第81話 王は賢者の弟子を名乗りたい
ネーベルさんの研究施設の視察を終えて2人で中庭に戻ると、ここ最近よく見る組み合わせが静かに向かいあって瞑想していた。
エーリスとサリティさんによるエルドラ術式の訓練風景だ。
2人には最近呼吸の上下に合わせて励起状態と基底状態を繰り返す課題を課している。
アイズは自分の心のスイッチみたいなものをオンオフすることで流動して力を生むことは前に語ったことがあると思う。
このオンオフの際に決まった手順をとることで意識的に励起状態に持っていくことがトリガー式励起。
エーリスがやっているのは、そのトリガーを引くという心の動作も省略する反射式の励起。
とっさに襲われたときとか、不慮の事故などに会った際、身体を守るための防衛力を鍛えるための訓練だ。
エーリスは戦ったりするタイプじゃないから、ある程度反射的な励起による安全装置があると、いざというときのためになるはずだ。
エーリスは長く、ゆっくりと吸い込みに合わせて励起を立ち上げ、吐く呼吸で基底状態に戻す。
回転力もひと漕ぎ分。
意識して励起と基底の状態変化を繰り返す。
無意識からはまだ遠いが、呼吸という短いスパンで励起と基底を繰り返すことができるという時点で、術師として既に中級に手をかけている。
遠からず励起状態を安定させることができる域に達するだろう。
対してサリティさんは、エーリスのように励起と基底状態を行ったり来たりさせている……わけではないんだ。
実はサリティさんにはフッ、フッと短い呼吸で息を吐きだす時に瞬発的な励起したアイズを体内で「加速」させる訓練を課している。
これにより、瞬間的に身体強化の密度を跳ね上げることができる。
サリティさんは戦いの中で常に励起を保つ必要がある術闘師だ。
だから、普段も戦うときに、励起の維持に意識を割く必要があるんだ。
ただその戦い方って、励起状態の維持がまあ燃費が悪いんだよ。
そこで僕は彼女に、細く長く続ける低回転の励起状態と一撃に破壊力を込める高回転の励起状態を使い分ける訓練をさせることにしたんだ。
この訓練によって、攻撃を避けるときに無駄に力が入りすぎないことによる柔軟性、そして止めの一撃の威力を増すための瞬発力の向上が期待できる。
それぞれの励起状態の出力をコントロールすることで、戦術の幅と長期戦か短期決戦を選べる。戦術の幅が広がることを期待しているんだ。
サリティさんの戦い方は肉弾戦中心だ。
だからこそ呼吸と身体強化術を一致させる、【術身一合】の境地を目指す意味合いは大きい。
実際、呼吸に合わせてアイズの出力を変える考え方はサリティさんにとってしっくり来たようで、最近は身体強化術より励起の質を上げる修行に明け暮れているようだ。
鍛え方次第ではガルデスくんに匹敵するかもしれない。
そう語ったところ、さらに張り切って修行している。
「ほう……。
エルドラの使い手がいるとは聞いていたが、なかなか本格的ではないか。」
そういって、リアナは目を細めた。
まあ、どちらもリアナにとっては興味深いだろう。
方や幼いながらも励起と呼吸を合わせるほどまで安定が進んだ若き才能。
方や、瞬発的な励起の発現を無心で繰り返せるほどに成熟した戦士。
どちらも、術師として少し先を進むリアナにとって目をつけたくなる存在だ。
「……フッ!」
リアナが短く息を吐いた瞬間、その場の空気が一瞬だけピンと張りつめた。
励起の出力を、ほんの一瞬だけ跳ね上げたのだ。
すると、エーリスはパチッと目をあけてきょろきょろし、サリティさんは素早くその場から飛び退き、臨戦態勢になる。
が、こちらを見てすぐにあきれ顔になった。
その表情には紛らわしいことしないでくれという抗議がありありと浮かんでいる。
……それをなんでやった本人じゃなくて僕に向けてくるのかな?
いやまあ、立場的にできるわけないってわかってるけど、腑に落ちないな!
「はは、やるなぁ。2人とも気づけるくらい鍛えているんだ。」
当の挑発した本人はそう言って楽しそうに笑っている。
「意地の悪いことをするんじゃないよ。ちなみに僕は教えてないよ。」
「へえ。じゃあ、独力で至ってるわけだ。興味深いね。」
うんうんと頷き、なんだか嫌な視線を2人に向けている。
どう見てもいろいろ試したくなっているだろうな。
「せんせい!」
きょろきょろしていたエーリスと目が合うと、ぱあっと花が咲いたような笑顔になった。
が――リアナの姿を見た瞬間、すっと表情が穏やかな笑みに変わり、静々と立ち上がる。
「メルフィスさま。ご機嫌うるわしゅうございます。」
完璧な淑女の礼。
切り替えの速さに、リアナは少しだけ目を見張った。
この歳にしては少し幼く、舌足らずな口調が見られるエーリスではあるが、作法については同年代よりしっかりしている印象が深い。
ちなみにこれは客観的な評価だからね。
エーリスだからって甘く採点してないから。
「なるほど。
アルトゥスを先生というような仲とは聞いていたが、淑女の作法もまとまっているではないか。」
「僕はエルドラしか教えてないよ。
淑女教育はネーベルさんと、エーリス自身の努力の賜物だね。」
「私に対する評価よりかは採点基準が甘い気がするな。」
リアナがじとっとした目を向けてくる。
そうかなぁ?
