2章第17話 治癒の代価
「それで? できそうか、女医さん」
答えを返してくれないアビゲイルに痺れを切らしたソラが質問する。
「あんたねぇ……はぁ、動けるようにはできるわ……」
「なら頼む」
ソラは食い気味に頼み込む。
「動けるようになりたいなら、ちゃんと最後まで話を聞いて。……あんたはお腹に大きい穴が空いて、2日は寝込んでたの」
「僕、そんなに寝てたのか」
ソラはそこで初めて、倒れてから数日が経過している事を知った。そして、それが彼をさらに焦らせた。
「そして、適切な治療を受けられる前提で2週間は絶対安静にするべき傷よ。それを動けるようにするの……言いたいことは分かる?」
ソラは少し思考を巡らせる。彼女の言いたいことはすぐに理解できた。
「何かしらの代償かリスクがある……ってところか?」
「そ、これだけの傷を騙して、動けるようにする……一般的な再生加速治療じゃ時間がかかりすぎる」
アビゲイルは立ち上がり、棚の方へと歩いていく。そして、金属のケースを取り出してソラの横へ戻ってきた。そのケースには緑のランプが取り付けられており、小さな音だがファンが回る音が聞こえる。その中には、なんともう1つ箱が入っていた。
何が入っているのかワクワクしつつ中身が出てくるのを待つ。
そこには不気味に輝く、赤黒い糸が収められていた。こう言ってはなんだが、箱の厳重さとは不釣り合いな代物だった。
「ただの糸……ではないよな」
「そ、ルイン結晶を混ぜ込んだ縫合糸よ。ルイン結晶の特性、もちろん知ってるわよね?」
アビゲイルは試すような目つきをソラに向けた。
「所有者の認知や願いで形や性質が変化するいわゆるクリスタの行使に利用できること……それを使ってずっと治療のクリスタをかけ続けるとか?」
「半分正解、半分不正解かな。もっと基礎的なこと、侵蝕区域の発生原因になるところを利用するの」
侵蝕区域を利用? そのレベルで侵蝕エネルギー密度が高いルイン結晶となると……。
「それってつまり、その糸には中核結晶が……」
「そ、それで傷の周りに擬似的な小さい侵蝕区域を作り出すの傷がないと思い込めば、侵蝕区域内部にある傷が消える。あなたの大きな傷を誤魔化すならこれぐらいやらないとね」
確かに理論上は可能だろうが、一般的な治療法としては聞いたことがない。何かしら普及しない理由があるのだろう。例えば、代わりに何か失うとか……。
「それで、何が代償だ?」
ソラは緊張が入り混じった面持ちで尋ねる。
「材料がありえないほど高いことと作るのが難しいこと。そして、耐性がないと侵蝕症をなることね。幸い、ソラ、あなたはキャパシティも処理能力も十分よ」
「それはよかった。いくら払えばいい?」
アビゲイルは糸の量を確認する仕草を見せた後、
「んー、お金よりも材料の中核結晶を取りに行って欲しいんだけどこの糸も中核結晶も侵蝕エネルギーが大きいから集めすぎると侵蝕を引き起こすんだよね」
と答えた。
あの糸が厳重な箱に守られていたのは増殖するルイン結晶を除去・排出する装置が必要だったかららしい。
「じゃあ、どうすればいい?」
アビゲイルは一瞬考えるように目を細め、そしてはっきりと言った。
「そうねぇ、材料が必要になった時に取りに行ってもらう。こう言うのはどう?」
「それでいい」
ソラが短く答える。
アビゲイルはため息混じりに微笑む。
「合意でいいわね。こんな難題今後はない事を祈るわ」
「そうだ、アビーさん。もう1つ頼みたいことが」
「まだあるの?」
アビゲイルの呆れたような眼差し。
「この話、イーグルには内緒にしてくれ」
その頼みにアビゲイルは目を丸くした。
「いいの? あの子相当心配してたわよ」
「だからだよ、あいつに余計な心配をかけたくない」
静かな部屋の中で、アビゲイルはしばらく黙ってソラの顔を見つめた後、低くため息をついた。
「こんなに注文の多い重症患者は初めてよ。……いいわ、このこと黙っててあげる」
「助かるよ」
「じゃあ、治療を始めるけど……その前に……」
アビゲイルは、再び棚へと移動して大型の注射器を取り出した。カートリッジの交換を自動で済ませる連続使用が可能なタイプのシリンジだ。彼女はそれを横腹目掛けて突き立てた。身体の中に異物が押し込まれる感覚。針が腹から離れる。
ソラは説明を求める目をアビゲイルに向ける。
「これは耐侵蝕増強剤と鎮痛剤の複合薬剤よ。侵蝕症にならないように手術前に打っておかないと。……それとこの薬は8時間毎に注射してね」
「侵蝕用の薬ってそんなに長く効果が持つのか?」
ソラが疑問を口にする。いつも使っている対侵蝕薬剤は1時間そこそこしか持たない、それなのにアビゲイルは8時間毎の注射を要求している。侵蝕に耐えるためならそれこそ1時間毎の注射が必要になるはずなので、そこが引っかかった。
「あー、詳しくないとそこ混同するよね。あんたらがよく使ってるのは侵蝕エネルギーの処理能力を高めるやつ、高い上に効果時間が短いけど誰にでも一定の効果がある。んで、今回、使ったのはキャパシティを一時的に底上げするやつ、効果は長持ちするけどそもそも受容量が低い人にはあんまり効果がない」
そこでアビゲイルは一息置いた。そしてこう続けた。
「だけど、今回は縫合糸からの侵蝕を抑え込めればいいだけだから」
「ああ、それで8時間毎の投薬がいるのか」
「そ、ただ、薬を打ち続けると効果がしだいに減衰するの。だからタイムリミットは3日よ。3日後にここに戻ってきて抜糸すること……いいわね」
アビゲイルは子供に言いつけるかのように念を押した。
本来動けない自分を動けるようにするのだ、その程度の制限は予想外ではない。
「分かった。3日だな」
ソラは3日で決着をつけるために覚悟の息を吐いた。




