第68話 穏やかな日々と
ヴァルエルナでの日々は、今までの慌ただしさが嘘のように穏やかだ。
朝は涼しい風が森から吹き下ろし、ミリアルデ家の屋敷の中にはいつも誰かの声がある。
忙しさが消えたわけではないのに、どこか心が軽い。
やることは山ほどある。
まず、メインの開拓事業の進捗確認。
オッドモンド長官殿からの報告で、開拓の進捗は把握している。
また、開拓地の人員の健康状態、モチベーションの状況についてはユディ――ユディス=アドンナに報告を書かせている。
オッドモンドくん曰く、ユディは僕がいないことを寂しがる様子はなく、むしろやることを任されて今まで以上に張り切っているそうだ。
よし、君にしかできないことだよって個別にお願いしていたことが上手く作用したな。
なんていうか、乙女の純情を弄ぶようで申し訳なくもなるけど。
研究チームには農地開墾予定地の荒野の土壌調査を進めさせているが、塩分が多い土地では塩抜きが必要になるだろう。
その場合、以前話した「塩草」――地中の塩分を吸い上げる植物の研究が必要になる。
彼らとの仲介はミルシャさん――ミルシャ=ハイムマンに頼むのがいいだろう。
もちろん、僕が直接お願いしてもいいとは思う。
でも、中央政府からの要請という形のほうが、動く側としても筋が通る。
関わる人間が増えるときほど、特使としての公式な手続きを踏む。
たったひとつの手順だが、形式を守るということは大事なことだ。
とはいえ、ミルシャさんにはいつもお願いばかりで申し訳ない気持ちになる。
定期的に連絡を取っているが、話題はどうしても仕事のことばかりだ。
たまにはお酒のひとつでも贈って、労わないとね。
彼女はそういうものをあまり喜ぶタイプではないだろうが、そういった気遣いそのものは邪険にしない人だ。
良い関係を続けるためにも、お礼はしておこう。
屋敷での僕の仕事は、主に2つ。
ひとつはもちろん、エーリスの術式教育だ。
エーリスは驚くほどの速度で成長している。
基礎である身体強化の発動まで、あっという間に会得してしまった。
多分なんだけど、彼女は感覚で術式を理解している。
アイズを回転させる軸を右手に移動させるという普通なら思いつきもしないことを、どうやって発想したのか聞いてみたことがあったのだが。
「そ、その。初めて【励起】をしたとき、先生がほじょしてくれていましたよね?
あのとき、回転させてもらうたび、いちばん《《まんなか》》がいつもずれている気がしましたの。
なので、回転させる《《まんなか》》はきまってないのかなって。」
わあ、凄い。
確かに僕は、最初のころ補助として背中からアイズの回転を手助けしていた。
その時の「最初のひと漕ぎ」の始点が違うということを自覚してたってことだ。
しかも【励起】させたアイズの光り方も僕と同じ色になったってことは、まさか……。
「もしかして、僕の術式の色もなんとなく掴んでいた?」
「色?……うーんと、先生のマネをしようとしてみましたわ。
あの時の優しい黄金色の光と、先生のアイズのあったかさをなんとなく再現しようと意識してみたんですの。
それで、右手にいっぱいあったかいのを集めたら、同じ光がでてきましたの!」
はい、この子ってば無意識に【収束】どころか【変化】の極意に指をかけていました。
どういうことかって言うと、アイズは体内にあるとき、自分自身の【エルドラ術式】を構築する前段階にある。
普通はそこから自分の術式を組み上げていくのだが、エーリスはその工程をすっ飛ばして、僕の【エルドラ術式】の模倣を行っていた、ということだ。
……いや、待って。
模倣って、そんな簡単にできるものじゃないんだけど。
今後の教え方も、いろいろ考えさせられることになりました。
とにかく、彼女は特別だ。
導き方を誤らないよう、危険も希望も、どちらも等しく教えていく必要があるだろう。
サリティさんも一緒に修行しているが、エーリスが術式の発動すら一度見せたらすぐに形できてしまったことに目を丸くしていた。
なんならエーリスの才覚に対して、多少の危機感を感じてしまったようで、無言で僕の肩をバシバシと叩いてきた。
ええ……?僕のせいなの……?
