第97話 親心、子知らず 子心、親を超える
「あのぅ、ネーベルさん?」
アルフリーダさんがグラスに注がれる麦酒を戸惑いを隠せず眺めながら、声を震わせる。
「言いたいこと、気持ち。
両方ともお察ししますわ。
ですが、領家の母として、これもお仕事ですわ。」
「……ええ、ええ。そこはもちろんわかります。
ですが、昨日の今日ですよ?
まさか陛下と……」
「……オッホン!アルフリーダ様?」
「ハッ!?
……ええ、ええ。
レッドフォルテ伯と夕食をご一緒するなんて、流石に心構えが必要よ……。」
そういって、アルフリーダさんはちらりとリアナ——いや、今回の訪問で今後その名前を使うことはないか。
メルフィスに視線を向ける。
静かに食事を楽しんでいたメルフィスは、その視線を受けてニコリと余裕の微笑みを返す。
昼間とはあからさまに違う雰囲気の柔らかさに、アルフリーダさんは困惑の表情だ。
「……はあ。役者が違うわ。」
「まったくよ。
私も才女なんてもてはやされたことがあるけれど、まるで敵わないわ。」
ため息をつきつつ、顔を見合わせるネーベルさんとアルフリーダさん。
二人の母は、思わず苦笑し合った。
2人はグラスを軽く交わすと、一気に飲み干した。
「ネーベルさんもアルフリーダさんも、あの子とあまり自分を比べなくていいと思うよ。
役者が違うというより、求められている個性が違うだけだから。」
「アルトゥス様。」
「この度は、いろいろお世話になりました。」
空になったグラスをメイドさんに回収させた後、僕は2人に違う種類の麦酒が注がれたグラスを渡しながら話しかけた。
アルフリーダさんがつい恐縮して頭を下げてくるが、僕は笑顔でグラスを押し付けることで全てを流す。
というか、アルフリーダさんが僕に頭を下げる理由なんてないからね。
謝られても困るだけだ。
「なんというか、昨日まで軟禁されていた相手に対して切替が速くてついていけなくて……。」
「……メルフィス伯は合理的だからね。」
合理的なのもそうだし、打算でもある。
王として、リヴェリナとして結論を出した以上、彼らの軟禁状態を「結論は出た」として即座に解除させることで得られるものも多いというわけだ。
リヴェリナとして、この程度のことは大したことではないと寛大な対応をしたということは水面下でアリヴィエの評判として残るだろう。
そういう効果も狙いがないとはいえない。
そして押しつけがましくもならないよう気遣いもあった。
アルフリーダさん……というよりアーシェスタス家が夕食会に参加できるようにシルバナくんに要求したのは当のメルフィスだ。
そのうえでメルフィスは席から一切動かず、挨拶に来た者にだけ応対するという姿勢を貫いている。
不意の接触が起こらないように。挨拶を強制させないように。
もちろん、共に夕食会に参加している以上、アルフリーダさんが挨拶する必要はある。
ただ、そのタイミングと距離感は、完全に彼女のペースに任されている。
それは、メルフィスの優しさであり配慮だ。
「ちなみに、カドヴィくんは?」
これもまた驚くべきことだが、メルフィスはカドヴィくんの参加も許していた。
ただ、アルフリーダさんが「招待」されていることと違って彼は参加を「許す」という表現だった。
アルフリーダさんは苦笑して首を振る。
「すっかり様子が変わってしまいました。
夕食会も「招待」いただけない以上、自分に参加の資格はないと。
……申し訳ありません、ネーベルさん。
いくつか書物をお借りさせていただけて。」
「いいんですよ。
ご子息が学びたいというならば、恥を忍んで頭を下げる。
親として、まっとうな理由ですもの。」
というわけで、カドヴィくんは夕食会に参加していない。
ミリアルデ家の書庫からいくつか本を借りて読んでいるらしい。
とはいえ、今まで学ぶということをおろそかにしてきた彼だ。
学術書や史書には手を出さず、教育本や物語を中心として、まずは書に慣れることから始めるべきと助言を受けて、そういった本から読み始めているらしい。
ちなみにその助言をしたのが……。
「ほう、エルフの勇者の本か。」
「はいですの!
ミリアルデ家に代々つたわる絵物語で、わたくしも大好きなんですの!
