第101話 偽りの剣は互いの腰に在り
「申し遅れました。
本日、閣下との会談においてご歓談、及び交渉について全権委任されております。
アリヴィエ海邦代表代理を務めます、ミルシャ=ハイムマンと申します。」
ミルシャ=ハイムマン。
初めて僕がアリヴィエ海邦国首都ルビーナに訪れた際、僕のお世話をしてくれた随行官の女性だ。
あの時は明るく、どこか女性らしい柔らかい雰囲気を纏い、一歩下がって相手を立てるような立ち位置でもてなしてくれた姿が記憶に新しい。
だが、リアナの前に立つ彼女は違う。
明るさは残っているものの、口調ははきはきとしていて、眉はきりっと上がる。
口元の微笑みは温度が低く、隙がない。
服装もどこか中性めいた服装で、紺が主体のパンツスタイルなのも、その印象を深くしている。
何より、僕を最初に認めたとき、ふんわりと視線をくれたはずなのに、今は僕の方を一瞥もしない。
あの時とは違う。
もてなす為じゃない。
気持ちよく滞在してもらうためじゃない。
隣国との交渉に立ち向かう、一人の代表として。彼女は全身から確かな存在感と緊張を放っていた。
そんな彼女を見たリアナは、ほんの少しだけ感心したように目を細める。
だが、その目は同時に探る目でもあった。
「……そうか。出迎え、感謝する。」
リアナは、感心している気配をほんのわずかに滲ませながらも、言葉は極端に少なく告げた。
その声音は冷たい。
褒めるでもなく、歓迎するでもなく。
ただ、当然であるかのように受け止めた。
リアナはあえて、口調に王威をほんの少し漏らしていた。
それは真意を探るためというよりは、ミルシャさんの力量を探るようだった。
強い態度とは、相手をどう見ているのかということだ。
自身が強く出られる立場だから。
この場において他の者に示しをつける必要があるから。
理由は様々ある。
そして、その中にはリアナにとって——いや、どんな立場の人間にとっても不愉快な理由もある。
それは、無知か過信だ。
いま、リアナはミルシャさんの態度がどこに立っているか見定める必要があった。
だからこそ、多くは語らない。
語る数だけ、高さが必要だと相手を認めることになるから。
王たるリアナにとって、言葉の量増しは恥だ。
王は高みにあるからこそ、強い。
自らの踏みしめる立場を安くしないための言葉でもあった。
そんな王としての威圧に対しても、ミルシャさんは表情を変えない。
口端の笑みは自然ではあるが、どこか挑戦的にも見えた。
その不敵な笑みにエフィがわずかに息を呑む。
リアナの王威を受けてなお微動だにしない者をそう多くは見てこなかったからだ。
「先ほどの約束は必ず陛下に伝える。
故に、違えることのないよう心得ておいてくれ。
代表代理殿?」
さしものリアナも少し不愉快そうに言い捨てる。
アリヴィエ海邦の代表。
国の代表。
その代理たる信任を得た人物としての器量。
それを計るように挑戦的な響きの籠った言葉だった。
さあ、どうする。
どう切り込んでくる?
リアナの瞳に愉悦が浮かぶ。
そこには、僕が手紙でミルシャさんのことについて書いたことに対する期待が込められている。
期待するが故に試す。
リアナの悪い癖が垣間見えて、僕は心の中でため息をついた。
まあ、それでも。
僕がこの場に介入することはない。
その必要はない。
おせっかいだからじゃない。
僕は確信している。
リアナも、ミルシャさんも、僕の手助けなんか必要ないってことを。
だって、ミルシャさんの表情を見ればわかるもの。
彼女もまた、ここからが本番だと言わんばかりに目をギラギラさせているのだから。
「……そちらに答える前に。
恐れながら、閣下にお尋ねいたします。」
ミルシャさんが、王の雰囲気を纏ったリアナに対して口を開いた。
空気がぴん、と張り詰める。
王から直答を求められる前に質問をする。
その真意を探られるような視線が騎士たちから。
そしてエフィ騎士団長から向けられる。
また無礼者か。
どこか咎めるような視線がミルシャさんに突き刺さる。
しかし、彼女は一切ひるまない。
そこに込められたのは、答えを待つ者の瞳。
問う資格が自分にあるという確信。
なにより、帰ってくるべき答えを既に知っている者としての自信が含まれていた。
「……なんだ?」
だから、リアナも言葉を選んだ。
直答を許すとは答えない。
ただ、曖昧に聞き返す。
自身をあいまいにしたまま、聞き返すことにした。
その曖昧にしたいふわりとした反応に、すかさずミルシャさんは一歩を踏み出す。
「ご尊名をいただいてもよろしいでしょうか?」
その瞬間、リアナの肩がわずかに揺れた。
エフィの気配が一気に剣呑になる。
それでもミルシャさんは、その変化に戸惑うどころかむしろ自信を深めていくように見えた。
「私が誰か伝えられずにここへ来たのか?」
