第88話 王は矛盾を構える
「王とは何だろうと考えました。」
それはぽつりと零れ落ちた一言。
リアナの王の覇気に当てられ、少し腰が抜けたシルバナくん。
そんな彼に、彼女は一つお願いをしていた。
ミリアルデ家の一室。
それもなるべく広い部屋を貸してほしいと。
その依頼を受けた直後のシルバナくんは、まだどこか現実感が戻っていないようだった。
かすれた声で辛うじて、おまかせくださいというのが精一杯であった。
リアナは頼んだと言い残してエフィと共に部屋に戻っていった。
残ったのは、僕とシルバナくんだけ。
そんな彼が茫然としながら零したのが先の言葉だ。
「少なくとも、私はメルフィス様……いいえ、リアナ様を見て思い知りました。
王を名乗る者には、備わる『格』も『覚悟』も違う、と。」
シルバナくんの言葉の端々に、リアナ女王という存在を間近に感じることで抱いた、独特の浮遊感が滲んでいる。
「……そんな方が、アルトゥス様に大きな慈しみを抱いていること。
その姿もまた、痛ましさより大きな器を感じます。」
「……器はでっかいよ、うちの王様はさ。」
僕が苦笑して答える。
実際そうだ。
僕より頭一つ分くらい下の身長なのに、リアナはそう感じさせない。
術師としての強さと、退かぬ心の美しさと。
何よりも自信に満ち溢れた振る舞いは、リアナ女王という人物を何倍にも大きく感じさせる。
それが、彼女が女王として生きるために身に着けた王器の外套だ。
その鎧のような雰囲気を纏って、リアナはリヴェリアスとして立つ。
だからこそ、彼女は大きい。
シルバナくんは熱に浮かされたように、真剣な顔で続けた。
「王はみな、ああなれるのですか?」
「ううん。みんな違う姿の王になるよ。」
全てがリアナのような王ではない。
僕は少しだけ目を閉じ、これまで見てきた王の背中を思い返す。
それでも、王は王という生き物に感じた。
「アルトゥス様はいろんな王に会いましたか?」
「ああ。リアナの父とも、祖父とも。
……他国の王も見てきた。」
「みな違いましたか?」
「違った。でも。」
いろんな王がいた。
偉大な王がいれば、どうしようもない王もいた。
賢い王の後を継ぐ愚鈍な王を見た。
それまでの王を倒し、王を名乗る王を見た。
誰も認めないのに王を名乗る者もいた。
……世界の片隅で、自分達だけが優れていると思い込む哀れな民を率いる王もいた。
「覚悟は、皆一様に持ち合わせていた。
振り返っても、拾いに戻ることはなかった。
みんな、まっすぐだった。」
シルバナくんは息を呑む。
「そうじゃない王はいなかったのですか?」
「そうじゃないものは――」
僕は静かに言葉を落とした。
「王として死ねなかった。」
その言葉は、部屋の空気をわずかに冷やす。
いろんな王がいた。
でも、思えば志半ばで散っていった王は迷いやしがらみにとらわれていた。
本人が生み出したものではない枷もあった。
そんな不条理な何かに縛られ、引きずり下ろされるものがいた。
全てをひっくり返そうとして無謀を晒し、竜の尾を踏む蛮勇で国を失うものもいた。
同情の余地がある者がいた。
同情の余地がないものもいた。
僕を好きな王がいた。
僕を嫌いな王がいた。
「王は独りだ。
なのに王は大勢の責任をとらねばならないときがある。
王は傲慢だ。
なのに王は分けなければ民を飢えさせるときがある。」
シルバナくんに振り返る。
「僕のいう事は矛盾か?」
「矛盾に……聞こえます……。」
「そうだ。王は矛盾を構えたまま生きる。」
王は独りなのに、大勢の民の罪を背負う必要がある。
王は誰よりも多くのものを手に入れられるが、多くのものがなければ配下の民は飢えて死んでしまう。
王が罪を償うわけにはいかない。
それは、多くの民を咎人と認めることになるから。
王が飢えてはならない。
自身が飢えるようでは、民を養えず国が亡ぶから。
「王は虚から実を生み出す。
リヴェリナという大きな国を飢えさせぬために、民の労働という虚から実りを生み、民を養う。」
その言葉は、王国という仕組みそのものを暴くような響きを持っていた。
リヴェリナの在り方を否定する言葉だろうか。
リヴェリナという国に寄り添い、リアナという王からもっと私に頼れという言葉を向けられた賢者と呼ばれるもの。
そんな未熟者が口にするには不敬すぎる王という存在への言及に、シルバナくんは身を固くする。
だが僕は続けた。
