第96話 リアナの気持ち
「陛下、あれを処分したく。」
「やめんか。余も堪えたのだぞ。」
鼻息荒く進言する大変血気盛んな騎士団長殿の提案を、リアナはため息をつきながら一蹴する。
あの謁見後、自室に戻ったリアナは目が据わったエフィをなだめる仕事が待っていた。
「ほぼ不問とするという沙汰を出した後にだな。
先ほどの無礼は赦せぬと処断などしてみろ。
大国リヴェリナは約束すら守れぬ未熟な女王が治めているなどと後ろ指を指されるわ。
そもそも、アレを見て分かっただろう?
情けをかけられたことに対してあれだけ感謝しておったのだ。
侮ったりはせんよ。
アレが芝居なら大したものだが。」
「しかし、陛下に対してあの態度は到底許されるものではございませんよ!」
エフィの怒りは騎士団の総意でもある。
あの場に居合わせたらわかるが、チリチリと肌を焼くような空気の軋みを感じていた。
リアナが「不快」と一言でも言えば、エフィだけでなく他の騎士も剣を抜いていただろう。
それくらい、剣呑な雰囲気に包まれていた。
ちなみに僕もあの言葉遣いだけはちょっとフォローしきれない。
「それもあの様子見てればわかっただろうが。
あれは無知な赤子みたいなものだ。
教育されてないものに対して、不遜だ不敬だなどと、怒るだけ無駄だろう。」
「そうはいっても……!」
「エフィが余のために怒ってくれるだけで十分だ。」
「……もうっ!」
いろいろ言いたいことがあるであろうエフィだが、リアナにそう言われては引き下がるしかない。
「陛下は寛大ですねっ!」
「そんなことはない。
……私だって、アルが関わらなければこんなことに付き合うつもりはなかったもの。」
リアナはリヴェリナの冠を下ろし、ただのリアナに戻る。
それは、本当の意味でリヴェリアスとしての役割が終わったという宣言でもあった。
本来ならば、王はここにいてはいけない。
アリヴィエにとっても、リヴェリナにとっても、王がここにいることは秘密であるべきなのだ。
それでも、リアナが一時的に王として振る舞ったのは、ひとえに僕のためであり、僕に対する忠告でもある。
アルトゥス=ヴァイツェはリヴェリナ特使である。
その本分を忘れることがないようにと。
そして、僕が適切に処理できない時、リヴェリナは動く。
それは重荷でも、恩でもなく、ただの事実。
そう示すためでもあった。
「陛下。……いや、リアナ。苦労をかけたね。」
「まったくだ。
とはいえ、アレを相手にして、私もいくつか学びを得られたような気もするな。」
「アレから学びですか?」
何も得ることなんてありませんがと言わんばかりのエフィに対して、リアナはそれなりに満足そうにうなずく。
「王になってから、自身の正しさのありかなど気にする暇などなかったからな。
正しいかどうかは、私が決めていたしな。」
「ああ、為政者の正義か……」
リアナの語る正しさというのは、あの時から繰り返していたようにリアナの理だ。
それは個だけの正義ではなく、国家を背負う者の正義。
真実より証明。
美しさより結果。
勝ち続ける覚悟と、敗れたときの責任。
そして、正しさを裁くのは神ではなく人。
そのすべてが、リアナという為政者の中でひとつの体系を成している。
そして、リアナの理には中心がある。
「私の考える正しさの中心には人がいる。
……と、同時に私もその中に組み込んでいる。
民は人。
王は人。
貴族もまた人。
全てを平等に救うために、私は政をする。
そういう青臭くて口当たりの良い理想を考えながら、私は救う対象を選ぶ日々を過ごしている。」
その言葉には、王としての覚悟と、人としての限界が滲んでいた。
リアナの前に差し出されるものは、いつだって正しいものばかりだ。
ただ、それぞれが訴え出る正しさの根元が違うだけで。
それでも、リアナはどちらがより正しいのかを選別している。
平等という口当たりの良い言葉を舌で転がしながら、どちらかを選ぶという行為をしないといけない。
その時選ばれた正しさはリアナを称えるだろう。
だが、選ばれなかった正しさはどこへ行くのだろうか。
その行方が国を害する感情にならないよう、気配りもしないといけない。
それが、為政者の正義であり、義務だ。
「だからなのか、たまにあの若者のように自分のいう正しさがどこの誰かのためにあるように錯覚する日も訪れたりするものなのだ。」
「陛下……っ。」
リアナの弱音のような言葉に、エフィは身を乗り出す。
そこには、そんなものに振り回されていることはおかしいという気持ちが乗せられていた。
もっと自由に選べば、リアナが間違うはずはない。
間違っていたとしても、それを正しさに書き換えればいい。
そんな気持ちが見えていた。
だから、リアナはそっと微笑む。