ただ、エーリスとの修行は彼女にも良い発見があったようだ。
エーリスは好奇心からいろいろと試す癖がある。
力の回転方向も左右だけでなく、かなり立体的に認識しているようで、そのたびにサリティさんへ「これはどうなるの?」と質問していた。
サリティさんは、回転の速度を重視する教えを受けていたこともあって、方向という視点を初めて意識することになった。
エーリスに自分で試した結果を教えるうちに彼女自身の術式との向き合い方も変わっていた。
慣れている力を維持させる回転方向以外で自身を強化すると、術式の発動にムラはできるが、瞬発的な力を発揮できるなど、新しい発見もあったようだ。
最初はあれだけ立場を気にしていたサリティさんも、いまでは積極的にエーリスに術式について教えるようになった。
完成していたと認識していた身体強化術にバリエーションが増えたと喜んでいる。
アレストくんも術式に興味を持ったので教えているが、励起の段階で少し手間取っている。
別におかしいことではない。
今まで術式に触れてない彼がいきなり励起できるようなものじゃない。
それこそ、エーリスにしたように僕が補助したりしながら、心の中でトリガーを引く感覚を少しずつ覚えてもらっている。
何より、身体に馴染むまで戦いの中での術式の発動を禁じておいた。
これについては不満そうにしていたが、武術の道では術が絶対ではない。
無意識で剣の振り方を覚えるように、術に気を割いていては勝負にならない。
あくまで剣の道で頂を目指すように伝えてある。
一応、その志の高い目標を設定したことで納得はしてくれたようだ。
だが、多分そのうち術式を戦いに組み込むようなことを始めるだろう。
その時はその時だ。
状況を見て、術式を戦闘に組み込むための意識の割き方と戦い方を教えるつもりだ。
叱らないのかって?
そんなことしないよ。
結局そういった工夫が強さの壁を打ち破る何かのきっかけに繋がったりするものだ。
彼が焦らない限りは、彼の工夫を止めてはいけないとも思っている。
焦りは習得を遠ざける。
だが、焦燥が成長を促すことも否定してはいけない。
励起を覚えれば体力回復にも役立つ。
今はこれだけで十分だ。
目の前のひとつの課題に向き合うよう、ゆっくり諭した。
何より、困ったら自分の中で解決するのではなく、僕を頼るように言った。
いいんですか?なんてとぼけたことを言われたが、当たり前のように手助けするに決まっている。
彼は僕の従者なんだから。
そういったら、ふいっとそっぽ向かれた。
まったく、素直じゃないね。
屋敷での僕の仕事のもうひとつは、ネーベルさんの化粧品研究のアドバイザーだ。
「アロマオイルの量産の目途は立ちましたが、肝心のルミエラの栽培において多少問題が生じてますね。
いただきました種から育ちましたルミエラのうち、半分近くが生育不良です。」
今日は白衣にゆるめのワイシャツ、動きやすそうな紺色のパンツスタイル。
研究者ネーベルさんの正装だ。
ルミエラとは、僕がヴァルエルナ領に入って初めてミリアルデ家にお邪魔した時、ネーベルさんに預けた植物のことだね。
今はそれを使った化粧品の開発が彼女の楽しみのようだ。
「生育不良というと?」
「一株あたりの葉の大きさがかなり小さいです。
また、圧搾法でとれるものも通常より匂いが強いのです。
現状は病気の疑いもありますので、それらは別の畑に移しておりますが……。
処分も考えていますが、まずはアルトゥス様のご見解をいただいてからにしましょうと植物に詳しいものが提案しています。」
「そうなんだ。じゃあ見てみようか。」
ふむ、同じ植物で生育不良なら土壌の栄養素が足りなくなっているだけの可能性があるけど、半分近くというのが気になるね。
ネーベルさんに連れられて、ミリアルデ家敷地内の畑に向かった。
ネーベルさんが研究気質なため、貴族らしからぬ牧歌的な雰囲気の区画があるんだよね。
ミリアルデ家で出される新鮮な野菜は主にここで作っているらしい。
しかも、働いているのはリヴェリナの移民とのこと。
どおりでリヴェリナ並の新鮮な野菜が食べられると思ったよ。
ちなみに、移民といってもちゃんとした手順を踏んで移動した方だよ。
リヴェリナ側にもアリヴィエからの移民はいる。
商人とか、農家の次男坊以降で、家を継げない子とかもいるからね。
そういった子たちの受け皿にもなっているんだ。
「これが頂きましたルミエラを栽培したものです。
右が大きく育ったもの。
左が生育不良と見られているものです。」
ま、そんな話は置いといてだ。
ネーベルさんは比較用に鉢植えに植え替えてくれた二つのルミエラを見せてくれた。
確かに大きく育っている方に対して、小さいほうが妙に育ってないように見える。
でも、全体のシルエットは同じだなぁ。
「病気でしょうか?でも、どこか枯れたりとかはしてないんですよね。」
ネーベルさんはそういって首をかしげる。
うーん、確かに変色も見られないし、葉の裏側に何か変な虫がいる様子もない。
というか、話を聞く限り、小さいほうのルミエラも同じようなサイズ感で育っているってことだよね。
……あれ?これ、もしかして僕がやらかしてないか?
