第9話:【十一月】沈黙の答案(前編)
放課後の防衛部部室。机の上には参考書やノートが散らばり、テスト週間らしくいつもより真剣な空気が漂っていた。
「この解き方なんだっけ……」
頭を抱えた若葉のノートを、横から昴が覗き込む。
「あー、これの解き方はな」
ペンを走らせながら、昴は淀みなく解説していく。
「え、昴先輩って勉強できるんですか!?」
「一年の問題なんか出来て当然だろ。お前は俺をなんだと思ってんだよ?」
「いや、別に……」
泉がのんびりと口を挟んだ。
「昴は頭いいよ。10位以内ずっとキープしてるし」
「主席に褒められても嬉しくねーよ」
昴が顔をしかめた。
六花が興味津々に声を上げる。
「二人ともすご〜い!千代先輩も勉強できそう!」
「この二人ほどではありませんが、苦手ではないです」
落ち着いた声で答える千代に、若葉が「先輩たち、ずるい」とぶつぶつ呟いた。
「泉先輩ー。どうやったら100点取れるんすか?」
「100点取れるように勉強するだけだよ」
さらりと泉が答えた。
「……別に、100点取りたい訳じゃないんだけどね」
「え、取りたくなくても、勉強したら勝手に取れちゃうってことですか…?」
「泉先輩すごすぎます!!」
「違う違う。ごめん、そういう意味じゃない」
困ったように笑って、泉は話を変えた。
そして迎えた、テスト当日。
カリカリと答案を埋める音が響く中、泉は鉛筆を走らせながら眉をひそめた。
……おかしい。
合っているはずの答えに、どす黒い不安が覆いかぶさる。書いた文字が滲み、赤い×印が脳裏に浮かぶ。
(あれ、違う……? いや、合ってるはず。でも……)
焦れば焦るほど、背中に冷たい汗が流れる。
——その瞬間、耳の奥に声が響いた。
『期待を裏切るな』
『100点以外、意味がない』
心の底に封じ込めていたはずの両親の声が、幻聴となって泉を襲う。
震える手で答案を握りしめた。
(やめろ……もう、そんなの聞きたくない……!)
だが、幻覚は執拗だった。
書いた答えにすべて赤い×がつき、返ってくる答案は真っ黒に塗りつぶされる。
間違っているような感覚。教科書を思い出そうとするのに、映像が歪む。
完璧に覚えたはずの公式に自信が持てなくなる。
『97点?なぜこんなつまらないミスをしたんだ。最後までちゃんと集中したのか?』
『あなたならちゃんとできるはずよ』
集中しようとする思考を、聞き慣れた声が邪魔をする。
息が詰まり、吐き気が込み上げた。
机の中で、ボウエイウォッチが振動する。
ヤムヤムの仕業か。
立ち上がろうとしたが、体が動かない。
鉛筆を離すことができない。
答案を埋め終わるまでは動けない。
まるで呪縛のように。
ふと若葉の言葉が頭に浮かんだ。
『どうしたら100点取れるんすか?』
答えは簡単だ。
——100点以外、許されない環境で育つこと。
一方その頃。
答案を埋め終わった昴は、焦ったようにボウエイウォッチを握りしめ立ち上がった。
「くそっ。やっぱりヤムヤムのせいかよ」
舌打ちして廊下に飛び出す。
ストレス反応を示す中庭へ向かうと、すぐに若葉と六花も駆けつけてきた。
「先輩、何が起きてるんすか!?」
「ヤムヤムだな。テスト中に仕掛けてきやがった」
ソードを抜き放ち、ヤダモンの群れを蹴散らす。だが肝心のヤムヤムの姿はない。
「よく答案を埋められたな」
昴が息を整えながら言う。
答案を埋めるまで動けない、そういう攻撃だった。幻覚や幻聴もヤムヤムの仕業だろう。
「頭ん中うるさすぎて、全っ然集中できなかっです!!もーほんと適当に埋めただけっす!」
「あたしもです!何書いても間違えてる気がするし、途中から訳わかんなくなってくるし…。赤点かも〜!」
「ボウエイジャーとしては合格だ」
不意に褒められて、若葉は思わず目を丸くした。
そこへ千代が遅れて現れる。
「すみません。……間違っているかもしれない答えを埋めていくのは、勇気がいりますね」
「先輩っ、みんなでヤムヤム早く探しましょう!」
六花が声を上げる。
だが昴は首を振った。
「泉を待つ」
「え?早く倒さなくていいんすか?」
「テスト中は手を出してこないはずだ。ストレス集めてパワーアップしてから出てくるつもりだろうからな」
「だったらその前に倒しちゃった方が!」
若葉が食い下がる。
「泉を待ちましょう」
千代が静かに言った。その瞳は強い確信を帯びていた。
「……分かりました」
若葉も渋々頷いた。
その頃、教室に取り残された泉は答案を埋められないままでいた。
(ダメだ……僕は何も変われていない……)
防衛部に入って、変われたと思っていた。
けれど本当は何一つ変わっていなかった。
今も親の言葉に縛られて、答案一枚に怯えて——。
ヤムヤムが学校を襲っているのに。
憧れたボウエイジャーになれたのに。
テストなんかより、ずっと大切なものがあるのに。
吐き気をこらえ、机に突っ伏しながら鉛筆を走らせる。
その一文字ごとに「違う」という声と、違う答えの書かれた黒板やノートが頭に浮かんだ。
「……っ!」
冷や汗が首筋を伝い、視界が滲む。
泉は、誰にも聞こえない悲鳴をあげていた。




