第103話 季節が変わるまで、またね
「楽しい時間だったわ。」
星の光が降る夜。
リアナの神秘的な薄い緑掛かった長い髪が、夜の優しい光を照らし返す。
リアナの髪は夜に映える。
そんな彼女の美しさを称える言葉として「リヴェリナの月」という呼び名がある。
隣国で傭兵をしていたアレストくんが知るくらいだ。
相当、有名になっているのであろう。
リヴェリアスの時の尊大な口調と厳格な雰囲気で鉄血女王と畏れられる彼女だが、微笑む姿を描いた絵はどれも凛としていて穏やかである。
絵画でも夜の闇に浮かぶ髪の輝きが印象的だった。
「なんというか、昔のただの王族の小娘だったころにもなかった時間ね。」
そういって、グラスにのこった麦酒を飲み干して、空のグラスを僕に向ける。
僕は少しだけ手元の瓶を眺めて考えた。
「冷たいのがいい。」
2人きりだからなのか。少しだけ口調が幼くなる。
僕は、無言で瓶を冷やしてリアナのグラスに注いだ。
澄んだ黄金の輝きのなかを、透明な泡が登っていく。
星では見られない挙動なのに、どこか星を感じる。
「冷たいわ。」
一口含んで、グラスを指でなぞって。
漏らした言葉に苦笑する。
「そうしろって言ったじゃない。」
「そうね。本当に便利。私も使いたいわ。」
「100年くらいかかるかもよ。」
「そう。頑張るわ。」
こともなげに頑張るわとだけいう。
その瞳はまっすぐだ。
できないなんてない。
時間で解決できるなら、それくらい頑張ってみせると。
リアナはふっと励起の力を強めて、右手に集める。
そして、その手で僕の頬をそっと撫でた。
「ここまで、3年よ。」
「……30年で、いつでもリアナの分は冷えたビールが楽しめそうだね。」
少しだけひんやりとしたリアナの掌が、また一つ僕の中にある常識という古臭い知識に積みあがった埃を払い落とす。
アイズの力で僕の固有術式の一端に指をかけてくる彼女なら、あるいはその30年すら飛び越えてきそうだ。
「10年で冷やす力は形にするわ。
術具は便利だけど、道具に頼らなきゃいけないのは屈辱なのよね。
貴方にはできないって言われるようで。」
「道具を使いこなすのも正解じゃないのかい?」
「借り物の力で、できたと威張るのは嫌いなのよ。」
ふんっと鼻をならしてそっぽを向くリアナに、王の威厳はない。
二、三度僕の頬をゆっくり撫でた後、リアナは腕を下ろし、励起を収めた。
「本当に実りある旅になったわ。
あの子のいう、【放出】の回転の研究が進めば、この漏れ出すだけだった温度変化の力も、指向性を持たせることができる。」
コロコロとワインのようにグラスを手の中で転がすと、底にたまった酵母がふわりと浮き上がり、黄金の輝きに霞がかかる。
その様子を見て、リアナは少し嬉しそうに微笑み、残った麦酒を一気に飲み干した。
「そしたら、この中途半端にぬるくなる温度の麦酒とはおさらばね。
ホットも常温も嫌いじゃないけれど、冷たいのが私は好き。」
「あんまり身体を冷やすのはどうかと思うよ。」
「大丈夫よ。今日は冷やしても何とかしてくれる人がいるから。」
そういって、リアナは陶器のカップに水を注ぐ。
王自ら手酌はまずいかなと僕は思うけれど、僕が手酌すると子ども扱いしないでとむくれるので手出ししない。
なんていうか、リアナにとって僕の手伝いってそういう余計な心遣いがプラスされて鼻にかかるらしい。
酷い。
「ちょうどいい温度でお願いね。」
そのくせ、こうやって甘えるんだから。
なら、全部甘えてくれてもいいのに。
僕は短くハアとため息をついてリアナからカップを受け取った。
適温ね。
僕は一度、水を沸騰させるくらい熱したあと、熱を冷まして白湯を作る。
何度も何度も繰り返してきたリアナの適温の白湯。
一度沸騰させるのは何故?って聞かれたこともあったな。
僕は、こうすると水がきれいになるんだよって教えていたな。
小さかったころのリアナ姫は、泡がボコボコするのも楽しそうに見てたものだ。
「余計なこと思い出してる。」
「白湯を作るたびに再生されるんだよね。」
「これからもずっと?」
「多分、ずっとそうなりそう。」
「そう。」
リアナは否定も肯定もせず、ただその一言だけを呟いた。
そして、どこか満足そうにしながら白湯に口をつけた。
その横顔は、幼い日のリアナ姫と、今のリアナがひとつに重なって見えた。
重なってぶれるところはある。
でも、身体を冷やさないようにと自分だけに用意される白湯をどこか大切そうにする表情はずっと変わらない。
「……うん、温まるわ。
ここまで温めるような熱を与えるのはもっと再現までに時間かかるかなって思ったけど。
こっちもあの子のおかげで目途がつきそう。」
「エーリス、気に入った?」
「うん。あの子はいい子よ。
それに、周りを見ることができる子だわ。
今から仕込みたいくらいに。」
そういってニヤッと笑うリアナの横顔には、ちょっとだけ本気が含まれていた。
「でもまあ、大人になるまで待つわよ。
ネーベルはいい母親のようだしね。
家族に恵まれている以上、子供でいられる間は家族と一緒にいたほうがいいわ。」
「そうしてあげてね。
まあ、基礎的なところはリアナのところに行くまでに、もうちょっと鍛えておくから。」
「そう。ありがとう。」
リアナは白湯をもう一口飲んで、ふっと目を細めた。
