視線をそらした。寧貴妃の他に苑嬪もいる。
女性の集まりに参加するなど気が進まないと思っていたが、集まった美女たちを前に、一心はたちまち目元をだらしがなく緩ませた。
くうーっ、燕鶯、羨ましいぞ!
妃たちは現れた凜貴人の姿を、頭の上からつま先まで、舐めるように視線を這わせた。
林杏がチョイスしてくれた旗袍は、ピンク色の生地に梅の刺繍の入った衣だ。
華美すぎず、かといって貴人という位に見劣りせず、若い娘なら誰でも好みそうな色で無難な旗袍だ。かんざしとイヤリングも、白蝶貝でしつらえ清楚さをアピールしたもの。
ほう。
一心は皇后を見てなるほど、と納得する。
さすがは林杏だ。
皇后の衣装は目の覚める青色に艶やかな牡丹の刺繍。
後で知ったことだが、牡丹は百花の王といわれている花で、まさに後宮の主に相応しい花。芍薬は寧貴妃が特に好んでいる花で、彼女の衣装には芍薬の花が刺繍されていた。
林杏は後宮トップとナンバー2と衣装がかぶらないよう配慮したのだ。
「今までは一番に来て私たちの到着を待っていたのに、昇格した途端、遅刻だなんていい気なものね」
寧貴妃がちくりと嫌味を言うと、他の妃たちも同感だと頷く。
「妹妹、おやめなさい。川に落ちて以来凜貴人は長く体調を崩していたのよ」
後宮ナンバー2の寧貴妃を妹妹と呼べるのは、皇后だけ。
「ですが皇后さま、それでは凜貴人がますますつけあがるばかりだわ」
「そうよ、ちょっとばかり寵愛を得たからって図に乗ってるのよ」
「どうせ寵愛なんて今だけよ。すぐに失うわ」
騒がしくなったこの場を鎮めるように、皇后は手をあげた。
「皆、凜貴人に感謝するべきよ。凜貴人は陛下の危機を救った。その功績は大きいわ」
皇后に窘められても妃たちは納得がいかないのか、口々に不満をもらす。
「あの場で川に飛び込み陛下を救おうと思った人はいて? 凜貴人は自分の命も顧みず真っ先に陛下を救うため川に飛び込んだ。凜貴人の勇気ある行動は褒めるべきものよ」
滅茶苦茶褒められてるけど、別にあいつを助けるつもりじゃなかったし、気づいたらあの状況だったからなあ。
「凜貴人、改めて陛下を救ってくれたこと、私からも礼を言いましょう」
皇后とは冊封式の時に対面しているが、こうして会話をするのはこれが初めてだ。
ありがたいことに、皇后は自分を庇ってくれる。
優しく淑やかで気品にあふれ、まさに後宮の主の鑑という言葉が相応しい女性だ。そして目の前にいる皇后こそ、歴史に名を残す皇帝を支えた賢后と呼ばれた人物。そんなすごい人がこうして目の前に存在しているのかと思うと感慨深い。
「たいしたこと……あ、いえ……当たり前のことをしただけですわ。私たち妃は陛下のために仕える臣下ですもの」
ほほ、と口元に手をあて一心は笑いながら答える。
ちょっとわざとらしかったか。




