第93話 傲慢と責任の象徴
リアナは、真正面から問う。
「まず問う。
なぜ、我が友アルトゥスが――
リヴェリナ特使がメイキドルアを狙ったと思い込んだ?」
その声には問い詰めるような熱はない。
どこかカドヴィくんの根を探るような、彼の中の理を露わにするための冷静な観察だけがあった。
カドヴィくんは、予想していた苛烈な叱責ではなく、心の底を覗き込むような静かな問いに一瞬呑まれそうになる。
だが震える声を押し殺し、答えを絞り出した。
「……レシク――
私の従者が……リヴェリナ特使の動きに、不穏なものがあると……。
その陰にアリヴィエ中央政府の暗躍の影があると報告してきました。」
それは、彼なりの誠意ではあるだろう。
偽りなく答えよという言葉に対して、言葉をしっかりと選んでいるように見えた。
惜しむらくは、言葉の端々に、自分の判断ではないという弱さが滲むことであるだろうか。
リアナはそこを逃さない。
「では問う。
その従者は、何故リヴェリナ特使の召喚がメイキドルアにとって害があると判断した?」
こういう時に容赦なくそこを指摘するのがリアナらしさだ。
何故なのかの理由が他人事であることが、不満でもあるという意志が現れている。
弱さに切り込まれたカドヴィくんの口が開き、閉じる。
何度も、何度も。
「……それは……」
沈黙。
答える言葉がない。
むしろ、何故そう判断したのか考えたことがないという空白だった。
その何故を自分で考えなかった理由にたどり着かなかった自分に対して、どうしてなのかを問いかける時間に見えた。
……いや。もしかすると、彼自身も理由にはたどり着いているのかもしれない。
ただ、そのあまりの姿に、彼自身が目を背けたくなるようなことだとしたら、それはの先に言葉を繋げられない理由としては納得がいくか。
だが、それは王を待たせる理由にならない。
王の時間は少なく、迷い人を導く義務もない。
リアナは冷たく言い放つ。
「答えられぬか。ならば質問を変える。」
リアナは視線を鋭く細める。
回答を得られない失望ではない。
そうであろうなという問診の継続が必要であるということであると受け止めた。
腹の底に燻る言葉にできなかった想いたちが、カドヴィくんの身体を蝕み、その苦痛に顔が歪める。
その悔しさすらお見通しのはずのリアナは、それでも待たずに進む。
「アーシェスタス家の者たちは、特使に他意はないと伝えていたはずだ。
その理由も、感情的なものではなく、道理を説くようなものだったと聞いている。
なぜ、もっとも近い存在である家族の言葉に耳を貸さなかった?」
リアナの問いは、家族を信じなかった理由ではなく、なぜその家族より一介の従者を優先したのかを問うていた。
カドヴィくんは苦しげに答える。
「……従者が……特使はリヴェリナから別の密命を受けていると。
気づいているのは俺たちだけだと言いました。」
リアナはその浅はかな理由を嘲笑うこともせず、さらに深く切り込む。
「では問う。
その従者は、いかにして他国の密命の存在を知り得た?
情報源はどこだ?
その従者にそれだけの能力があるということは、人脈のつてをお前は理解していたからこそ信頼したと見るのが普通ではないか?」
ひとつ答えると3つ以上の答えられない問いをリアナは投げかけてくる。
いや、答えられないは不正確か。
正しくは、「彼に答えがない問い」だ。
カドヴィくんは再び沈黙する。
「……わかり……ません……」
またしても消えるような声で、言葉が尻すぼみになっていく。
そういうしかない。
リアナは小さく息を吐き、そうであろうなと聞こえぬ声で呟く。
ある程度理解していたとはいえ、自身の手で暴くことで得る意味と、その正しさの証明の虚しさに、彼女もまた良い気持ちではないことは明らかだった。
「……なるほどな。」
言葉は短い。
リアナは顎に指を添わせて、しばし思案する。
そして、再び問いを変える。
「お前はずっと従者がそうしたからという答えばかり選ぶな。
それこそ、家族より信頼していると見える。
そこまで信頼する従者とは、お前にとってどういう人物だ?」
ここにきて、カドヴィくんは迷いなく答える。
「レシクとは、幼い頃から。
それこそ記憶がない頃から共にいました。
彼の言うことは、これまで間違っていませんでした。
彼が考え、俺が成す。
そうすれば、いつも大人たちが褒めてくれました。
だから……あいつがいうことは間違いないと……」
この問いには、カドヴィくんは一切迷わなかった。
むしろ、初めて自分の言葉で語ったと言っていい。
ただ、ひとつ見過ごせない事実が一つある。
彼の眼だ。
依存。
狂信。
自分の正しさを他者に預け切った者の光が、ちらりと顔をのぞかせている。
その狂った光を垣間見たリアナが目を細めた。
やはり核は、病巣はそこかと半ば確信したものの眼だった。
「では、問う。」
リアナの声は、次の段階へ進むという合図のように静かだった。
宣告への秒読みのようであった。
「従者は間違えぬという認識をお前はしていた。
その上で、その者が間違っていなかったとは、何をもって正しいと判断した?」
「……もちろん、あいつがそれが「正しい」としたことは「正しい」ことだったからです。」
カドヴィくんは、迷いなく答えた。
1がふたつあれば2となるように。
大河シルヴァリスの流れが反転して海が干上がることはあり得ぬと語るように。
彼が語ったのは、従者レシクが語る言葉が正であるという圧倒的な信仰。
リアナの瞳に、看破の光が差す。
「それは答えになっておらぬ。」
その断言は、深くカドヴィくんの懐に踏み込む鋭さを含んでいた。
そして、お前は真に言葉の意味を理解していないという忠告でもあった。
「余が問うているのは、誰にとって正しいことであったかということだ。」
その正しさは誰のものか。
カドヴィくんの答えは、従者レシクが正しいと示したから正しいという循環論法。
いってしまえば、正しさの証明するものがその正当性を担保しているということ。
その矛盾を、指摘したのだ。
リアナが問うているのは、「行動」そのものの正しさではなく、その正しさが「誰にとって」の正しさであるという部分。
つまり、主観に基づいているのかということだった。
正しさというものは、言葉の清らかさに対して証明は難しい。
誰かにとっての正しさは、その者の主観に大きく左右される。
ある者にとっての正義は、別の者にとっての悪であることもある。
例えるなら、親を討たれた子が、その仇を討つとしよう。
これは、子と子に寄りそうものにとっては正しさだ。
では、その仇に子がいたとしたら?