ミリアルデ家はエルフさまの教えにしたがい、一日一ページは書物と向き合う時間をつくっておりますの!」
「そうか。エーリス嬢が賢明なのはそういった教えがあるからか。」
「そ、そんなことありませんの!わたしもまだまだこれからですの!」
メルフィスは柔らかく笑い、エーリスの頭を軽く撫でる。
「賢さは、深さを知ってより深く潜るための知がどれだけ必要であり、その深淵の色に気を引き締められる者が感じ入るものだ。
エーリス嬢は、知には深さがあるという知を知ることができている。
より励むとよい。」
「はいですの!」
すっかりメルフィスに対して懐いて可愛がられている我が弟子、エーリスだ。
彼女は、カドヴィくんの話を聞いて、
「学びの初歩は物語と、その物語に含まれる『きょうくん』を自分のものにすることですわ!」
と、これまで自分が勉強に使っていた書物を選んでカドヴィくんに貸し出していた。
面白いことに、エーリスはカドヴィくんがこれまで勉学を疎かにしてたことを一切気にしていないこと。
ただ、学びたいという人に、学ぶのに役立つものを進んで選んでいたことだ。
シルバナくんも本を選ぶのを手伝っていたので、その様子を見ていたそうだ。
なんでも、あのカドヴィくんが、エーリスがこの本はこういう事が書いてありますとか、こういったことを学ぶのに役に立ちますというのを正座しながら真剣に聞いていたのを見て驚いたそうだ。
しかも、本を選び終わった後、シルバナくんに恥を忍んで頼むといって時間があるときにわからなかったところを教えて欲しいと頭を下げてきたそうだ。
どうやら、リアナ王の発破は彼の性格そのものを書き換えるインパクトがあったらしい。
「……なんというか、親としては何を今までしてきたのだろうと落ち込む変化ではございますね。」
そういってアルフリーダさんは不甲斐なさそうに顔を伏せる。
アルフリーダさんは客室に移ったが、カドヴィくんはあえて最初の軟禁された部屋に残してくれと頼んだらしい。
自ら頭を下げて、アーシェスタス家に戻るまではここで学ばせてほしいと。
閉じこもっているわけではない。
自分の中に生まれた知りたいという気持ちや、何が悪かったのかという向き合うための時間を作っているといったところか。
尊大な態度で腕力ばかり誇っていたカドヴィくんしか知らなかったシルバナくんですら、
少しは期待できそうですね
と称賛する程度には変化があったようだ。
「親ができることは、そこまで多くないものですよ。
うちだって、娘が急に成長してしまいましたし。」
ネーベルさんがそういって、少し寂しそうにエーリスに視線を向ける。
エーリスはメルフィスから離れて、騎士たちに麦酒を振る舞っている。
騎士たちの主に対して、馴れ馴れしすぎると反感を買いすぎないように。
周囲との調和を作るように。
彼女もまた、自分で考えてこうしたほうがいいだろうを選んでいる。
「あれを教えた覚えはないわ。
私が伝えたのは、周りをみて、どうするかを考えるようにしなさいってことだけよ。」
「それであれだけ動けるのなら、あなたはいい母として導けたのではないの?」
アルフリーダさんの羨む様な声に、ネーベルさんは首を振る。
「導けたのは影響を与える変化の大きさのようなもの。
それでも結局、私ができたのは小さなことですわ。」
「まあ、謙遜して。」
「謙遜じゃないわ。
私が教えたのはひとつだけ。
「ならぬものはならぬ」
これだけよ。」
「「ならぬものはならぬ」……ですか?」
「そう。
私はあの子たちにミリアルデ家の振る舞いとしてこうしなさいじゃなくて、これはだめよくらいしか言ってないの。」
ネーベルさんはシルバナくんとエーリスを交互に見て目を細めた。
そこには、立派に育ってくれたことへの喜びと、その裏側の
「本当にこれでよかったのか」
という迷いが含まれていた。
「どうしてダメってことだけ教えてたの?」
僕は純粋な気持ちで何故をぶつけてみるが、ネーベルさんの表情に少しだけ影が差した。
「……どうしてでしょう。
ただ、ならぬことだけ先んじて教えておけば、好ましい方向へ行ってくれるからと信じていたからかもしれませんわ。」
それは彼女の後ろめたさの吐露だった。
結果としてよい方向に行ってくれた2人。
それは、本当に正しい導きだったのか、今思えばわからないという揺らぎだった。
「だって、上手くいったのは2人の努力ですもの。
シルバナも、エーリスも。
私達が育てたからああなったというよりは、たまたま外から見て立派に見える方向だっただけ。
今は、そう感じますわ。」
なるようになったのは、自分がコントロールしたからではなく、子どもたちが選び取ったから。
でも、もしその方向が望ましくない方へ向かっていたら?
