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第78話 約束と契約

 エーリスはネーベルさんに。僕はリアナに。

それぞれが引きずられるように食堂を後にする。


残った使用人たちは、やっと終わったといわんばかりにほっとした顔つきになっている。

いつもより1刻は遅いであろう朝食会が無事終了したことに、皆が一様に安堵している。


だが、安堵できない者たちもいる。

それは、これから散策すると意気込む隣国の女王の身の安全を確保しなければならない近衛騎士団の面々と、ミリアルデ家の守衛団である。


前者は当然女王の身の回りの危険の排除を当たり前にこなさなければならない。

が、それ以上に緊張感で胃痛を抱えることになるのは、後者のほうだろう。


ただでさえ本来の主の不在状況。

不手際や事件、刺客や侵入者が入り込まないような警備体制の構築など、ひとつの事件でミリアルデ家の威信に関わってくる。


何も起きなければよいのではない。

何も起きる気配すら許さないくらいの強固な警備体制が必要だ。

要は女王に対して悪意を持つ人間の接近すら許させないという状況を作り出すことが大事になる。


なお、最終防衛ラインはもちろん僕だし、なんならリアナだ。

多分、生半可な刺客を送り付けられてもリアナは無傷で対応しきれるだろう。


とはいえ、もし刺客と対面を許したとなると、まずミリアルデ家の顔が潰れる。

その後、国際問題化を図ろうといろいろ工作が始まるだろうね。


だからこそ、ここにリヴェリナ女王なんかいない。

いるのはレッドフォルテ伯だ。


……っていうんだが、まあ、その接近レベルまで到達させちゃったら言い訳が紙より軽薄なものに落ち込んじゃうからね。


 リアナも最初はイクセーレナの街の散策と視察を希望してみたものの、流石に警備の問題上難しいなと答えられたら、「そうか」と一言だけ。

直ぐにミリアルデ家の庭やネーベルさんの研究室及び温室の見学で妥協を示した。


……意図はわかる。

最初に無理難題を要求し、それを断らせるという罪悪感を持たせたのち、本命を通すっていうありきたりな交渉術だ。


リアナ自身も街の散策なんて無理難題は許されるわけがないと分かっていた。

現実的には中庭をゆったり巡るくらいしかさせてもらえないだろうなと予測していたはずだ。

その現実路線で可能な着地点かつ最大の利益が得られそうなところで、気になっていたネーベルさんの研究施設を見学したいってところかな。

流石、僕が要求をのませる交渉術を徹底的に叩き込んだリアナだ。


ネーベルさんとしてもそのあたりは承知の上だろうけれど、おかげでちょっと見せるには早いルミエラエッセンスの精製や研究経過まで見せることになってしまったのには、少しだけやられたって顔をしていた。

聞き分けよく、「そうか」で妥協案を二の矢として撃ちだされてしまえば、基本的に断れない。

リアナなりの、交渉の距離感の巧みさが出てたね。


「たしかに広い庭だな。

散策としては十分楽しめる広さがありますと聞いてはいたが、リヴェリナでもこの範囲の庭はそうないぞ。」


 リアナの手を取り、ゆっくりと歩き出す。

最初のうち、リアナはぎゅっと手を握ったり、腕を絡めたり、どこか一人の女性としての甘えを存分に楽しんでいた。


けれど、庭の全景が見渡せる位置に来た瞬間、リアナの指先からふっと力が抜けた。

表情も、声の調子も、リヴェリアス(リヴェリナ女王)のそれへと切り替わる。


手は繋いだままなのに、隣にいるのは王の顔だ。

僕はその変化を、もう驚きもせず、ただ受け止める。

彼女にとって、その表情もまた、彼女の側面でしかないのだから。


 ミリアルデ家の庭園は、庭と表現してはいるものの、その範囲は庭という言葉を超えて広大である。

何故こんなにも広大かというと、ミリアルデ家をはじめとして、イクセーレナの街で消費される野菜や果実の大半をここで育てているためだ。


最近は僕が持ち込んだルミエラの畑の面積を広げる為、さらに人手と面積を広げる計画もあるらしい。

将来的にはこの庭の一部を切り出して、化粧品を生産する施設に変えていくという計画も進んでいると言えば、ただの庭と表現しては誤解を生むだろうというのも納得いくだろうか。


