第76話 エルフさんの無料延長
いつもと変わらない光が窓から差し込み、僕は無言でベッドから身を起こす。
カーテンを開けて窓を開けば、ヒヤリとした空気がスッと室内に吹き込み、少しぼんやりとした思考を綺麗にしてくれる。
軽くのびをして身体をほぐしていると、寝室のドアが軽くノックされる。
どうぞ、と軽く声をかけると、一人のメイドさんがワゴンをひきながら部屋に入り、軽い会釈をする。
「失礼します。アルトゥス様、おはようございます。
お水とお顔を拭くものをお持ちしました。」
「ああ、いつもありがとう。エミさん。」
僕がお礼を言うと、メイドさん――エミさんは顔をあげてふわりと笑う。
彼女は毎朝僕の起きる時間に水差しと清潔なタオルをもってきてくれる。
僕はコップの水をゴクゴクと喉を鳴らして飲み干した。
最近寒くなったからか、少し暖かいお湯になっている。
飲み終えたのを確認したエミさんが、今度はタオルを差し出し、僕はコップと交換するように受け取る。
この一連の流れが、ミリアルデ家の目覚めのルーティンだ。
彼女との付き合いも、それが当たり前に思えるくらいに続いている気がする。
最初の頃こそ割と朝早く起きてしまうから、気にしなくても大丈夫だよと遠慮したことはあったな。
ちなみにその時も、エミさんはこういった。
「初めて朝のご挨拶をした時、こうしてお水をお持ちしたとき、素敵な笑顔を見せてくださいましたので。
それが見たいのです。
ですので、やらせてください。」
そういって頭を下げてくれたものだから、断るのも悪くなってしまってそのままこうして日課のようになってしまった。
いや、朝に飲み物と顔を拭くものを持ってきてくれるのは嬉しいけれどね。
本当に負担じゃないのか聞いたこともあるが、
他のメイドにこの仕事をとられるほうが負担です。
なんて言われてしまった以上、僕は何も言えなくなった。
どうもメイドさん達の間で、僕に対してのもてなしはこうやって多少強引に押し付けるべしという教えが回っているようで、僕はなすがままになっている。
いや、迷惑って話じゃないよ?
むしろやってくれてありがたいことばかり世話になってしまっているので、そんなことまでしなくていいんだよって示したいの。
でも、それを言うと、
アルトゥス様は私たちにお仕事をさせてくれないなんて、酷いお客様です。
なんて冗談を返されてしまった。
まったく、僕を手玉に取るなんて困った子たちだよ。
ヴァルエルナのおもてなしは変化のおもてなし。
僕に最適化されたおもてなしが、こういうちょっと強引な押し付けが良いと思われたのは多少心外ではある。
だが、正直甘えるにしたってこれくらいできるのになって思ってしまう僕にとっては確かにこの強引さは心地いいものになっている。
いつもと変わらず、僕がコップをとって軽く傾けると、エミさんが自然な流れでお替りを入れてくれる。
ああ、そういえば昔はお水かお茶か聞かれたことがあったっけ?
朝から麦酒という選択肢は?と問いかけると、にっこり笑って
「朝からお酒の匂いを振りまくと、アルトゥス様の沽券に関わりますので」
と却下されたこともあったな。
まあ、彼女もすぐ冗談だと思ったからこその回答だったね。
さて、いつもと変わらないやり取りの中、僕はいつもと違う昨日からの変化が気になった。
エミさんが知っているかどうかはわからないけれど、一応聞いておくかな。
「エミさん、レッドフォルテ伯は?」
「朝はリヴェリナの騎士団の皆様にお任せしております。
前日から翌朝についての相談をしており、タオルをはじめとした日用品は持ち込んでおられるとのことでしたので、水とお湯を沸かす施設の使いかたのみ共有しております。
伯爵様からアルトゥス様に伝言を預かっております。こちらを。」
そういって、エミさんから簡単な書留を受け取る。
そこには、あの子の字で一言。
「朝食の部屋までエスコート。朝食後は散策に付き合いなさい」
僕はひとつ嘆息すると、手紙をそのまま懐にしまいこんだ。
エミさんもそれを見届けてから、ひとつ会釈して部屋を後にした。
「割と重症なんだな。」
漏らしてしまった言葉に頭を掻く。
こんな手紙を託さなくても、あの子は僕にそういえばいいだけなのに。
先に予定を埋めないと不安になっているのかもしれない。
たったふたつの文の行間から、想いが滲んでいた。
そういえば改めて振り返ってみると、僕が長期間王都を離れる経験をしたのは、あの子が物心つくようになって初めてだな。
リヴェリナ国内も広いけれど、あの子が呼び出せば2週間もあれば王都に戻れるような距離でしか離れたことがない。
だからこそだろうか。
こんなに一緒にいることを要求されるということに、余裕のなさを感じてしまう。
あの子にとっては無意識かもしれないけれど、掴んでいないと不安になっているのかもしれないな。
「……契約期間、少し延長した場合はどうなるんだ?友よ……」
窓から季節に似合わぬ少し暖かい風が吹き込み、僕の頬を慰撫するように撫でる。
雲の上の友は、どうやらまだ僕に少しだけ語り掛けたくてたまらないようだ。
「……かまわないさ。
僕にとっては、100年くらい誤差でしかないんだからね。」
僕は窓から軽く身を乗り出し、言葉を溶かすようにフワリと空へと意思を伝える。
窓から吹き込む風の香りには、かつて友と語り合ったリヴェリナの空の匂いが混じっていた。
『私の孫が立派になるまででいい。お前の時間をくれないか?』
『いいけど、邪魔者扱いされたら消えるからねー。』
約束を交わしたあの場所。
リヴェリナの花の甘い香りが混じっているような気がした。




