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第70話 麦と海の青、交わる時

 トゥガナト山脈は大陸を左右に分けるように横たわり、(逆Lの字)型に東に伸びている。


このうち、その南側の沿岸部。

山脈の影に寄り添うように、小国がいくつも連なり、やがて連邦を組んで生まれたのがアリヴィエ海邦かいほうだ。


 そのアリヴィエ海邦の中で、唯一リヴェリナという大国と国境を接しているのがヴァルエルナ領。

一見、大国の(ひさし)ではなく、あえて大海へ出る船を選んだ変わり者に見えるかもしれない。


 しかし、これには理由がある。

当時リヴェリナは、既に大きな国土を保有する大国であった。

そこに新たにヴァルエルナという小さな国が参入するとなれば、深々と頭を下げ、寵愛ちょうあいを乞い、何かを差し出す。

そんな屈服外交を避けることはできなかったであろう。


 ヴァルエルナは、それを良しとしなかった。

だから、選んだ。

新しい国というアリヴィエ海邦への合流という道を。

大国リヴェリナとアリヴィエを繋ぐ道になることを。


幸い、この時のリヴェリナはこれ以上の国土拡大に対して消極的で、むしろ広がりすぎた国土に対して相応の腐敗ふはいの空気に手を焼いていた。

少なくとも、王の寵愛ちょうあいがトゥガナトの足元に敷かれるようなヴァルエルナという新たな領に届けられる余裕はなかった。

結果としてその腐敗がリヴェリナ南部とヴァルエルナという二者を今日まで繋ぐ関係に押し上げたのは皮肉ではあるが。


 だからというわけではないが、ヴァルエルナという領はリヴェリナとかなり距離が近い。

……地理的な距離じゃないよ。

いやまあ、隣接しているから距離でもあっているけどさ。


僕が言いたいのは、文化であったり思想信仰という心の距離ね。

リヴェリナがアリヴィエと深く結びつけたのも、ヴァルエルナが率先してリヴェリナ南部との関係を深めていた歴史があるためだ。

王都周辺から南部の田舎とさげすまれていた時代から、リヴェリナ南部の領はヴァルエルナと肩を寄せ合い、互いに支え合ってきたのだ。


 だからこそ、リヴェリナはあまり気負わずヴァルエルナを訪れることができる。


できるんだが……。


「エフィ、なんで連れてきちゃったのさ!?」


「止められるなら止めております!

止まらないから、こうなっているんですよ!」


 言いたいことはわかるけど、勘弁してくれよ!

気軽に訪れることができるということと、訪れていいことはイコールではない。

ましてや、王室近衛騎士団長ともあろう立場の者がそれを分からぬわけではない。


つまりは、「無理を貫き道理を通す」タイプの人間が来てしまったということだ。


 僕の叫びに対して負けじと、こちらにも事情があるんですと言いたげに頬を膨らますエフィ――エフィリス王室近衛騎士団長おうしつこのえきしだんちょうの言い分はわかる。


事情もなんとなく察することはできる。

彼女も立場上、強く行動を止めることはできない。

止めるにはそれなりの正当性があれば、周りもとりなしてくれるだろう。

何より、本気でその進退を賭して逆らうなら止めることはできるかもしれない。


が、基本的にそういう事をさせないように言いくるめるのがあの子だ。

でもね、今回の件はちゃんと止めて欲しいんだよ。

何せ、国をまたいでいるんだからさ。


「先方になんていうつもり!?」


「レッドフォルテ伯爵として通らせていただければ!」


「通るか!」


「あの方はそれで押し通す気しかありませんよ!?」


 やめてくれ、本当に。

僕は頭を抱えた。


いやまあ、この事態を全く想定してなかったとは言わない。

使節団を呼ぶということに対して、それなりの権力者を立てる必要はある。

だからこそ、あの子は真っ先に自分が行くと言い出すに決まっているとは思っていた。


なので、あの子に対しては本当の目的をちゃんと打ち明けていたのだ。

隣国の揉め事に首を突っ込んだ。

解決させるためにリヴェリナの名前を使った。

迷惑はかけないように、内々でうまく処理したい。

だからこそ、適当な使節団を送ってほしいってね。


ここまで言えばわかるだろう?

適当な権力者だ。

過剰でなくていい。


なんなら、外交官の1人でも送ってくれればそれで済むくらいの軽い事情だから、お前は来るなよ?