止められたのか?
導けたのか?
ネーベルさんは、少し先でならぬものはならぬところだけ教えていたと思っている。
果たして親の教育として正しいのか、今でも確信が持てないのだろう。
だから、僕のどうしてという疑問がこう聞こえてしまったのだろう。
「どうしてそれだけでやめてしまったのか?……ってこと?」
僕の言葉に、ネーベルさんの方が揺れ、アルフリーダさんの表情が曇る。
ああ、人間っていうのは欲深いものだ。
もっとこうすれば。
もっとうまくできたのでは。
その一つの「もっと」ができていないと、直ぐに後悔に繋がってしまうから。
でも、僕は思う。
欲が出るということは、向上心であるということと等価であることを。
「なんていうかさ。
親としての責務を、子供に対して課しすぎかなって傍から見てると思うよ。」
それは、僕の純粋な気持ちだった。
「ネーベルさんはシルバナくんもエーリスも良い方向に行ってくれただけと評価しているけれど、2人がミリアルデ家の二柱である親2人の背中を見てないはずがないと思うんだよね。」
「背中……。うーん、そうでしょうかね?」
僕がそういうと、ネーベルさんは少しだけくすぐったそうに顔を赤くする。
左手で背中を触って、首をかるく傾げる。
「アルフリーダさんも、長男であるセルゼクくんはあんな立派でしょ?
カドヴィくんはああなってしまったけれど、元凶と思わしきレシクから離れたことで本来の姿に戻りつつあると思えば、なんというかやっぱりアーシェスタスの子らしさというものがすぐに出てきているのかもしれないし。」
「……セルゼクですか……。
そうですね。あの子はうちの人に似てきましたね。」
アルフリーダさんは目を細めて遠くを見る。
きっとセルゼクくんの顔を思い浮かべているのだろう。
首都ルビーナで出会った彼は、従者との関係も健全だった。
それはアーシェスタス家の伝統や教訓が、人を育てる形として機能していた証でもある。
だからこそ、カドヴィくんの件は、これからのアーシェスタス家にとってひとつの学びになるのだろう。
「結局はさ、親として子供の成長がどうなったと振り返ったときに、自分のおかげでとか、自分のせいでって課しすぎなんだと思う。」
僕はゆっくりと言葉を続けた。
「少しだけ導いて、上手くいったら、ああよかったね。
くらいで僕はいいと思うんだけどな。」
うまくいかないことがあったり、うまくいきすぎていたり。
それで不安になることや、これで正しかったのだろうかと思ったときに、2人は少しだけ悪い方向に捉えすぎなんだと思う。
でも僕から見れば、子どもは自分で選ぶ力を持ったひとつの人格だ。
ひとりの人間としての人格が備わっている以上、上手くいかないことなんてあって当然だろうと思うんだよ。
もっとできたのではという意識も、もっと良い母でいられたのではという不安も。
両方とも確かな向上心であり、親として立派な姿だ。
「そうでしょうか?」
「僕はそれでいいと思うんだけどなぁ。」
「……でも、子育ての責任は。
子が悪いことをしたら親にも責任があると思います。」
「まあ、言いたいことはわからなくはないけれど。
アルフリーダさんはあまり思い詰めすぎないでね。」
「……思い詰めすぎないようにはしますが、反省は生かしますわ。
私も陛下のように、学ぶことをやめないようにしませんと。」
「そうですわね。
我々も親になったとはいえ、新たな学びを選ばなくていいほど立派な大人ではありませんから。」
そういって、僕らは笑い合った。
言葉にしなくても伝わることがある。
言葉にしないほうが、伝わることもある。
母親である2人だって、かつて子どもだった。
だから僕は、これ以上の言葉を重ねなかった。
もっと気楽に機会を得たら知ろうとするだけでいいんだと思う。
僕だってまだまだ、結論の出ないなぜに囲まれているんだ。
何百、何千学んでも、出会った何故が全て解決したことはない。
子供を育てるにも正解がないなら、いつだって次は上手くいくようにやり方を考えるくらいでちょうどいいと僕は思うんだ。
そう思いながら、僕は静かにグラスを傾けた。
僕にとって、子育ても美味しい麦酒も作ることも。
どちらも分からないことを手探りし続けているのに、絶対的な正解がない。
随分と厄介な世界の不思議で、だからこそ追い求めたくなる愛おしい存在だった。




