2章第19話 一陣の風
ティナは急いで駐車スペースへ飛び込む。流線型のボディを持つ黒ベースに銀のアクセントが入ったバイクに飛び乗る。前後には可変式のスタビライザーが搭載され、速度に応じて形状が変化するようになっている。リアにはコンパートメントが組み込まれ、小型の荷物のためのスペースが確保されている。
ティナは素早くホログラムインターフェースに指を滑らせた。
機体に埋め込まれたLEDラインが青白く発光し、エンジンユニットが低く唸る。ヘルメットを被りながら、ウォッチアイのHUDが拡張され、運転用に切り替わったことを確認すると、ティナはスロットルを握りしめた。
素早い操作で、衝突回避システムと速度リミッターを解除する。
スロットルをひねると、バイクは静か加速し始めた。道路に飛び出し、トップスピードへ加速した。タイヤの接地感が軽くなり、サスペンションが自動調整される。光の帯が車の隙間を駆け抜けていく。ホログラム広告を視認できないほどの速度で走行しているとHUD上に警告が現れた。
“速度違反、停車せよ”
グリッド警察からの停車指示だ。後方カメラの映像に視線を移すと赤色灯を輝かせたパトカーが背後についていた。
「あちゃ、見つかったか」
ティナは意外とも思わぬ様子でスロットルをさらにひねる。
基本的にグリッドを走る車両には速度リミッターが付いているので、ほとんどはシステム制御され、違反を起こそうにも物理的に速度が出せない仕組みだ。そのためか、警察の取り締まりも緩く、いざ速度違反を犯しても反応が遅くなりがちだ。が、今日は例外だったらしい。
「じゃ、スピード勝負といきましょうか」
ティナはバイザーの下で不敵に笑う。黒いバイクはさらに加速していく。
後方で甲高く鳴るサイレンの音。さらに車両から追跡支援ドローンが展開される。
さっさと振り切らないと、増援も来るだろう。
ティナは焦ることなく車両を追い越し加速を続ける。運転が趣味の人間を除いて大半の人間は運転を制御システムに依存している。このシステムは安全性を最優先にするため、極端な進路変更はしない。そのため、規則的な車列ができやすく、ティナのバイクのようにマニュアル制御であれば、その隙間を縫って、相手を振り切ることができる。そして、パトカーも追跡モードで一部制限が解除されているとはいえ、人命優先のシステム制御下だ。
AIじゃ、あたしの足元にも及ばないわよ。
大通りに突入するティナ。一般車両のど真ん前に出ることで、パトカーの視界から一瞬消える。対向車線から迫る大型トラックが見えた。
「ここね」
車両が重なり死角ができる刹那を突き、トラックのギリギリをかすめるように抜ける。彼女はパトカーに検知されないように、車両によって作り出される対向車線側の死角へ飛び込んだのだ。
ティナが後方カメラの映像に視線を向けると直進していくパトカーが見えた。
「はい、鬼ごっこはおしまい」
とティナは目的地へ向かって走り去った。
✳︎
数分後、ティナは目的の侵蝕区域のすぐ近くまで来ていた。彼女はウォッチアイを操作して、イーグルに連絡を繋ぐ。
「イーグル、聞こえる。もうすぐ着くわ、経路計画はできた?」
『今、送った。……ティナさん、ホークをお願い』
イーグルから送られてきたルートを展開する。ティナはスロットルを開き、再び加速する。
そして、ルートの終着点へ辿り着いた。
そこには血溜まりの中にぐったりと倒れ込むホークがいた。
「なんてこと」
息をのむ間もなく、ティナはバイクを止め、すぐさま駆け寄る。
血に濡れた彼の身体は動かず、唇は青ざめ、息遣いは浅い。腹部の傷口からはまだ血がゆっくりと滲み出ていた。
これ以上の出血は致命的だ。バイクに乗せて病院に向かうとしても、治療まではまだ時間がかかる。とにかく今すぐに血を止めないと。
「手持ちの装備じゃ厳しそうね」
かなり傷が大きく、簡単な応急処置では間に合わない。
こうなったら——
ティナはクリスタを起動させる。
「ちょっと冷えるわよ」
冷気が手のひらから放たれる。淡く輝く霜が、彼の傷口周辺を覆っていく。流れ出る血液が凍り付き、傷口が塞がれていく。体温の低下を最小限に抑えながら、出血を止める高等なクリスタだ。
凍傷の可能性があるが背に腹はかえられない。
止血は終わった、それでも急がないといけないことに変わりはない。
ティナはソラの身体を支えながら、慎重にバイクの後部座席に固定した。意識のない身体は驚くほど軽く、それが彼の状態の悪さを際立たせていた。
「イーグル、ホークを回収したわ」
ティナがバイクの準備をしつつ報告をしま。
『ありがとう、本当にありがとう』
「これから、入り口に戻るからそこで合流しましょう」
ティナはバイクを走らせ、侵蝕区域を脱出した。
✳︎
ティナはホークをキャンピングカーへ担ぎ込み、椅子を展開させてベッドにしたものの上に横たわらせた。その後、ベルトで縛って余計な揺れや動きがないようにした。
イーグルはずっとオロオロとホークの周りを動き回っている。
「……ティナ、どこへ連れて行けばいい?」
不安そうな目でこちらを見つめるイーグル。彼女も公的な病院を利用できないことは理解しているらしい。この傷で余計な詮索を受けずに治療を受けるのは不可能だ。そして、裏の人間であることがバレればホーク諸共、収監なんて未来もあり得る。
「1人、近くに知り合いの病院がある。彼女は認証を受けてないいわゆる闇医者だから、何も聞かずに助けてくれるわ」
ティナは説明しながらその病院のある座標を送る。それを受け取ったイーグルは覚悟の決まった顔で運転席へ飛び込んだ。
「すぐに行こう! ティナさん、その人に連絡お願い!」
と言った。
なんだ、ホークに頼りきりって訳でもないのね。
ティナは行動の速さに彼女のことを見直した。
そうして、キャンピングカーはアビゲイルの病院へ向かって動き出した。
——「そうやって、あんたをここに運び込んだって訳」