仇を討った子は、その子に討たれるべきであるというのが正しさなのだろうか?
いや、そうはならない。
仇をとることに成功した子は、その子にとって果たすべきを果たしただけなのだから、討たれるべき理由がないという正しさを主張するだろう。
つまり、正しさとは何を成したかという行動の属性ではなく、誰がそう思い、願ったのかという主観の問題である。
当たり前だが、リアナはそれを理解している。
だがカドヴィくんは、行動が正しいから正しいという論理から抜け出せていない。
それは思案を知らぬ幼子が振りかざす暴論に近しいものだ。
「そこを含めて答えよ。正しさとは何だ?」
リアナの問いは、お前の価値観の根を見せよという要求だったのだ。
カドヴィくんは即答する。
「悪を正すことです。」
その瞬間、リアナは深く、長い溜息をついた。
そのあからさまな失望のため息に、カドヴィくんの表情に少しだけ憤りが差した。
悪を正す。
それが何が悪い。
この王はなぜそんな当たり前のことを理解できないのか。
そんな言葉が見え隠れしていた。
どうやらカドヴィくんは誤解しているようだった。
リアナの溜息は怒りではない。
失望でもない。
ここまで示して気づけぬかという、静かな諦念だった。
「では問う。悪とは何だ?」
流石のリアナと言えど、今度は悪とは何かを語らなかった。
なぜなら、善悪の基準の曖昧さをすでに説いたにもかかわらず、なお悪という言葉を使うということは、カドヴィくんが問いの意図を理解していない証左であったからだ。
だからこそ、さらに深く、そして傷つけることを厭わず掘り進めることに決めた。
「アーシェスタス家に害をもたらす者……です。」
「では、害とは何だ?」
「……自分の……信念に反するもの……」
間髪入れぬ問いの応酬。
もはやリアナはただ掘り進めるだけだ。
この若者の空虚な正義感を。
道理の矛盾の根っこを探り当てるように、深く深く。
ただ掘り進める。
姿を確かめるためではない。
リアナにはもうそれは見えている。
だから、迷わない。
根を傷つける恐れもない。
この精神の掘削は、ただこの哀れな青年に、自らの姿を暴いて鏡越しに見せつけるためだけの悲しい証明の時間。
そして、姿の浅さを知るリアナの問いかけは長く続くはずがない。
あっさりと、根の底に触れる。
「己が信念を語るならば、問う。お前の信念とは何だ?」
「……正義です!」
リアナは、ここで核心を突く。
「お前の信念であるはずの正義の所在を何故従者に……他者に預けたのだ?
お前自身の正義はお前の中のどこにいるんだ?」
その問いが落ちた瞬間、カドヴィくんの表情は凍りついた。
彼がこれまで掲げていた正しさ。
振りかざしていた旗。
その正しさの定義は、彼自身の中にはなかった。
従者レシクの言葉が正しいものであり。
従者レシクの判断が善悪であり。
従者レシクの視点が世界の全てだった。
リアナの問いは、その事実を容赦なく突きつける刃だった。
「再度問う。
お前にとってその従者とは何だ?
お前の王なのか?」
そこには、王ならば仕方ないがという、王の理が含まれていた。
王は民の代わりに判断する。
王は白を黒に変える力がある。
故に、王が正しさを定めることができる。
それは王の傲慢であり、王の役目でもある。
王の孤独の証明でもある。
王が「正しい」と言えば、国はその道を歩む。
その道に阻む敵あれば、武をもって平定させることも厭わずに。
本来、正しさが不変ならば、戦争を引き起こす王など悪でしかない。
だが、王はそれを背負って進むのだ。
王の民は、王が築いた道を、王の後ろから付き従い、王と共に歩む。
道あれば、それは正しさだ。
たとえその道が、敵の血で塗り固められた漆喰の上に築かれていたとしても。
王は歩む。
民は従う。
王たる者にとって、正しさとは。
清らかな理念ではなく
背負うべき重荷であり
定めるべき責務であり
振るうべき武器だ
それでも、示さなければならぬ剣だ。
そう、武器なんだ。
憧れられる姿形を持ちながら、他者を屠るための力でもある。
正義とは、清らかさとは正反対にある——傲慢と責任の象徴だ。
「従者と言いながら、従者の定める正しさに準ずるお前は。
従者レシクを王に戴いているのか?」
その問いは、カドヴィくんの胸を真正面から貫いた。
そう、いつのまにか彼の中で、従者と主という主従の立場が逆転していた。
従者が見定めて。
従者が善悪を規定し。
従者が害を定義し。
従者が法を形作り。
カドヴィはそれに盲目的に従った。
それは、従者が主人であり、主人が従者に従うという、あべこべの構造だった。