「でも、あなたはそろそろ本業に集中してほしいわ。」
リアナはそういって少しだけ真面目な顔になる。
「特使アルトゥス=ヴァイツェ。」
呼び方が変わる。リヴェリアスとして、特使に任を与える。
「……はっ。」
「5年で形にできるわね?」
僕は、少しだけ眉間に皴を作って考える。
正直、作物だけなら軌道に乗せるくらいまで生産できる状況にすることは可能だろう。
だが、水の問題が大きい。
森から水路を敷き、農場に安定的に供給させるために5年はかかると踏んでいる。
「すぐに返事をしないということは、かなり難航するのね。」
リアナは、僕の否定も肯定もしない沈黙の意味を理解している。
その上で、困難な方向であることを正確に読み取っていた。
できなくはない。
その気になれば、5年で醸造所の最初の一杯を形にすることだってできるはずだ。
でも——
「もっと誰かに頼りなさいっていってるでしょ。」
リアナが僕の手をぎゅっと握る。
口調も、内容も。
幼い子に言い聞かすようだった。
「5年で全部やろうとしなくていいの。
5年で形にしてくれればいいの。」
リアナはそう言っておかしそうに笑う。
「貴方はそうやって、途中で放り出すのが怖くて、保険をとって何とか全部やろうとしちゃうんだから。」
リアナが僕の手を取って、ソファに僕を座らせる。
そして、自分はごろんと寝転がり、僕の膝に頭を置いた。
「はしたないよ。」
「またできなくなる日がくるの。」
そのセリフは禁じ手だよ。
そういわれちゃうとなぁ。
叱るわけにもいかなくなるよ。
「ねえ、私も甘えることができる人がいなくて寂しいのよ。」
下からぺちぺちと僕の両頬をはさんで軽く叩きながら、リアナが甘えてくる。
「今日まで貴方の近くにいる人を見てきたわ。
どの子も貴方が気に入るだけあって、人間的に立派な子ばかりよ。
……まあ、1人だけちょっと酷い子もいたけど。」
リアナの正直すぎる言葉に、苦笑してしまう。
カドヴィくんと僕は仲がいいわけじゃないからフォローはしないけど。
「エーリス、シルバナ、ネーベル。
トルマドとは会えなかったけど、ミリアルデ家は……ヴァルエルナは強い領ね。
首都はタヌキオヤジがちょっと気に食わないけど、ミルシャがいるってわかった。
メイキドルアは……まあ、私が釘刺しておくわ。
話を聞く限り、あなたに悪意をもって巻き込んだわけじゃないって信じられそうだしね。」
リアナは、淡々と指折りしながら、しかし丁寧に語る。
僕の周りに変なお友達ができていないか確認するようで、少しおかしくなる。
ま、そこには敵意はない。
むしろ、僕の周りが良い人間で満たされていることに安心しているような声音だった。
「ちゃんと帰してあげてね。僕から手綱預けたんだから。」
リアナは、小さく笑って、わかってるわよと小さく呟いた。
「貴方の従者もなかなかできる子だと知れたし、身の安全も問題ないでしょう。」
「あれ?サリティさんは紹介したけど、アレストくんは紹介してなかったような。」
「ちゃんと騎士団に連絡して、経緯を説明してくれたみたいよ。
貴方に剣を捧げる子ですってね。
騎士の中には、嫉妬しちゃってる子たちがいたわ。」
はは、と僕は笑う。
どうやらアレストくんは隠れて引っ込んでるだけではなかったようだ。
彼なりに、リヴェリナに対してちゃんと筋を通すために動いてたんだね。
せっかく黙っていればわからないのに、律儀な子だな。
「剣を受け取るなんて、どういう風の吹き回し?」
「僕は貰うものは貰うよ?」
「騎士たちの剣は受け取らないのに?」
「主君に捧げるべき剣を、僕が横取りする意味がないだろうが。」
騎士は国に忠を尽くし、王に剣を捧げるんだ。
僕がアレストくんの剣を受け取ったのは、ちゃんと理由がある。
「私はあなたにとられる分には文句はないわよ。」
にこりと笑ってリアナが言う。
「だって、アルの分は私と共用だもんね?」
傲慢で可愛らしい我儘を。
王様のようで、ただの子供のような我儘を。
「僕が受け取るものは、全部分かっていたいの?」
「もちろんよ。」
リアナが身を起こし、かすめるような儚い口づけを交わす。
本当に一瞬。
袖が触れ合うような、刹那の口づけ。
「寂しくなったら会いに行っちゃうから。
それが嫌なら、ちゃんとアルから会いにきてね。」
リアナは踊るように、ご機嫌なステップで部屋を出ていった。
部屋の扉が閉じる前に、手を振るリアナと、ずっと部屋の前で誰も来ないよう見張っていたエフィの呆れた顔が、目に焼き付いた。
「……はぁ。」
唇をそっと撫でながら、小さくため息をつく。
かすめた吐息の熱さも、あっという間に冷えていく。
「……春が来たら、一度リヴェリナに戻るかな。」
冬の入り口で、春を語る。窓をカタカタとならす風が、これから本格的な冬を迎えるのにとあざ笑うかのように風で笑っている。
やあ、笑ってどうぞ。
どんなに寒く厳しい冬が来ても、あたたかな春は来るんだ。
リアナがいる国は春が似合う国なんだ。
相応しいときに、一度帰ろう。
どんな顔で戻ることになるかなぁ?
なんて他人事のように、ちょっと未来のことを考える。
きっと、またため息をつきながら。
それでも、僕を待つ人がいるところに帰れる幸せをかみしめているだろうね。




