2章第24話 記憶の鍵
ホログラムから放たれた光が今いるこの部屋を切り取った映像の投影を始めた。
カメラの裏側から緑髪、緑の瞳をした女性が顔を出す。
アリサか?
彼女の顔は険しく、目が冷たい。先ほど見た映像の中の優しさと覚悟を合わせ持ったような顔つきだったアリサと同一人物には見えなかった。
「……今日はこの研究所に派遣された初日だ。ここでは所内の荷物と記憶が外に持ち出せないからこの個室を利用して記録を残すことにした」
疲れた表情のアリサは無造作に椅子を引き寄せ座り込んだ。
「初日は所内の挨拶回りと私の担当である334と出会った。334は侵蝕症の耐性が高いけどクリスタの適性が致命的に低いらしい。……まさしく、プロジェクト・デコードの研究成果を適用するべき存在ね。ただ、ここでは私の研究ができない……はぁ、さっさと終わらせて自分の研究がしたいわ。……今日のところはこんなものかしら」
アリサがカメラの奥に手を伸ばす。録画停止ボタンに指をかけたのだろう。迷いもためらいもない動作。
この映像は、外には出せないらしい。つまりこの映像はただ、誰にも言えない愚痴をこぼす場所として撮影されたものだろう。
指がボタンを押し込む。
──録画終了。
ホログラム装置からの光が一瞬止まり、また青白い光を放ち始める。次の映像の自動再生が始まったのだ。
「この研究に来てから2週間が経った。なんというか、ここは普通じゃない」
アリサの声から疲労と戸惑いが滲んでいた。
「ここでは性別も年齢も関係なく残虐な実験が行われ、研究所で叫び声を聞かなかった日はないわ。そして毎日、毎日、人が処理室に送られて、新しい被験体が補充される。誰もこれに疑問を持たない。控えめに言って狂ってるわ」
ソラは無意識に息を呑む。アリサの表情は、冷静を装いながらも、その奥に耐えきれないものを抱えていた。
「そして、今日、334に外に出たいか聞いたわ。でも彼女は外の世界の記憶を持ち合わせていなかった。彼女は子供よ、モルモットじゃない。でもこれを誰もおかしいとは思っていない。……いや、それとも私がおかしいの?」
カメラに映るアリサが頭を抱える。異常な環境に身を置きすぎて、何が正しいか判断できなくなっている。おそらくここの研究員は全員、こうして常識が狂っていったのだろう。
……だが彼女は正気を保ちエマを逃したはずだ。
「この感情を誰かに共有したいけど研究所の記憶は外に持ち出せない。……何か方法を考えないと」
映像が途切れ、暗転する。
ソラは画面を見つめたまま、静かに唇を噛んだ。
次の映像の投影が始まる。
「研究所に来てからもうすぐ3週間が経つわ……実験の合間にこの研究所について調べていたわ。ようやく、記憶を外部へ持ち出す方法について進展があったわ。入り口のおっきなライトあれが記憶を処理している」
ソラは入り口にあった大型のライトを思い出す。
「あれが光によって脳に作用し、記憶の改竄やら幻覚を見せることができる装置。おそらく、プロジェクト・リメモリアの技術を利用したのね。研究所に入るときには記憶が回復しているから記憶を消しているというよりは外に出るときに記憶に鍵をかけられているという表現の方が近いかも。……次は鍵を開ける方法探らないと」
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「研究所に来てから2ヶ月、ようやくあの記憶施錠を突破する足掛かりを見つけた。あれはキーワードや光景と言ったその記憶を想起させるものがあれば施錠が緩む。ただ物の持ち出しは厳しく制限されているから手段を考えないと。それに334の成果も求められている。あまり時間がない」
映像の中のアリサが、一瞬カメラを見つめる。
迷いと焦燥がないまぜになった表情。だがその顔つきは最初に見たアリサにどんどん近付いていた。
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次の映像が再生される。その中でアリサは落ち着きなく室内を歩き回っていた。研究所に来てからの記録を続けるつもりらしいが、カメラの前を行ったり来たりするせいで、言葉の一部が途切れがちになる。
「研究所に来てから……。334への……処理の仕込み、外部の協力者……の取り付け、脱走の準備がようやく整った。3日後に……の視察が来る」
彼女の動きは焦燥感を露わにしていた。これまでの記録とは違い、迷いではなく決意が感じられる。しかし、その決意の影には、不安や緊張も透けて見えた。
「……が来ている間だけ、出入り口の警備が緩くなるはずだ。脱走するならその日しかない。だからこれが最後の記録」
アリサは一度、言葉を切る。胸中で何かを噛みしめるような表情を浮かべ、それから静かに続けた。
「脱走した後、外の世界で生きるなら、334ではダメだから名前を考えてみたの。334を呪いではなく希望にするために、334という数字に少し手を加えてEMAという名前を考えてみた」
その言葉には、ただの実験対象に過ぎなかった存在を、一人の人間として認めようとする意志が込められていた。冷静に記録を残す研究者としての顔はほとんどなくなっていた。
「あとは保険を用意して……」
保険——ソラは考える。おそらく、それは最初に見た映像のことだろう。アリサが残した外部の人間に対するメッセージ。
やがてホログラム装置が暗転し、映像が終わる。沈黙が落ちる中、ソラは画面を見つめたまま動けずにいた。