「でもな。
自分の中で正しさという言葉をあれだけ反芻して、言葉にしてみるとだな。
まあ、迷わずスラスラと出てくるものだ。
私がこれまで積み上げた知と判断が、これが私であると胸を張るようにな。」
その言葉は、王としての誇りではなく、人としての誇りだった。
積み上げたものは嘘をつかないという気持ちでもあった。
リアナはあの時、カドヴィくんに伝えた。
「学べ」と。
「だからなのか。
私はちょっと自分が誇らしくなった。
私がいまここで、そうしてこなかったものの前で雄弁に自分の信じる正しさを示すことができているのだと。
それだけの積み上げが、今の私なのだとアルトゥスの目の前で示せたからな。」
自分は学べたからここにいる。
そして、人に私はこうだと誇ったり、導きを示すこともできる。
リアナはどうだ、良くやれただろう?と僕にウインクする。
正直、僕ができること以上の結果を生み出せたリアナに対して批評できる立場でもないんだけどな。
僕は笑って降参のポーズをとることで、称賛を表した。
「満足いく答えはできた?」
「どうだろう。少なくとも……」
念のために自己採点も聞いておく。
問われたリアナが言葉を選ぶ。
ややあってこう答えた。
「賢者に頼り切る生き方を選ばない自分というものに誇りは持てそうだと感じたな。」
賢者ね……。
僕は今日何度目かのそのくすぐったくて不相応な肩書での呼ばれ方に頭を掻く。
「あの若者はな。
アルトゥスというエルフの賢者に考えることを全て預けた愚かな私の未来のようだった。」
その言葉には、リアナ自身の過去と弱さが滲んでいた。
「私はアルトゥスに憧れていた。アルトゥスが正しさだった。」
遠い日の記憶の糸を手繰るように、リアナが目を閉じる。
「同時に、全てをもつこのエルフに勝つものが自分にないなら、全てを預けてしまったほうが幸せなのではないかとも考えたことだってある。」
あの若者が、従者を頼ってそうなったようにと小さく付け加えながら。
そこには、生まれながらに強さを持つ者に対するあこがれと、どうやっても追いつくことはないからこそ委ねてしまったほうがという弱さが相混ぜになった昏い感情が沈んでいた。
「でもな、ある時気づいたんだよ。
じゃあ、アルトゥスがいなくなったら誰がリヴェリナを支えるのだと。」
永遠に近いエルフとはいえ、僕はずっと旅人を称していた。
それは、幼いリアナに対しても変わらない。
僕はずっとここに居続けることはないと教え続けていた。
そのたびにリアナはどこにも行かないでと泣いて引き留めていた。
「泣いて引き留め続けることを大人になっても繰り返していたら、アルトゥスは呆れながらも私を助けてくれていたかもしれない。
でも、いろんな書物を読んで、いろんなことを学んで。」
最後に掌を見つめて、そっと励起を起こす。
丁寧に編みこまれたアイズの力が、緑色の光を生み、リアナを包む。
「……強さを得て、気づきに至った。
アルトゥスは、最後に守るものが私と違うことに。」
「陛下……」
守るもの。
守りたいと望むもの。
その違い。
「私は、リヴェリナの民だ。」
ぽつりと落ちたその言葉は、ひとりの人間としての自己確認のようだった。
リアナは掌を天に掲げ、光に透かす。
室内に満ちる光に目を細めるように、あるいはその指の間から別の場所を透かしてみようとするように。
「アルトゥスは、旅人だ。」
……本当のところはわからない。
声色には、その違いにほんのわずかな寂しさが滲んでいた。
リヴェリナの王族として生まれた彼女。
その祖父たる王の友としてリヴェリナの客人として存在する僕。
同じ場所に立っているようで、決して同じ高さには立てない。
「アルトゥスの選ぶ正しさに委ねるということは、リヴェリナが大事にすることより、アルトゥスが大事にすることを優先することでもある。」
リアナはぐっと拳を握って、隙間を無くす。
零れるものがなくなり、リアナは愛おしそうに優しく微笑みながら気持ちをこぼした。
「そうした時、私は王族という肩書があるだけの小娘になるということだ。
強くなって、アルトゥスの隣にいるための肩書だけを頼りにそんな自分でいたくなかった。
だから、私は選んだ。」
リアナは立ち上がり、窓辺へ向かう。
茜色に染まりつつある空。その光に包まれたリアナの緑色の励起が溶け合い、まるで絵画のような光景が広がる。
「私にとって、今日それを実感できた。
それで満足しようじゃないか。
エフィリス騎士団長殿。
アルトゥス特務大臣。」
「……御意に。」
「……御心のままに。」
結局、リアナ1人を満足させるだけの謁見になったことは否めない。
それでもいい。
リヴェリナの王が、僕らの王が満足したんだ。
それに勝る成果はない。




