2章第27話 情報の代価
言葉を聞いたヴォルフの視線がこちらに向く。
「……ほう?」
少なくとも興味を引くことができたらしい。とにかく、ここで止まるわけにはいかない。
「あなたはフィクサー、依頼を受けて情報、人、手段を用意する存在だ。だから、僕はあなたに依頼を出す」
ソラは改めてヴォルフに向かって宣言する。その声は落ち着いていたが、その心の中には焦りと不安が渦巻いていた。ヴォルフの機嫌を損ねることを承知で情報を引き出す可能性を選んだ、アリサが必死に与えた自由を再び奪われたエマを助けるために。
「俺は忙しいんだ」
ヴォルフは拒否とも取れる言葉を口にした。
「なら、僕は別のフィクサーに依頼を出すよ。……鋼鉄の男が断った依頼だ、引き受ける奴は何人もいるんじゃないか」
「この俺を脅そうってか?」
ようやくヴォルフの声色が変わった。彼から向けらる視線からわずかな興味の種火が少しずつ勢いを取り戻しているのを感じる。同時にヴォルフの威圧感にも火がついた。押しつぶされそうな感覚。だが、それに負けるわけにはいかない。
「僕はあくまで仮定の話をしただけだ」
ソラは、拳を握る手にじわりと汗が滲むのを感じながらも、表情を崩さずに言った。心臓は相変わらず煩わしいほど早く打ち続けている。
しばしの沈黙。
それを破るようにグラスの氷がカランと音を立てた。次の瞬間、ヴォルフが口を開く。
「ふん、いいだろう。座れ」
ソラはゆっくりと息を吐く。
ソラとウミがソファに座る。ティナは立ったまま不機嫌そうな顔をしている。だが、話が前に進んだおかげかお口はチャックされている。
「俺は移転先を知っている」
“それを教えてくれ”という言葉を飲み込む。ここは続きを待ったほうがいいと判断したからだ。
「だが、それをタダで渡すわけにはいかない。情報は何よりも価値がある。……金は奪われてもまた稼げばいい。人は死んだところで代わりはいくらでもいる。だが、情報は別だ。知らなければそもそも舞台に上がることすらできない……今のお前達のように」
ヴォルフの視線がソラとウミに向けられる。ソラ達が弱い立場であることをはっきりさせたいのだろう。
後半はさておき、情報の重要性については彼の言う通りだ。今の自分達には情報がない、だからエマを助けられない。そしてその大事な情報を得るには、
「対価が必要と」
ソラの声が静かに響いた。心臓はまだ速く打っている。けれど、声には揺らぎを見せないように細心の注意を払った。
「よくわかっているな」
ヴォルフの口元がわずかに緩む。
「それで、僕らは何をすればいい?」
「簡単な話だ」
ヴォルフはソファの背に身を預け、無造作に脚を組み直した。余裕に満ちた態度だ。まるで交渉はすでに終わっているかのような雰囲気を漂わせている。
「移転先施設を調査し、研究の進捗を確認し、破壊を君たちに請け負ってもらう」
それだけならただの仕事に過ぎない。だが、ヴォルフが実質ただで情報を与えるとは思えない。
その考えを裏付けるようにヴォルフが口を開いた。
「そして、2件の研究所調査依頼の報酬金を情報料として支払ってもらう。もちろん断ってくれても構わない、人の代わりはいくらでもいるのでな」
タダ働きを要求してきたのだ。ヴォルフは金と人、その2つを代価として要求してきたのだ。必要な情報を餌に最大の利益を上げる。ヴォルフがトップクラスのフィクサーである所以を理解できた気がする。
エマやティナへの報酬を考えれば今回の依頼は赤字ということになる。それでも、エマを巻き込んだ責任を取らなければならない。
ソラは確認とためにウミの方を見る。彼女と目が合った。彼女は頷きをソラに見せた。
ソラは深呼吸1つして覚悟を決めた。
「わかりました。ラプターアイが引き受けます」
「そうか。……ボブ、例のデータを」
ヴォルフの低い声。直後、カウンターの端に立っていた屈強なガードマンが動いた。無駄のない動作でバーの奥へと消え、しばらくしてから黒いホログラム装置を手に戻ってくる。ボブは素早く装置をスタンバイした。その手つきは慣れたものだった。
ヴォルフがホログラム装置を起動するとここ、グリッド121の地図が表示された。彼は地図をスワイプし、隣のグリッド122に表示範囲を変更した。
「お前達も知っている侵蝕区域ストレイ、ここに新しい研究所がある」
ヴォルフはストレイのとある場所にピンを立てた。
「このデータは確実か?」
ソラは念には念をと質問する。
「シャード近辺の資材と人の動きから確度は高い」
ヴォルフはグラスを軽く傾けながら、淡々と答える。その声音には迷いもなければ誤魔化しも感じられない。
「情報、感謝する」
ソラは短く礼を言った。それは礼儀というより、交渉成立の合図に過ぎない。
「対価を忘れるな」
そう言うとヴォルフはグラスに残った酒を一気に飲み干した。そして、こちらへの興味を失ったような顔に戻る。
「ああ、わかってるよ」
ソラが立ち上がる。ウミもソラの動きに合わせて立ち上がった。無言のまま、ソラの背にぴたりと寄り添う。
「……行こう」
ソラの声に合わせて、3人はその場を後にした。
✳︎
バーを出て、エレベーターに乗り込む。ソラが階下のボタンを押すと、重々しい駆動音とともにエレベーターが下降を始めた。ソラは重たい身体をエレベーターの壁に預ける。
短い沈黙の後、ティナが不意に口を開く。
「しかし、よくやったな。あのヴォルフ相手に情報を引き出したんだ」
ソラは長く息を吐き、交渉の過程を思い返す。確かに必要な情報を手に入れることができただが、あれは……。
「運がよかっただけさ」
ソラは交渉を短い言葉で総括した。
「何言ってるの、すごかったよ」
「いや、僕らは最初からヴォルフの手のひらの上だったんだよ」
その言葉にティナとウミは眉をひそめた。
研究所の移転先は侵蝕区域ストレイ。つまりシャードは自身とヴォルフの活動範囲に研究所を建て直したということだ。
ヴォルフのナワバリでのシャードの活動、それを彼が気にかけないはずがない。どのみち誰かに調査を依頼したことだろう。そこに情報を求める者が現れた。彼にとってはまさに渡りに船だっただろう。あれは交渉ではなく、情報から最大限の利益を手にするための彼の采配だった過ぎない。
「結局、僕らは情報を渡して調査させるちょうどいい駒として選ばれたに過ぎない」
ソラは自分の実力不足に苛まれる。
「けれど、あたしたちは必要な情報を手に入れた……でしょ?」
ティナの優しい声がソラの思考を引き戻す。彼女の言っていることもまた事実だ。気に止む必要はないと努めて思い込むことにした。
「そうだな……」
ソラの意識を奪還に向ける。そして、これはティナの協力なしではエマの奪還は厳しい。
「ティナ、僕らには傭兵が必要だ、もう少し力を貸してくれ」
顔を上げてティナを見る。
「貸し2つめね」
彼女はすぐに冗談めかした言葉を返した。
彼女に貸しを返すのには時間がかかりそうだ。だが、協力してくれるのはありがたい。
「助かる。……貸しは必ず返すよ」
ソラがそう言うと、ティナは小さく笑った。
「期待せずに待っとく」
その言葉と同時にエレベーターの扉が開く。
必要な情報は手に入れた。とりあえず、偵察から始めよう。




