第95話 幕引き
「では、改めて問う。」
自身の名の中に正しさの基準を見つけたカドヴィくん。
嗚咽を堪え、涙を拭い、まっすぐにリアナを見上げた。
「カドヴィ=アーシェスタス。
己が正しさに立ち返ったところで見えた、汝の罪を表せ。」
その声音は、責めるでもなく、許すでもなく。
これまでと同じように、ただ事実を言葉にせよという王の問いかけだった。
ここに至り、リアナの口調からこれまでの問診のような響きは消えた。
目を腫らしながらも、曇りが晴れたカドヴィくんは、逃げずに表すべき言葉を探す。
それは、誰かの正しさに頼った言葉ではない。
初めて、自分の心の内から芽生えた言葉で語ろうとしていた。
「……俺は、リヴェリナの特使を……思い込みで断罪しました……。
父上どころか、母上の言葉も。
兄上の言葉も無視して……。
リヴェリナの特使が……悪人のはずがないのに……。」
その告白には、後悔が含まれていた。
こうだと思い込み、家族の言葉にすら反発した過去を悔むかのようだった。
だが、リアナはそれに対して静かに首を振る。
「やれやれ……。
思った通りの答えをしよるわ。
……それは違うぞ。」
「え?」
カドヴィくんの目が戸惑いで揺れる。
自分がようやく見つけた罪の形。
自ら伸ばした手で触れたもの。
初めての答えを否定され、困惑を深める。
リアナは淡々と続けた。
「疑うことが罪なわけがあるか。
むしろ、他国の使者など疑って当然。
余とて、他国の使者となれば相応の疑心をもって相対するものよ。」
そんなもの当たり前だろうといわんばかりの言い草に、カドヴィくんはあっけにとられる。
「ど、どういうことでしょう?
陛下は、俺が特使を疑い、リヴェリナに敵対の意志を示したからお怒りになったのでは?」
「たわけ。そもそも余は怒りすらしておらんわ。」
手をひらひらとさせながらリアナは否定する。
先ほどまでの違い、随分と緩い態度になったものだ。
カドヴィくんもその温度差に面食らっている。
「他者はその心を明らかにせず近寄る。
明らかにされぬ以上、人はまず『警戒』するものだ。
特に、他国から来た客人など、どのように考えてるものか分かったものではない。
なればまずは疑る。
それは人間として当たり前のことだ。」
そこまでは、淡々とした説明だった。
だが。
そういってリアナは人差し指をたてる。
「だからといって、その場でお前は何を考えているかわからない。
怪しいなどといって相手を捕らえたら……。」
リアナはわざと間を置き、静かに続けた。
「余は暴君といわれるであろうな?」
「……っ」
カドヴィくんが顔を伏せる。
思い当たる節がありすぎたのだろう。
実際、リアナの言う通りだ。
相手に疑いがあろうと、相手に立場があればそれは通じない。
極端な話、証拠があっても、多くの眼がある場で「断罪」を行うことは最も避けるべきだ。
何故なら、その場での礼を欠いた行動は、どれほど正しくとも貴人に対する侮辱とみなされる。
そして、貴人の後ろには国が存在する。
そうなってしまうと、話は変わる。
その断罪は、「他国」への攻撃に意味が変わるのだ。
何より、真実を明らかにすることより、大事な場で騒ぎを起こしたという失態のほうが目がつくようになる。
どれだけ正しさを掲げた行動でも、考えなしなら暴走になる。
「正しさを語るなら、どこでその剣を抜くのかも考える必要がある。」
リアナはそれを一言でまとめた。
「裁きとは、公平なものだ。
剣を抜くものに対してもな?」
カドヴィくんの瞳を覗き込みながら、含むようにリアナは続ける。
「正しさは形こそ違えど、互いに腰に差しているものだ。
正しさを抜き放ち、どちらが正しいかを比べるのは、両者に認められた権利である。」
そして、第三者の存在にも触れる。
「その場に居合わせた者たちは、両者の正しさを様々な角度から評価する。
ある者はどちらかに寄り添い
ある者は中立で見守り
ある者は評価を放棄して傍観する
正しさとは、傍観者の立場にも左右されるのだ。」
だからこそと付け加えながらリアナは正しさの形という理論の中心に何があるのかを示す。
「己の正義を貫き通すとは、一見美しい言葉に聞こえるが……。」
リアナはゆっくりと首を振った。
「実際は、その正しさの美しさに大きく左右される。」
そして、若者に教えとして告げる。
「だからこそ、正しさを証明するために人は考えるのだ。
お前はそこを考えなかった。
だから、お前が断罪されたのだ。
別の正しさに敗れた敗者としてな。」
カドヴィくんは、その答えに沈黙する。
「……それは……」
そして、少し不服そうにつぶやく。
「私が間違っていなかったかもしれないということですか?」
「間違っていた。」
リアナは間髪入れずに断言する。
「事実がどうこうではない。
お前はアルトゥスの正しさに破れたのだ。」
事実はどうでもよい。
そう言い切る王はカドヴィくんの不服をものともしない。
「お前は自分の考えるシナリオが正しいかったという仮定で語りすぎだ。
それで勝負するなら、仮定を本物にするために考えればよかった。」
「陛下、それはおかしくありませんか?
