第4話_帰ってくる約束
婚約が正式に発表されてからというもの、ミュレナにはもう一つ困ったことが増えていた。ゼルヴェインから贈り物が届くのである。
最初は小さな髪飾りだった。次の日は希少な薬草の種、その翌日は北方産の柔らかな毛布、その次には研究用の精密天秤が届いた。どれも彼女の好みや必要としているものを正確に突いてくるため、単純に断ることもできない。
五日目、とうとう研究室へ新型の魔力測定器が運び込まれたところで、ミュレナは総監執務室へ乗り込んだ。
「ゼルヴェイン様。お話があります」
「嬉しいな。君から会いに来てくれるなんて」
「贈り物を減らしてください」
「……悲しい話だった」
大げさに肩を落とす彼を見ても、今回は負けない。ミュレナは机の前に立ち、精一杯厳しい顔を作った。
「毎日なんて多すぎます。私は何かをもらうために婚約したわけではありません」
「わかってるよ。僕が贈りたいだけ」
「それでもです」
胸を張ってみせたものの、彼を見上げる格好ではどうにも締まらない。
「困ったな。三年間、渡せなかった分が溜まっているんだけど」
「三年分?」
「誕生日が三回。冬至祭が三回。春の祝祭も三回。それから、君が研究発表を成功させた日が七回、階段で転ばなかった記念日が――」
「そんな記念日はありません!」
「僕の中にはある」
真顔だった。
ミュレナは額を押さえたくなった。
「では、せめて高価なものは禁止です」
「基準は?」
「一般的な十九歳の女性が気軽に受け取れる範囲です」
「僕には一般的な十九歳の女性の相場がわからない」
「でしょうね……」
「だから君が教えて」
さらりと言われて、ミュレナは勢いを失った。
彼はいつもこうだ。圧倒的に有能で何でも知っているくせに、ミュレナの気持ちに関わることだけは勝手に決めず、尋ねてくる。
「……お花とか。一緒に食べられるお菓子とか。それくらいなら嬉しいです」
「なるほど」
「それから、物でなくてもいいんです。お時間があるなら、一緒にお茶をするとか」
ゼルヴェインの動きが止まった。
「それは贈り物に含めていいの?」
「私は、そのほうが嬉しいです」
「ミュレナ」
「はい?」
「今、抱きしめても?」
唐突だったが、彼の目があまりに真剣なので、ミュレナは小さく頷いた。
すぐに腕の中へ包まれる。
「……どうしたんですか」
「僕はたぶん、君が思っている以上に単純なんだ。君が僕といる時間を欲しがってくれるだけで、かなり嬉しい」
耳元に落ちる声が優しい。
ミュレナは彼の胸元に額を預けた。
「では、今日はお茶をしましょう」
「仕事を全部片づけるから十分待って」
「十分で終わるんですか?」
「君とのお茶がかかっているから五分でもいい」
「部下の皆さんが泣きません?」
「僕が早く仕事を終えれば喜ぶよ」
実際、その日ゼルヴェインは通常なら一時間かかる決裁を十二分で終えた。副官たちは書類の山が消えていく様子を見て、今後も未来の侯爵夫人には定期的にお茶へ誘ってもらおうと密かに決意したという。
◇
ゼルヴェインの重さを、ミュレナが本当の意味で理解したのは、婚約後初めて侯爵邸を訪れた日だった。
王都西部にあるクローディス侯爵邸は、宮殿と呼んでも差し支えない規模だった。ところが内部は意外にも落ち着いており、華美な装飾より機能性を重視している。
家令に案内され、ミュレナは自分のために用意された部屋へ入った。
淡い乳白色の壁、柔らかな絨毯、日当たりのよい窓辺。そこまでは普通だった。
問題は本棚である。
「……私が好きな本ばかりです」
「そうだね」
「どうして?」
「調べたから」
「いつ?」
「三年かけて」
さらりと恐ろしいことを言われた。
机の高さもミュレナに合わせて低めに作られ、椅子には足が床につくよう調整された踏み台まである。窓辺には彼女が好きな月鈴草が植えられ、隣室には小さな研究スペースまで設けられていた。
「これ、いつから準備していたんですか?」
「部屋そのものは二年前」
「二年前!?」
「君が婚約していたから、使う予定はなかったけどね」
「では、なぜ……」
「夢を見るくらいは自由だろう?」
笑っているのに、その言葉は妙に切なかった。
ミュレナは胸が詰まり、何も言えなくなる。
「重い?」