 人工池や東屋、そして温室とサロンが設置された景観庭園を中心として区画がいくつも分かれている。


農園

果樹園

そしてなんと食肉加工もしている牧場が存在している。

これらの区画はミリアルデ家の敷地というよりは、最早イクセーレナの街全体の事業区域といってもいいかもしれない。


 何故そんな広大な庭というか、敷地をミリアルデ家は有しているのか。

理由としては、ミリアルデ家そのものがイクセーレナの街の食糧庫を担っているからである。


これらミリアルデ家で生産された食料は、普通に街の市場に流れている。

それなりのブランドとしての価格ではあるものの、そもそも新鮮な野菜と巡り合いにくいアリヴィエというお国柄、需要と供給は釣り合ったものになっているらしい。

リアナは領家と民がこうした近い距離で結びつく構造に強い興味を示していた。


「なるほど。税収を安定させる雇用も環境も領家が整えるわけか。

とはいえ、それでは農民が生きにくいのではないか?

税を治めるために民がずっと働いているような状況にならないだろうか?

それに、領家が農産を担う場合、領地全体の生産管理の負担や不作の時の影響もかなり大きくなる可能性はないか?」


「そこはある。

特に、不作の時の影響は大きいだろう。

でも、そこはアリヴィエが貿易主体の経済立国であることが、問題を過剰に大きくしないような形に収めていく。」


「というと?」


「外貨を持ってこれるんだよ。

ヴァルエルナの領内に限れば内需は小さい。

領内で回る分は母体が小さいが故に備蓄もある程度少量で済む。

各町で生産を管理しているからどこにどれだけあるのかを把握しやすい。

生きるために最低限の保障をするための食糧事情を領家が大農園を持つことで保証。

民は綿花や絹を生む(クロウラー)を育てる為のターマという葉を育てる農家、そして朝に話したフェザー加工品。

そういったものの生産を政策で推奨する。」


「……最低限の食糧は領家が保証し、民は外貨を稼ぐ産業に集中できる、というわけか。」


「そう。いざ不作になれば、それまで蓄えてきた外貨で買い支える。

アリヴィエの仕組みは、そういう前提で成り立っている。」


 リアナはしばらく黙り、庭の奥を見つめた。

その目線は、まっすぐとリヴェリナがある方位に向けられている。


「……つまり、国内経済が中心で、隣領との約束や生産の均衡を重視する我がリヴェリナでは?」


「十中八九成り立たない。

かろうじて成り立つとしたら、ヴァルエルナと隣接した領地をもつレナストーアくらいかな。

アリヴィエの玄関口であるレナストーアは外需と内需で既に潤っているから、全体を支えるための公共事業をやれといっても、国に利益を持っていかれるだけだろうと難色を示すだろうし、東部の同じような貿易が可能な領もいい顔はしないだろう。

