2章第21話 静寂の研究所
数時間後、侵蝕区域セクレト。
準備を終えたソラとティナは研究所へ向かって歩みを進めていた。少し空間が荒れており、ソラの体調も気遣って進んだため、研究所に着くのにそこそこ時間を取られてしまった。
研究所の入り口に辿り着くと大きな円が見えた。それはソラが流した血が乾燥し、黒褐色に錆びたような色になっている。その血の跡は何度か踏み荒らされたかのような痕跡があった。
「そんなの見てないで、さっさと行きましょう」
「ちょっと待って、リンクスを先行させよう」
ソラは頷きながら、カバンから小さな猫耳が生えた四脚ロボットを取り出した。パタパタと足を動かすリンクスを地面に放つと、わずかに開いた扉に飛び込んだ。
『入っていいよ』
ウミの言葉を聞いたソラとティナが続いて入る。
巨大なライトのある部屋を抜けて、廊下へと出る。
「この前と変わったところはある?」
『そうだね、特段変わったところはないけど……強いていうならこの前より侵蝕エネルギーの値が大きいかも』
「侵蝕エネルギーが? 探索には骨が折れそうね」
ティナが面倒くさそうにつぶやく。侵蝕エネルギーが高いということは不規則な空間の連結が増えるということに直結するからだ。
『あー、いやそういう意味じゃなくて。この前が異常に低かっただけで、今でも侵蝕区域にしては低めのエネルギー量だよ』
ウミが訂正する。
「そうなのね、なら急なワープの心配もないわね」
そうこうと会話しながら、独房のような部屋、もう見たくもない処理室を抜けて、情報管理室を目指して歩いた。その間も、人の気配を探っていたが一切、生きている人は見つからなかった。
一行は、エマが連れ去られた現場、情報管理室に入った。
まあ、予想通りというか、当然というか、ここにもエマの姿はない。
リンクスが情報端末に飛びつき、アクセスを始める。
『この前、バックドアを仕込んどいたんだ』
端末の防御壁は一瞬で無効化され、アクセスが開放される。
ソラは端末を操作して情報を探ろうとする。だが、端末の画面には意味不明な文字列や断片的な数字や混乱したシンボルの羅列ばかりだ。読める文字も断片的な文字列が浮かんでいるだけで、まともな情報は一切なかった。ソラは眉をひそめながら、ログをスクロールするが、情報はほとんど欠落しており、文章として成立しているものは1つも無かった。
「なにこれ、意味不明じゃない」
横で見ていたティナが声を上げる。ティナは意味不明な文字列をじっと見つめる。ただいくら読んでも理解できないことは変わりない。何か仕掛けがあるようにも見えない。
「……暗号って訳でもなさそうね」
ティナが小さい声でつぶやく。
なんの規則性もなく並ぶ文字とシンボル、文字化けの並びは仮に暗号だとしても複雑すぎる。バックドアから侵入したためセキュリティに引っかかったとも考えずらいだろう。
「となると、ここにあるのはガワだけか」
ソラがため息をつく。
『そうみたい、となると……』
ウミが彼の言葉に同調する。
状況を理解している2人に対して、ティナは何を言っているか理解できていない。
「ちょっと、どういうこと? 説明して」
「ここにあるのは侵蝕が生み出した虚像だよ」
ソラは端末を足で軽く蹴った。端末はカンと音を立てるが画面に変化は起きない。
『ここに情報端末があるのは多くの人が認知してるからはっきり存在してるんだろうね。……でも肝心なデータの中身を細かく覚えている人はいない』
侵蝕区域内で認知が甘い部分はモザイクになったりする、それが本体の無い情報端末の中に現れたということだ。
「なるほど、それでガワだけか。……端末がここにないということは、敵はすでにここを捨てたということかしら?」
ティナは2人の意見をまとめて、結論を出す。
『そうみたい、リンクスを走行させてるけどセンサーに反応はないよ』
入り口で見た血溜まりの跡が踏み荒らされたかのようだったのは、荷物が運び出された時に何度も行き来したためだろう。
ソラが倒れている数日の間で敵はこの拠点を放棄した。動けなかったことが悔やまれる。
自分がもっと強ければ、エマを巻き込まなければこんなことにはならなかった。後悔の念が頭の中をぐるぐる回る。
「数日で全ての痕跡を消せないはずだ。……とにかく手がかりを探そう」
ソラの声は、ただの提案というよりも、己の無力さに対する悔しさと、エマを救いたいという必死な決意に満ちていた。
「そうね、立ち止まっててもエマは助けられない。この研究所をひっくり返してでも手がかりを見つけるわよ」
ティナが同意し、情報管理室から出るため歩き始める。ソラもそれに続いて動き始めた。