僕としては評価基準を変えているつもりはないんだけどね。
「ご機嫌いかがかな、レディ・エーリス。
訓練の邪魔をして済まなかったね。」
「いいえ、おきになさらないでくださいまし。
……せんせい、先ほどのメルフィス様の励起で、肌がピリッとしましたの。
どうしてでしょう?」
「……攻撃的な意志が籠った励起だったからだよ、お嬢様。
アルトゥス様、戯れはご遠慮してくれ……ください。」
本当に勘弁してくれといった風な表情で、サリティさんがそういう。
「僕に言われても困るよ。伯が急にやったんだから。」
「……そうですか。」
そういってサリティさんはいつもと違い、あっさり下がった。
ただまあ、それならちゃんと手綱を握っておけよという意思が籠った視線がバチバチと向けられているんですけどね。
なんかもう、リアナの行動の責任は常に僕にあると思われているらしい。
間違いとまでは言わないけれど、多少大目に見て欲しいんだよな。
「エーリス嬢、キミはアルトゥスからどんなことを習っているんだ?」
「はい!
今は励起と基底のせんいをくりかえして、自然に励起状態を、えっと、おんおふ?
できるようなくんれんをしてますの!」
「そうか。エルドラ術式の発動は教えてもらったか?」
「はい!えっと、じこちゆ?の強化術は習いました!」
「自己治癒術か。
なら、医療について座学から始めるといい。
人がどうやって生きているのかを知る学問だ。
なに、簡単でいい。
血の循環にアイズのエネルギーを乗せるイメージを磨けば、自然と体の隅々までアイズのエネルギーを行きわたらせるにはどうすればいいのかを考えやすくなる。」
「いりょうですのね?
おかあさまに、おうかがいしてみます!」
「いや、いきなりそんな難しい勉強しなくていいからね?」
リアナがエーリスにとんでもないことを吹き込み始めたので、流石に止める。
一応理には適っているんだけど、そもそも生物学すら履修していないのにいきなり人体の仕組みなんか勉強しても途方に暮れるだけだからね。
「イメージを掴むのは大事なことだ。
基礎医学書の一冊でも学べば、術式への応用は可能だぞ?」
「その一冊はさらっとで済ませられる量じゃないの。伯と一緒にしない。」
「まあっ!せんせい、私だって普段からお勉強しておりますわ!
少しはできるほうですの!」
エーリスはほほを膨らませてぷりぷりと怒る。
なので、僕は無言でエーリスの頭をそっと撫でた。
急に撫でられてエーリスは一瞬きょとんとしたものの、すぐになんだか嬉しそうに目を細め、なすがままになっている。
あんまりどんどん大人にならないでほしいところだ。
学びも修行もほどほどに。
今は順序を守って健やかに成長してほしい。
「お前、やっぱりエーリス嬢には甘いな。
私に対してそういう教え方してなかったし、術式も教えなくなったし。」
ジトっとした視線を向けてくるリアナだが、正直リアナに対しても同じようにゆっくりとした成長を望んでいた。
「それは昔言っただろ。
メルフィス伯の術式の解釈は切り口が斬新すぎて、僕の教え方じゃその方向を捻じ曲げるだけだって。
それに、教えるのはやめたけれど、修練そのものは付き合っていただろ?」
「……しかし、エーリス嬢には先生と呼ばせているじゃないか。」
小声で拗ねるリアナ。
いやいや、僕が呼ばせているわけじゃなくて、エーリスが好きでそう呼んでいるだけだから。
僕は苦笑しながら言う。
「メルフィス伯のエルドラに対する理解が僕にないものだったからこそ、僕は対等な術師として向き合ったんだよ。
それを誇ってくれ。」
「……それとこれとは別の話よ。
大事なのは関係性。
私はあなたに教わっているという事実が欲しかったの。」
リアナが少しだけ頬を赤らめた、そのとき。
「せんせいと対等ですの?
すごいですの!それに、せんせいから術式を学んでいたのですね!
つまりメルフィスさまは、私にとって姉弟子さまです!」
エーリスが目を輝かせて言った。
「いや、弟子じゃ――」
エーリスの勘違いを僕が否定しようとした瞬間、リアナがすっと前に出た。
「私がアルの一番弟子よ。
エーリス嬢、ちゃんと覚えていてちょうだい。」
「いや違――」
「では、メルフィスさまは師姉ですね!」
エーリスが満面の笑みで言う。
リアナはにんまりと笑った。
「エーリス嬢はいい子だな。
そうだ。お姉さんと呼んでもいいぞ。」
「はう!?
そ、それはお母様に叱られてしまいますので、心の中だけでお慕いさせていただきます……」
「……そもそも師弟関係じゃないんだよ……。
あー、もう。勝手にしてくれ……」
なんだか変な誤解で弟子が割り込んで増えたことに対し、僕は頭を押さえた。