何より、そうなると貿易協定を結んでいる内陸の領が外需の恩恵を得られなくなり、政策を制定した王に対して不信感を抱くだろう。

リヴェリナは広大で、王家だけでまとまった国ではないということを意識するなら、なおさら安易に仕組みを持ち込めないだろうね。」


「……そうか。

民が為政者と同じものを食べられるというのは理想なんだがな。」


「リアナはそうして選べばいいだけだ。王都でならそれができる。」


「私だけが初めてもなんにもならんだろう。」


 むっと頬を膨らますが、そうとも言えない。

リアナもまた、リヴェリナの王であることの強みをまだまだ生かし切れていないところがあるんだな。


「リアナ、君の名前は?」


「リアナ=ヴァイツェ。」


「真面目な話をしたいから、一旦聞かなかったことにするね。

……君の名は?」


「……ラセルエア=リアナ=リヴェリアス。」


「そうだね。|ラセルエア=リアナ=リヴェリアス《唯一無二なるリヴェリナの王リアナ》だ。」


 そう言われた彼女は、少しだけ鬱陶しそうに肩をすくめた。

背負うものの重さを、名を繰り返すことで思い出す。


それは誇りであり、少しだけ憂鬱なことでもある。

でも、名前は責任や重圧、使命だけを押し付けてくるわけじゃない。


相応に、何かを成したいときの力に変えられる。

何よりも、その威光は誰かを惹きつける。


「リアナ、まずは王都の公共事業計画の拡大のみに焦点を絞っていこう。

王都醸造所(マスターズブルワリー)と研究所を立てたときのように、自らの主導で王都の特産品を作るんだ。」


「しかし、それでは王都の民しか……」


「リアナ、王の威光は威圧だけではない。

王の威光は、民を照らす光になるものだ。」


 僕の顔をじっと見るリアナに、含むように伝えていく。

その瞳に迷い、そして、少しの希望と期待が灯されて揺れていた。


「良き王が民を愛するように、愛されていると感じた民は王に憧れを抱く。

そんな王が民が普段から食べているものを好むと知ったら。

その作物を王自らが居城にて作らせるほど食べているとしたら?」


「……民は、そんなに単純ではないだろう。」


「それは自分がどんな憧れを抱かれているのか過小評価しすぎだな。

民はリアナが思っている以上にリアナを認めている。

僕はそう思っている。」


「……私自らが旗振りして、王侯貴族おうこうきぞく、民との垣根を取り払うような政策を立てれば……」


「それでは王侯貴族が付いてこれない。」


 僕の断言に、リアナの顔が歪む。

リアナは貴族社会を好んでいない。


民も貴族も人ではないか。

それが彼女の意志でもある。


でも、僕はリヴェリナという国が王制のまま大きな戦を経ずにここまで来た歴史は、平等たる世界ではなし得なかったと考えている。

王制と貴族による世界とは、それが都合の良い世界であったからこそ選ばれたものだ。


重ねてきた歴史を無視して、全ての垣根を取り払ってはいけない。

垣根は低くするならいい。

でも、垣根とは他者との境界線だ。

貴族の領分(ノブレスオブリージュ)に民が踏み込まないように守ってきたという側面を無視してはいけない。


「リアナ。我が友も、その子どもたちも……。

貴族社会を変えようとしすぎて大きく反発されてしまった過去がある。

その過去を鑑みれば、リアナが貴族社会を嫌う気持ちも分からなくはない。

それでも、彼らだって自分たちの仕事をしてきたのに、聞こえのいい理想で自分たちの立場を脅かされることを畏れてしまったことを忘れてはいけない。」


 僕の言葉に、つないだ手をぎゅっと握るリアナ。

ほんの少しの緊張感が伝わってくるような、堅くてすがるような想いが込められている。

その力は、強くて、少し震えていた。


「だからこそ、垣根を取り払うなら境界線も残すために王は腐心しなくてはならない。

貴族が悪を成すなら、その悪のみをまずは憎め。


全てを憎むな。


歴史という人間の歩みは、急速な変化に耐えられない者たちを生む。

だからこそ、変化は焦るな。

きっかけを与えて時を待つんだ。」


「……私には、そんな先まで待つ時間はない。」


「僕にはあるよ、リアナ。」


 その言葉に目を丸くするリアナ。


「少なくとも、君がいる限りは見守るし、願うならその先も見届けてもいいかなと思っている。」


 言葉にしてこなかった想い。

あの時、泣きついてきた一人の女の子の涙。


その罪滅ぼしなのか。


それとも遠き日の友との約束をもう少し自分の手元に残したかったのか。


どっちなんだろう。

今はただ、伝えたかった。


「……私が欲しいのは……」


 しかし、彼女が欲しがったのは。


「やっぱり、リアナ=ヴァイツェかな。」


 そういって顔を少し赤らめた彼女は僕の手を放し、僕の前へ進む。

そして振り返り、笑った。


「王の夢。

私の夢。

どっちも叶えたい。


でも、優先するのはそっちだよ、アル。

だから、私との約束は――」


 ぽふっと胸に飛び込んできた彼女を受け止める。

軽くて、暖かくて――昔と変わらない笑顔のリアナは、無邪気に願った。


「私が死ぬまで、一緒にいることだけでいいよ。

その先は、アルの好きにしていいよ。」


 そう言って笑う彼女の願いは、古の契約を静かに上書きするものだった。


あの時は王と賢者。


今は女の子と旅人。


どっちがより守らなきゃいけない約束なのかは……。




ま、言うまでもないよね。

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