2章第10話 研究所に潜む闇
リンクスの後を追うように進む2人。ソラの視界の片隅にはリンクスから送られてきたデータがグラフ化され、リアルタイムで変動している。その侵蝕エネルギーの値は侵蝕区域にしては低いが普通の場所としては高いぐらいの値を取り続けている。侵蝕区域内でこの低いエネルギー量はむしろ異質だ。ソラは何が起こっても良いように気を引き締め直す。
研究所の入り口は風除室のように2段階の構造となっていた。入ってすぐに大型のライトが出迎えた。それは今は暗闇に沈んでいるが一度起動すればこの小さな風除室全体を白く染め上げるであろう威容を放っている。
「これどこかで……」
エマが聞こえないほど小さな声で呟く。ソラはライトを一瞥しつつ、さらに奥へと目を凝らした。中へと続く扉を開けてリンクスを前に進ませる。内部からは奇妙な静けさと、わずかに感じる薬品の匂いが漂ってくる。中は不自然なまでに静か、とにかく静かだった。ソラの警戒心は最大まで高まり、呼吸するのを忘れそうになる。
廊下の両側には複数の部屋が並ぶ。そして扉にはシャッター付きの小窓が取り付けられている。
ソラは恐る恐るその窓を開けてみる。
「……なんだこれ」
その部屋はベッド、トイレ、シンクに小さな机と椅子というまるで独房のような部屋になっており、部屋のあちこちに爪痕が刻まれていた。灰色の部屋の所々にある赤黒いシミは血なのだろうか、とにかくこの部屋、この研究所がまともでないことはこれを見るだけで分かる。
エマは小さいうめき声を上げて、異様な部屋から距離を置いた。
「大丈夫か?」
ソラが声をかけると、エマは軽く頷きながらも明らかに動揺していた。
「平気……ちょっと気分が悪くなっただけ」
彼女の声は弱々しく、明らかに無理をしている様子だった。
ソラは再び窓の内側に目を向ける。小窓の暗がりに浮かび上がる無数の爪痕。それだけでも不快感が募る。長く見ているのも気が滅入るだけだと判断し、視線を外した。
ソラもシャッターを音が鳴らないように閉めた。首をぶんぶんと横に振って陰鬱な記憶を吹き飛ばす。気を取り直してソラは先行するリンクスの背中を追い始めた。エマもその後を静かに続く。
少し進むと先行しているはずのリンクスが止まっていた。その視線というかカメラの先にはガラス張りの大きな部屋がある。そしてその上のプレートには“処理室”と書かれている。
『ソラ……へ、部屋の中のやつ……見て』
通信機器の向こうのウミが怯えた声を搾り出す。この研究室の雰囲気に当てられたのかいつもの明るさは微塵も感じられない。
「何があったんだ?」
『いいから、見て』
ソラはリンクスを追い越し、扉の前に立った。エマもやや躊躇いがちにその後に続く。ソラは深呼吸を1つし、覚悟をしてガラスの奥に視線を向ける。
そこには、大きなカプセルがいくつも並んでいた。色とりどりの液体の中には人間の形をしたものが封じ込められている。だが、それのほとんどは明らかに正常では姿をしていた。皮膚は焼けただれた者、骨や筋肉がむき出しになったている者、目が虚ろに見開かれている者もいる。どれも生きているようには見えない。その光景は処理室、その言葉の意味を察するに余りある。
「くそっ……なんなんだよここは」
ソラの呟きが空気を震わせる。呼吸が浅く、早くなる。
「ホーク、あれ……」
今度はエマがカプセルの1つに視線を向けて固まっている。そのカプセルに浮かぶ人間には見覚えがあった。ソルティス・リゾートに泊まった日の夜に見た不審者だ。詳しくみるためにソラはカプセルに近付いてみた。
間違いないあの時の男だ。それの首元には焼印のようなものが刻まれているのが見える。それは歪んだ記号のようで、明らかに人工的なものだった。
ソラは軽く他のカプセルにも目を通していく。人型を保っているものも保っていないものも共通して首に焼印が刻まれていた。
ヴォルフはここの何を知っている?シャードはここで何をしていた?この問いは、いくら考えても答えを得ることはできない。とにかく、他のところも見て回らないと……。
「……はぁ、ウミ……先行してくれ」
ソラは疲れた声でリンクスに話しかける。リンクスは小さく機械音を鳴らしながら先行する。小さな車輪が廊下の所々錆びついた床を静かに滑る音が、かえって耳障りに感じられた。その後ろを重い足取りで追う。エマは言葉を発することもなく、ただソラの背中を追っていた。彼女の顔は青ざめ、視線は虚ろだ。ソラは自分自身が消耗しているのを自覚している。だが、エマはその彼よりも摩耗している様子だ。
「エマ、大丈夫か?」
エマはかすかに顔を上げたが小さく頷いてまた俯いてしまう。
エマの体調が心配だ、さっさと調査を終わらせてここを出たほうがいいだろう。
また先行していたリンクスが扉の前で止まっているのが見えた。扉の上には“情報管理室”と消えかけの文字が書かれている。ここで何があったかを調べるのにこれ以上最適な場所もないだろう。
ソラは警戒しながらリンクスが入れるようにゆっくり扉を開ける。小さな隙間にリンクスが飛び込む。
『周囲に人影はなし、入っていいよ』
ウミの報告を受けて、2人はそろりと中に入る。すぐに目に飛び込んできたのは、壁一面を覆う巨大なサーバーラックと無数の端末だった。それらの機器が淡い光を放ち、規則的な音を立てて稼働している。
「ここ、電源が生きてるのか?」
ソラが低い声で呟く。
『シャードがつけたままにしたのかも?』
ここは侵蝕区域だ、ルイン結晶を使った発電なら燃料には困らない。自動で電源を維持し続けていても不思議ではない。ただ、まだここに人がいて、電源を維持している可能性も否定もできない。警戒するに越したことはない。
リンクスが端末がある台座を車輪付きの前足で引っ掻くような動作をしている。ソラはそれを持ち上げて机の上に置く。リンクスの足先の車輪が引っ込み、代わりに接続端子が現れる。それはポート目掛けて突き立てられる。
『やっぱし、ロックされてるか。……ちょい待ち、今侵入するから』
「便利だな、そいつ」
ソラはリンクスの多彩さに思わず声を漏らした。
『まあ、うちが設計したからね。この辺は抜かりないよ。それじゃあ、行動開始!』
ウミはそう言いながらキャンピングカーの中で自分のPCを操作していく。
とりあえず、対干渉殻を抜かないと。
事前に用意したエクスプロイトコードを走らせる。
どれか当たれば……おっ、抜けた、抜けた。なら、次はヒュドラを流そう。
ヒュドラはいわゆる防壁を無力化するためのウィルスプログラムだ。その名の通り複数の頭を持ち、複数の方向から防壁を破ったりすり抜けたりし、猛毒を接続した端末の深いところに残していく。
モニターにヒュドラの侵攻ログが一気に流れ始める。
“経路A、侵入失敗、防壁によるルート遮断
経路B、侵入失敗、セキュリティ動作前に切断
経路C、侵入成功、各セキュリティをスルー
ヒュドラ、OSに到達”
これであの情報端末はウミの手に落ちたも同然だ。
『ロック解除できたよ、さぁ使えそうなデータを探そう』