そこを制するよう、リアナの声は低く、鋭い。
脅しとまではいかないが、王の威圧が滲む。
だがミルシャさんは、まったく怯まない。
「もちろん聞き及んでこの場に参じております。ですが——」
含みを持たせた声。
その瞳は、王を匂わせながらも曖昧にするリアナをまっすぐに射抜いていた。
「ご本人の口から聞きたいのです。
万が一にもお間違いがあってはなりませんから。」
にっこりと笑顔を浮かべる。
なんとも友好的で、屈託のない笑顔。
それが、リアナにとっては不敵な笑みに映る。
リアナは理解していた。
これは挑発ではなく、確認ですという「建前」に隠された真意を。
王に対してこの物言いは普通なら無礼にあたる。
エフィは無言で剣の柄に触れて、遺憾を示す。
だが、抜くことはない。
いや、正確には抜けない。
その剣が抜かれるということは、王がこの場を敵と見なしたメッセージになる。
そう、王がここにいることになる。
それはまずいと理解していた。
なにより当のリアナがそのメッセージを出さないようにしている限り、抜くことはありえない。
そして、抜かれないと見抜いているからこそ、ミルシャさんは2人相手に退かない。
リアナは一瞬だけ思案し——そして答えた。
「……余は、メルフィス=レッドフォルテである。」
威厳を込めながらも、偽名のほうを選んだ。
そこには、相手を退かせるだけの王威がある。
常人なら、平伏したくなる空気に、アリヴィエ使節団の方々も震え上がる。
だが——
「爵位までお答え頂きたく。」
まるで無知な子供のように。
興味だけが先行した愚か者のように。
ミルシャさんは、曖昧な王の間合いへと、無造作に踏み込んできた。
外交官としてはありえない踏み込み。
差し出された名を真実として扱うための強制力を与えるような問い。
エフィが2人の間に割って立つ。
どういうつもりかと問い詰めるように。
だが、にらみつけるだけだ。
何よりエフィのほうが少し焦りが見える。
この場を制しているのは、無礼を貫くミルシャさんのほうだ。
リアナは、嘘に嘘を重ねるわけにはいかない。
「……レッドフォルテ伯爵だ。」
その瞬間、ミルシャさんは、リアナの偽りを真実であると本人の口から証明させた。
ここにきて、リアナはミルシャさんの狙いを完全に見抜いた。
そして、その狙いを通すためにこの初対面の外交官が自身の立場と命運を躊躇なく賭けたことにわずかな動揺を見せてしまう。
度胸というよりは無謀。
そこへ勝負を仕掛けるにはあまりにも分が悪いはず。
「左様でございますか。
失礼いたしました。
事前に聞き及んでおりました通りです。メルフィス様。」
だが、通した。
通さざるをえなかったのではなく、通すべき一点に賭け、貫いた。
ここにきて偽名という武器が、相手の付け入る隙に変わったことをリアナは理解する。
だが、嘘を使った以上、それを今更収めるわけにはいかなかった。
なにより、この偽りは互いのための大事なヴェールだ。
それを望んだ側が今更なかったことにはできなかった。
その理由はひとつ。
ここに、王がいてはならないからだ。
そう約束していた。
リヴェリナという国が事前にアリヴィエという公に示したのは、メルフィス=レッドフォルテ伯爵がここにいるということである。
国と国が向き合う以上、事実よりも、名乗りの意味は大きい。
ミルシャさんはその答えに、にっこりと笑った。
その笑みは、礼節を保ちながらも、どこか勝利を確信したかのようだった。
「それでは、先ほどのお約束ですが……。
どれほどのご支援をいただけるか、具体的な支援内容をこの場でお約束していただきたく存じます。」
ミルシャさんは完全に主導権を掌握しにきていた。
リアナの偽名を肯定し、その立場に合わせて交渉を仕掛けることに、全てを賭けた。
ここでリアナがヴェールを脱ぎ捨て、王として振る舞う可能性はいくらでもあった。
にもかかわらず、そうできない。
いや、できるはずがないと信じて踏み込んだ。
ミルシャさんは相手が生んだ嘘の存在にあえて足を乗せることで押さえつけた。
結果として、リアナは偽りに囚われた。
ここにいるのはリヴェリナ国から来た外交を務める伯爵。
ミルシャさんはリアナを対等の場へ引きずり出したのだ。
虚実の剣は互いの腰に在り。
どちらかが持つ優位を示すためのものじゃない。
互いの腰に平等に帯びている、見えない剣だ。
ミルシャさんはその剣を、リアナ自身の手で真実にさせたのだ。
「貴様——!」
リアナを護らんと、たまらずエフィが剣を握る。
「控えよ!伯爵の騎士よ!」
だが、ミルシャさんはその行動を一喝する。
声は鋭く、空気を裂くようだった。
「大国リヴェリナ国の使者の騎士ともあろうものが、小国とはいえ【アリヴィエ代表代理】を名乗るものに対して、剣に手を置くとは何事であるか!