「……だから、王はあんなにも存在感があって、敬いたくなるんだよ。」
そうさ、シルバナくん。
僕は、そんな難しくて面倒くさくて、責任ばっかり大きいこの仕組みで……何世代も重ねて人の営みを途切れさせなかった王国という存在に、美しさも感じているんだ。
そりゃ、傍から見たら歪なものかもしれない。
でも、歪だろうが何だろうが、それを民は許してきた。
むしろ、王とはそういうものだと受け入れてきた。
言い方を変えちゃうと、王に押し付けることで生きることに保険をかける生き方を賢いものとして守り通してきたんだ。
だから、そんな王たちが王として人生を全うできるように民が支えるような国があってもいい。
逆に、王が王としての責務を果たさないから、もうお前はいらないって排除する国を寂しく思うときだってあった。
僕はそういう王たちの選んだものにあまり関わらないようにしてきた。
僕はただの旅人だから。
それこそ、リヴェリナと、昔少しだけいた国で一度くらいか。
あ、あと最初の世界樹の森。
あの時くらいだ。
この長い旅路で、王に逆らったり、王様みたいな事したり、ただの友として寄り添ったのはその3回くらいかな。
嫌な思いはした。
でも、同時に楽しかったり、安らいだ時もあった。
王がただの人であったり、逆に人間離れしてるなと感じることもあった。
でも、彼らの生き方はそれはそれとして僕は受け入れた。
だから、僕は王という仕組みも、王という存在も否定しない。
歪だからこそ、美しい。
そう思える瞬間が、確かにあったから。
「シルバナくん。王は大変だけど、やりがいはあるよ。」
にっこり笑って誘ってみる。
突然の誘いに、シルバナくんがキョトンとした表情になった。
もし、彼が王様になったらどんな王様になるんだろうね。
うーん、あんまり王様らしく振る舞えないだろうな。
まずは傲慢不遜とはどんな気持ちなのかを理解させるために、小国に攻め込むくらいの気概を持ってもらわないといけないのか。
本人すごくいやがりそうだなぁ。
「僕は、領主で結構です。」
僕の悪だくみ顔に嫌な予感がしたのか、シルバナくんはにっこりと笑って辞退する。
うん、危機回避能力は高いね。
それはそれでいい王の器でもあるか。
でも、やっぱり彼は優しすぎるな。
今を護り、より富ませる。
そういう『領主』が一番似合うだろう。
それでいい。
王に相応しいもの。
領主に相応しいもの。
民に相応しいもの。
自分がどこにあるのか、そこに相応しいとか居心地がいいとか。
そういうものを見つめて、納得して収まろうとする。
そのとき初めて、その人の中に『器』が見える。
それは本当に大事だと僕は思う。
そういう意味では、僕はやっぱり旅人っていう立場が一番いいな。
王様にも領主にも向いてないよ。
民でいるには長生きすぎるしね。
根なしの草は風に吹かれてふらふらお酒を飲みながら生きるのが一番楽しい。
誰にも相応しくないからこそ、どこにでも行ける。
「じゃあ、リアナ様は王の器ということですか?」
「うん。間違いなく。」
リアナは祖父を失った時、器の形を引き継いだ。
父を失った時、器の素材を揃えた。
王冠を戴いたとき、器を確かなものとした。
そして、今は、器に王たるは何ぞという意味を注ぎ続けている。
王器、未だ満ちず。
いつか僕もリアナの王の器に放りこまれるのだろうか。
楽しみだね。
「……あの王威に、カドヴィは耐えられるのでしょうか。」
少しだけ眼を細めて、シルバナくんがぼそりという。
「カドヴィくんと交流があったの?」
「隣領ですし、歳も違いですから。
あまり仲良くはありませんでしたがね。」
その言葉は少しだけ素っ気なく感じる。
まあカドヴィくんの性格を考えると相性はよくないだろう。
「僕らはもっと、王たるものや上に立つ者という存在を思い知る機会が必要だったのかもしれませんね。」
シルバナくんの言葉は、どこか自嘲にも似た響きを帯びていた。
シルバナくんは間違いなく『王』たる存在を知った。
もし、カドヴィくんが『王』という存在を知っていたら、彼は変われたのだろうか。
それとも、その威容に飲まれ、討つべき敵として妄執に囚われることになるのだろうか。
学ぶことを捨てていた彼が。
順序や運命が変われば。
思い知ることがあれば。
全ては仮定に過ぎない。
少なくとも、リアナを知れば。
そう信じるほかなかった。
いずれにせよ、否応なく答えは出る。
謁見の時が迫っていた。