ゼルヴェインが尋ねた。
いつもなら冗談めかしている彼が、ほんの少しだけ不安そうだった。
ミュレナは部屋を見回した。
三年間、自分が知らないところで、この人は決して奪おうとはせず、それでも忘れることもできず、来るはずのない自分のために場所を作っていた。
「……重いです」
「やっぱり?」
「でも、嫌ではありません」
ゼルヴェインの目が見開かれる。
「むしろ、少し嬉しいです」
「少し?」
「たくさんと言うと、もっと増えそうなので」
「賢くなったね」
「あなたのおかげです」
ミュレナが笑うと、彼も笑った。
「でも残念。もう増やす予定は決まってる」
「何をですか?」
「君専用の図書室」
「聞いてません!」
「今言った」
「そういう意味ではありません!」
追いかけるミュレナから軽々と逃げながら、ゼルヴェインは珍しく声を上げて笑った。
◇
精霊樹事件から回復したあと、ミュレナは初めてゼルヴェインの弱さを見ることになった。
ある夜、侯爵邸で夕食を共にした帰りだった。急な雷雨で馬車が出せなくなり、客室へ泊まることになったミュレナは、夜中に水を飲もうとして廊下へ出た。
書斎から灯りが漏れている。
扉が少し開いており、中ではゼルヴェインが長椅子に座っていた。眠っているようだったが、額には汗が浮かんでいる。
「ゼルヴェイン様?」
呼びかけた途端、彼の目が開いた。
反射的に伸びた手がミュレナの手首を掴む。いつもの彼からは考えられないほど鋭い動きだった。
「……ミュレナ?」
「はい。私です」
認識した瞬間、力が緩んだ。
「ごめん。痛かった?」
「大丈夫です。怖い夢ですか?」
「たいしたものじゃない」
「嘘です」
ミュレナは彼の前へしゃがんだ。
戦争の英雄。魔導騎士団総監。誰より強い男。
けれど戦場へ行ったということは、誰より多く恐ろしいものを見てきたということでもある。
「話したくなければ、話さなくていいです。でも、一人でなくてもいいですよ」
ゼルヴェインは長いあいだ黙っていた。
やがて、かすかな苦笑を浮かべる。
「君は時々、残酷なくらい優しいね」
「残酷ですか?」
「強がれなくなる」
彼は手を伸ばし、ミュレナの頬へ触れた。
「精霊樹の地下で、君の魔力が一瞬途切れただろう」
「……はい」
「あの瞬間の夢を見た。今度は君が戻ってこなかった」
ミュレナの胸が痛む。
彼女は立ち上がり、隣へ座った。
「戻ってきました」
「うん」
「ここにいます」
「うん」
「触って確認しますか?」
言ってから恥ずかしくなったが、ゼルヴェインは笑わなかった。
そっと彼女を抱き寄せる。
「確認する」
強い腕が背中へ回った。
しばらく二人は何も話さなかった。窓の外では雨が屋根を叩いている。
「ゼルヴェイン様」
「何?」
「私も、あなたが危険なお仕事へ行くと怖いと思います」
「なら辞めようか」
あまりにも軽く言われて、ミュレナは顔を上げた。
「総監を?」
「君が望むなら」
「簡単に言わないでください」
「本気だけど」
「知っています。だから困るんです」
ミュレナは彼の胸元を軽く叩いた。
「辞めてほしいのではありません。怖くても、お互い帰ってくる約束をしたいんです」
「約束?」
「はい。無茶をしない。何かあったら一人で抱え込まない。ちゃんと帰ってくる」
「君も守る?」
「守ります」
「では約束する」
彼の小指が、ミュレナの小指に絡んだ。
子どものような仕草が、この完璧な男には不思議なくらい似合わない。それがおかしくて笑うと、ゼルヴェインも少し笑った。
「今夜、ここにいてくれる?」
「眠るまでなら」
「一晩中がいい」
「それは駄目です」
頬が熱くなるのを感じながら、ミュレナはきっぱりと首を振った。
「婚約者なのに?」
「婚約者だからです」
「手強くなったなあ」
「誰かさんが鍛えました」
結局、ミュレナは彼が眠るまで隣に座っていた。
翌朝目を覚ますと、なぜか自分まで長椅子で眠っており、毛布をかけられていた。ゼルヴェインはすでに仕事へ出ていたが、机には朝食と短い書き置きがある。
『約束通り、帰ってくる。君も朝食を残さないこと。追伸、寝顔は非常に可愛かった』
最後の一文を読んだミュレナが真っ赤になり、書き置きを引き出しの奥へ隠したことは、彼には秘密だった。