まさか、それを抜き放つ気ではあるまいな!?」
そこから先に生まれるものの愚かさを問うように、ミルシャさんは立場の違いを解く。
そう、その言葉は、剣を抜けば長年の関係が崩壊するという事実を突きつけるものだった。
ミルシャさんは代理とはいえアリヴィエ政府の代表の代理だ。
対して、リアナはリヴェリナ国からきた外交官のレッドフォルテ伯爵。
ここにきて、偽りが立場を完全に塗り替えた。
当然ながら、エフィも今は伯爵の護衛騎士でしかない。
彼女がそれを抜き放つ意味を一番理解している。
だからこそ、言葉に詰まる。
立場の論理。
この場での序列。
騎士として当然のように殉じねばならぬ矜持。
そのすべてを突かれた。
ここにいるのは外交官の娘と国の代表だ。
外交官の娘は、王に通じる答えを持ち帰るといった。
だが、ミルシャさんはここに対して、伯爵如きが一方的に有利な約束を得ることを咎めた。
そこに込められたメッセージはひとつ。
「アリヴィエ国代表代理として答えをその場で求められた以上、外交官である貴方もその進退を掛けてこの場で答えを出してもらいます。」
強く、ミルシャさんはそう断言した。
偽りを全て肯定することで、偽りを真と肯定する。
その上で、王を下に追いやった。
全ては虚を実と言い張る相手の言葉にあえて全力で乗ることで覆した、一見無謀な挑戦。
だが、ミルシャさんは貫いた。
貫ききった。
空気はそれに比例するように張りつめた。
エフィはリアナに視線を送る。
言葉ひとつ。
王として無礼を発すればエフィはためらう気はない。
だが、その責任に国の関係を断つ意味があることも理解している。
だからこそ、エフィの鼓動が速くなっていた。
体温も上がっている。
エフィもそうなるほど、ミルシャさんが貫いた勝負には血が通っていた。
——血塗られようでもあった。
温度があった。
偽りはこの瞬間、たしかに真実だった。
リヴェリナ側、アリヴィエ側、共に動けない。
時間が凍っていた。
「くっ……ふふ……」
それを破るように、声を漏らす者がいた。
「——ハハハハ! あっはっは!」
突如、リアナは高笑いした。
その場にいる全ての人間がリアナを見る。
あるものはあっけにとられたように、あるものは困惑するように。
あるものは——安堵し、弛緩するように。
その瞬間、張り詰めていた空気が一気に解き放たれた。
「いやはや、まさかそう来るとは。
そういう手もあるとはわかっても、偽りと分かってあえて乗っかるとは度胸があるな!
見方によっては、無謀でしかないはずなのに!」
リアナは愉快そうに肩を揺らしながら笑った。
バンバンと僕の肩を叩きながら、涙を流して笑っていた。
「おい、アル!
お前、とんでもなく面白い逸材を呼び寄せたものだな!」
「僕が呼びだしたわけじゃないって。
……でも、なかなか見どころあるでしょ?」
ミルシャさんの無礼をなじるでもなく、怒りをぶつけるでもなく。
リアナはミルシャさんの胆力と機転、そして覚悟に満ちた論理を心から賞賛した。
この瞬間、リアナはミルシャという人間を、アリヴィエの代表代理としての実力を認めた。
そして、同時に信頼に値する人物であると判断した。
虚実の剣を互いの腰に帯びた者同士が、抜かずに斬り結んだ勝負。
この勝負を、ミルシャさんは見事に制したのであった。