「ちょっと、葉っぱをちぎってもいい?」
「あ、はい。どうぞご自由に扱ってください。」
ネーベルさんの快諾を得て、それぞれの葉を一枚ずつちぎる。
まずは大きいほうの葉肉を指で掬い取り……おもむろに口に突っ込んだ。
「あ、アルトゥス様!?」
「ん~……。
普通のルミエラの味だね。無味に近い。
……あ、ネーベルさんごめんね。
これが一番手っ取り早いからさ。」
「そ、そういうものですか?」
「僕はエルフだから、マネはしないでね。
ちなみにルミエラは最初に話したと思うけど、食べても害はないよ。
化粧品にできるくらいには人に害のない植物だから。」
「食べられるというのは聞いておりませんっ!」
どうしてそういうことを言わないのかと頬を膨らますネーベルさん。
エーリスの母親ってわかるねぇ。
教えてなかったっけなぁ。
まあ、今教えたから、今後はそっちの方向でも何か始めるつもりなんだろう。
手元のバインダーに食用可能!と大きな文字で書き込まれた。
それを横目に僕は小さいほうの葉肉を指で掬って、口に含んだ。
「……あー、うん。」
やっぱりだ。
こっちには微妙な甘みとそれ以上に強い鼻を抜ける草の刺激的な香り。
僕は、この香りに覚えがある。
「ネーベルさん。」
「どうでしょうか、アルトゥス様。
やはり何か問題があるのでしょうか?」
「ごめんなさい。」
「え?」
「これ、ルミエラと同じ種類だけど違う植物だ。
麦酒のフレーバーに使おうとしてた別の植物。」
「……アルトゥス様?」
「似てる種だから、間違えて渡しちゃっていた。ごめんね!」
「アルトゥス様!?」
いやー、そういえばこの植物が生えていたところに二種類の多肉植物かつ大きさが異なるやつが生えていたんだっけ?
それで、この草と柑橘っぽい香りが麦酒のフレーバーに合うかもしれないって、一緒に採集して増やしていたっけ!
あはは、忘れてたよ。
「ちなみに、これも食べられるし、なんなら食べるといい効果があるんだよ。」
「……ど、どのような効果が?」
「えっと、お通じがよくなるよ。」
「……アルトゥス様!!」
めっちゃ怒られました。
いや、間違って違う種類の種を渡してしまったことじゃないよ?
そんな画期的な効果がある植物の存在を忘れないでくださいって。
はい、ごもっともでございます。
結局、このルミエラによく似た植物を「クラリエラ」と名付けられ、別途独自研究をすることになりました。
「アルトゥス様のおかげで、ヴァルエルナに新しい名産がまた増えそうですわ!」
とてもいい笑顔でスキップするネーベルさん。
こちらはとりあえずこの強い草の香りをどうするのかが課題だと思うので、そこの改良や成分抽出方法についてアドバイスしていこうと思います。
とりあえずはそのまま水に溶いて飲み続けたネーベルさんの肌が日に日によくなっていくのを見たミリアルデ家のメイドさんたちが率先して人体実験……じゃない、治験に参加してくれている。
今のところ、スープにするのが一番食べやすいのではないかという結論がでている。
が、熱を通す場合、お通じが良くなりにくいと反論するメイドさんもいるらしい。
どちらにせよ、まだまだ研究の余地がありそうだね。
「麦酒のフレーバーとして使うつもりだったんだけど。」
「そんなもったいないことに使えません!
こちらも一般流通させて、安定供給できるように研究を進めます!」
うーん、パワフル。
やはり美に対する女性の熱意とは恐ろしいものがあるな。
そのうち、リヴェリナでも栽培するように勧めてみようかな。
そうしてミリアルデ家での日々は穏やかに過ぎていく。
あまりにも穏やかで、優しくて……。
不意に忘れる瞬間があった。
そう、僕がここにいる理由を。
だからだろうか。ある日届いた知らせに、胸の奥が少しだけ痛んだのは。
「ドゴメス=メイキドルア、決起」
それは、初冬のある朝の急報。
リヴェリナの使節団が到着する前に、事は始まってしまった。