それでは、真実より証明したほうが正しいということになってしまいます。」
仮定を本物にするという言葉に、カドヴィくんは無礼を承知で踏み込む。
だが、リアナは微塵も揺れない。
「その通りだ。真実より、証明された現実こそ正しい。」
王の理は道理を蹴散らす。
リアナはその証明こそ正しいといいきる。
その断言は、王の間の空気を震わせた。
「真実の形を示したいなら。
本当に揺るがない真実だと言い切るなら。
それを示せぬものに正しさを語る資格などない。」
リアナは続ける。
「正しさを裁くのは神ではない。
人だ。
そして余もまた……
《《人》》だ。」
その言葉には、王としての傲慢ではなく、人としての限界を理解した者の静かな覚悟があった。
「お前が正しさを示すのならば、アルトゥスの示す正しさを打ち倒すべき言葉と証拠、何よりもそれを支持する状況を用意しなくてはならない。」
見えぬ罪より、積み重ねた信頼。
それを証明するための根回し。
そして、物語としての完成度。
それらが揃って初めて、誰もが認める正しさの形になる。
リアナの語る正しさ。
それは法に近い。
不完全でありながら、人に最も適した現実的な正しさだ。
「それでは——」
カドヴィくんの瞳に、はっきりとした光が宿った。
それは、恐れでも後悔でもない。
知りたいという欲求。
この王の語る正しさを理解したいという願い。
得られるものをすべて得たいという、知の探求心。
「それでは、正しさとは何なのですか……?
真実よりも大事なものなのですか……?
その正しさは……誰かを傷つけませんか……?」
震えながらも、まっすぐに向けられた問い。
それは、従者に依存していた頃の彼には決して生まれなかった言葉だった。
リアナは、静かに答える。
「言った通りだ。
正しさとは「剣」だ。
武器だ。
奪うものだ。
己の道を切り開くものだ。
自分の大切なものを守るのにも使える——
『力』だ。」
それはリアナがたどり着いた理。
道理でも、王の理でもない。
学び得たものを集めて形にした、リアナの理だ。
「正しさという力を表すために。
人は選び。
人は背負い。
人は悩み。
人は証明し。
時に誰かの正しさを模倣して。
時に誰かの正しさすら踏みにじって。
これが私の正しさだと示し。
正しさを掲げた後、勝ち続けて。
そして——
力及ばず敗れたときに責任をとれるものが『正しい』。」
その言葉の力強さに、カドヴィくんが震える。
正しさの振るい方に、敗れ去ったときに殉じるという覚悟も含めた想いの強さに、頬が上気する。
彼は今、初めて正しいという言葉の重さに触れ、学び取った。
「それが、正しいということですか?」
「余にとっての、な。」
そこにも一切の迷いはなかった。
これはリアナの正しさ。
王の語る正しさ。
同時に、万人に押しつけるものではないという宣言でもあった。
カドヴィくんは、大きく息を吸い込み、そしてハアッと長く吐き出した。
胸の奥に溜まっていた何かが、流れ出したように。
「……陛下、俺……私は、どう償えばよいでしょうか?」
その問いには、もう依存の影はなかった。
言ってしまえば王の答えのたとえを知りたいという気持ち。
正しさに殉じるという言葉の重みを知り、そのうえで「どう進むべきか」を問うていた。
カドヴィくんはその言葉の重みを感じながらも、今はまだ、どうすればよいのかわからない。
それは、迷いや戸惑いというより、もっと前向きなものに感じた。
進むため、償いという結果にたどり着くための目印。
彼が最後に求めたのは、正しさの責任という次の目標を何処に置けばよいのかということだった。
「自分で考えろ。」
だが、リアナはそういった。
敢えて突き放した。
その言葉は冷たく聞こえるかもしれない。
しかし、今のカドヴィくんには必要な言葉だった。
自分の立ち位置を知った者は、本来、誰かに答えを求めてはいけない。
間違うこともあるだろう。
でも、間違うことを畏れて歩みを止めて欲しくはない。
だからこそ、歩き方と目指し方だけ諭せば、あとは自分で見つけて欲しい。
「余はもう存分に示した。
後は勝手に学べ。選べ。考えろ。」
それは、この時間が終わる合図のようだった。
鉄の双璧が割れる。
王が立ち上がる。
「……そして、いつか答えだけもってこい。
責任をとらせてやろう。
余は、寛大だからな。」
リアナは、そういって王の間を去る。
全ての騎士が、彼女に続く。
「……ありがとう……ございます……陛下……っ!」
カドヴィくんは、ただ涙した。
その涙は、弱さではなく、歩き出すための涙だった。
駆け寄るアルフリーダさんを背に、僕も王の間を去る。
「賢者様。」
「聞く気はない。」
カドヴィくんの呼びかけに、僕はすげなくそう返す。
嫌いだからではない。
憎いからではない。
むしろ、期待がある。
だからこそ、今は聞く気がない。
どう思われようとも、彼のためにも今はまだ僕は彼の答えは求めない。
「……いずれ、また。」
今はまだ、きっとわからないはずだ。
それでも、カドヴィくんは、そういって僕に頭を下げた。
王の間の扉が閉じる音が、ひとつの事件とひとりの青年の始まりを告げる鐘のように響く。
こうして、僕とアーシェスタス家の因縁は、静かに幕を閉じた。