そう暗に示していたのだ。


でも、来ちゃったのだ。

偽名を用意して。


つまり、あの子は全てを理解してここに来たのだ。

「事情など知るか!」と言わんばかりに。

というか、当てこすりの気持ちすらこもっているだろうな。


「はあ……もういい。わかった。

ちなみにあの子の要望は?」


「アルトゥス様に会えれば大人しく帰るから、とにかく連れていけと。」


「先方に会うことが目的じゃないのね?」


「そのためのレッドフォルテ伯爵です。」


 はあ、そうですか。

まったく、面倒なことになった。


つまり、身分は隠したままでヴァルエルナを訪れはするが、特にそれ以上を求めるつもりはないと。

しかしね、多分即バレするんだよ。

そういう雰囲気があの子にはあるからね。


「こちらは護衛を含めて事前に準備していないんだ。

それに、当主が現在出陣中で不在だ。

多少の無礼は見逃せよ?」


「伯爵対応で十分です。

あのお方もお言葉に無理がある自覚はおありですから。

代わりに、アルトゥス様はしっかり時間をとっていただきたく。」


「……わかってる。

だが、ある程度口の固い身内には真実を伝えておくからな。

そうしないと不測の事態に抗いきれない。」


「……そこまで状況は悪いのですか?」


「いや、まったく。

ただの万が一への備えだ。

優先順位を誤らせない為にも、護衛には真実を伝えておく。

信頼できる者たちだ。」


「アルトゥス様がそう仰るなら、こちらから何もいうことはありません。

では、お連れいたしますので、道中はよろしくお願いします。」


「王室近衛騎士団長殿!?職務放棄か!?」


「これ以上、抑えが効かないんですよ!

今この場にいないというだけで我々は相当努力したということをご理解いただきたい!」


 そういって、用は済んだといわんばかりに団長殿は僕に背を向けて逃げるように駆け出した。

くっそー、こっちの承諾も得ず押し付けやがって。


はぁ、もうやだ。

この後の展開を考えると、あの子と2人きりとか勘弁願いたい。

ミリアルデ家に到着する道中だけでもネチネチと嫌味や愚痴ぐちをぶつけられることが確定してしまった。


 イクセーレナの街の一角。

明らかに豪奢(ごうしゃ)な馬車が国境の検問所を通って入ってくる。

その物々しさとリヴェリナ方面からのお客様ということで、住人の皆さんも遠巻きながらも、物珍しそうにその様子を見守っている。


僕は出迎えを担当していたイクセーレナ役員に軽く声をかけて、対応を代わる。

彼の手元の書類を見ると、そこにはレッドフォルテ家伯爵の名前。


本当に伯爵として入国したようだ。

まあ、それ自体は正しいかな。

ここで大騒ぎになっても困るしね。


僕は意を決して馬車に近づいた。

エフィ団長は訪れた僕に、あからさまにほっとしたような表情を浮かべながら馬車の中に声をかけた。


なんだよ、逃げられることも考えていたのか?

あいにく、僕も馬鹿じゃないからね。

あの子がきた以上、ちゃんと対応するくらいの分別はあるよ。


「そうか。では、出る。開けよ。」


 馬車の中から掛けられる声は身が引き締まるような鋭く、しかしどこか聞く者の心に響くような透き通った声だ。


「はっ。……周りに民衆がおりますが。」


「構わぬ。今の余はレッドフォルテ伯爵だ。堂々としておれ。」


 そう応える馬車の中の主に、エフィ団長は顔をしかめる。

が、これ以上の問答は無駄と悟って馬車の扉を開いた。


周りの近衛騎士が視界をふさぐように馬車を囲む。

僕は、その場でひざまずき、頭を垂れた。

カツン、カツンと靴が鳴る音が響き、僕の前で止まる。


「許す。頭をあげよ、アルトゥス=ヴァイツェ。」


 許しを得て、ゆっくりと顔を上げる。

そこに立っていたのは、頭から薄いヴェールを纏った一人の女性。


だが、それだけではない。

彼女がそこへ、ただ立っているだけで、空気が変わる。


 若い麦のような青緑の髪。

陽光を受けて白く輝きを返す、神秘的な色。

僕の髪が実りの()()なら、彼女は芽吹きの()

生命の始まりと躍動を思わせる色彩。


切れ長の瞳は、覇気を宿した深い青。


結ばれた口元は神像のように凛とし、その立ち姿だけで王威が溢れ出す。


無駄のない、鍛え抜かれた身体。

常に励起を絶やさぬ術師としての確かな気配が、少しだけ覗く肌の下で静かに脈打っている。


彼女がただそこに立つだけで、周囲の空気が()()()へと変わる。


 彼女のその鋭い眼差しがアルトゥスを認めた瞬間、ほんのわずかだけ緩む。

鉄血の王の顔から、優しく微笑む乙女への変化のような、誰にも気づかれぬほど微細な変化。



 彼女の名は、ラセルエア=リアナ=リヴェリアス。



 リヴェリナ国第35代女王、リアナ。



 唯一無二(ラセルエア)大国リヴェリナの王(リヴェリアス)が、ここアリヴィエ国に確かに降り立った。


 その瞬間、僕らの間に吹いた風。

その温度は、あまりにも早すぎる春の風だった。

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