《5》
【転】
「‥ガクか、…今日は一人か?」
香辛料の付いた肉がこんがりと焼ける香ばしいかおりと、白煙を煙突から吹き出しながら停泊している屋台船。
その注文カウンターに近付くなり、頭上から渋い声が降って来た。
はたして顔を上げると、そこには馴染み深い仏頂面の老人が、身を乗り出して俺を見下ろしていた。
やや後退した白髪頭に、目の動きがまったくうかがい知れない真っ黒なサングラス。
普通よりも大きめな耳。
ただ老けている訳ではなく、凛々しさを保った異邦人の彼こそがこの屋台船の店主。
ジョーンズ氏その人だ。
夏でも冬でもポロシャツ姿にエプロンスタイルだが、間違いなく黒のスーツが似合うだろう。
「マナブはまだ潜ってますよ。この寒い中よくやりますわ」
「そうか。…注文は?」
「いつもの牛鳥豚の三種で野菜多め。今日は寒いからソース辛めのミックスで」
ジョーンズは差し出した代金を無言で受け取ると、黙々と調理に取り掛かった。
マナブと共にアキバデビューを果たしてから十余年、アキバを訪れた際には必ずこの店に顔を出して来た。
お陰で彼とはすっかり顔なじみとなったが、俺もマナブも、未だに彼が愛想よくしている所を見たことが無い。
ただ決して怒っているわけでも不機嫌な訳ではないそうで、本人曰く「表情が硬いだけ」らしい。
因みに表情だけでなく、昔から容姿も一切変化しないので『本当はサイボーグなんじゃないか』等の疑惑が囁かれている。
「……ん?」
おこぼれを頂戴しようと群がってくる図々しい海鳥たちを足蹴にして何の気なしに左を向くと、交差点の向こう側に沈む【光愛ビル】を取り囲むように、大小の『痛船(外装にアニメ、ゲームキャラをあしらわれた船舶)』がたくさん停泊しているのが目に留まった。
一昨日オープンした油麺屋の行列かと最初は思ったが、船に立っている人々の風情はダイバーやただの列待ちではなさそうだ。
頭に何やら文字の書かれたカラフルな鉢巻を巻き、これまたカラフルな半被を羽織り、腰の両サイドにぶら下げたるはサイリウムぎっちりのホルダ。
その目線は一様に、光愛ビル屋上に浮いている見慣れない物体に向けられていた。
楕円形の巨大なソレは、どうやら何かの浮遊式ステージらしい。
大きなモニターの両脇に組まれた金属の足場にはスポットライトやスピーカーが設置され、その下では人影が三つ動いているのが見える。
『団員のみんなー‼ 元気でーすかーッ?』
スピーカーを通した大音量の可愛らしい声に、船の上に立つ人々が一斉に「元気デース‼」とサイリウムを持つ両手と声を上げた。
それを合図にモニターに映し出されたのは、マイクを持った猫科動物を思わせる獣顔の少女に、手なのか足なのか良く解らない大量の触手で様々な楽器をぶら下げているクラゲ(としか形容できない)生物。
そしてステッカーまみれのギターをチューニングする人間の少女。
三人とも色違いながら、同じデザインの衣装を着ている。
『今日は寒い中集まってくれて、どうもありがとうーッ‼ いやぁ、流石は良く訓練された『団員』のみんなだねぇ⁉ SNSにヒントは載せてたけど、良くぞこれだけ集まってくれました! さてさてぇ? みんなご存知の通り、我々『超銀河★ハーモニック隊』は…、遂にメジャーデビューが決定しましたーッ‼ はぁい拍手―ッ‼』
獣顔の少女が『団員』と呼んだファン達を煽ると、彼ないし彼女らは狂喜乱舞。
自分達の船が激しく揺れて転覆しそうなることも厭わず、飛んだり跳ねたりしながら「おめでとう」の大合唱を始めた。
それによって生じた空気の振動と海面の波は、十数メートルは離れているココからで感じられるほどだった。
「現れたか…。『超銀河★ハーモニック隊』」
少女達の一挙手一投足に大はしゃぎする観客を眺めていると、顔の真横に熱々のケバブが差し出されていた。
「有名なんすか?」
腹が減っていたので早速噛り付きながら訊ねると、ジョーンズは「良くも悪くも」と何やら含みのある言い方をする。
「《ファンの声援と、自分達が奏でる旋律を響き合わせて一つの楽曲を完成させる》をコンセプトに、五年ほど前から活動していてストリート系のアイドルバンドだ。『虎族』のハイテンションヴォーカリスト『アビー・シュテル』をリーダーに、地球から七光年ほど離れた惑星『《ウォーターアイランド》の刺胞動物』で、あらゆる楽器を一人で操る事が出来る一人管弦楽団『ゼリー・パドズ=ナミア』。そしてメンバー唯一の人間、ニホン人ギタリストの『オカザキ リン』。最近その実力が認められて、デビューが決まっている。今日はデビューアルバムのリリイベだ」
先ほどまでの寡黙さが嘘のように、饒舌な語り口のジョーンズ。
何処となく口角が上がっている様に見えるのは、決して気の所為ではない。
それもその筈。
彼は自他共に認める無類のドルオタ――アイドルオタクなのだ。
テレビに出演する有名どころから、深夜ラジオに登場するご当地アイドル、はては無名の地下アイドルまで。
古今東西、津々浦々、国内国外地球外。
ありとあらゆるアイドルの情報を把握しているらしい。
船中厨房のいたる所にテープで貼り付けられた紙切れは、レシピ表でも材料リストでもない。
実は全てアイドルの活動やプロフィールをまとめた物。
老舗でソコソコ人気の店なのに、店舗を構えず屋台船というスタイルを貫いているのも、どんな地方イベントにも遠征しつつ営業する為だ。
「テレビでも報道されている筈だ。‥見ていないのか?」
「俺はアイドル……って言うより、芸能人その物にまるで興味が持てないんですよねぇ。世間一般には有名な俳優さんとかも、見たことはあるだろけど名前は一切出てこない感じで。そもそもラジオ派ですから、最近テレビなんてゲームの時ぐらいしか点けませんし」
「ゲームや本の世界ばかりではなく、もう少し現実の世俗にも興味を持て…。マナブを見習ったらどうだ?」
「何でもかんでも手当たり次第で無節操なアイツと一緒にしないで下さいよ」
「……一応聞くが、この国の現総理大臣は?」
「‥イヤー、ヤッパジョーンズサンノケバブハサイコーデスナー」
俺の誤魔化しに、ジョーンズは「やれやれ……」とため息混じりに呟き、船内に引っ込んだ。
いや、流石の俺にだって顔ぐらいは解っている。
ただ、正確な名前が出てこないってだけだ、うん。
「‥ぅん? リリイベある事知ってたんならジョーンズさん、何だって今日は向かい側のココで営業してるんすか?」
ジョーンズはアイドル絡みのイベントがある時、必ず最も音楽が楽しめて、アイドルの姿が見やすい位置を陣取って営業することを心掛けている。
ホームページにも、店を探すポイントの一つとしてそれを表記していた。
ところが今日の場所は直線上とはいえ光愛ビルの向かい側。
アイドルを愛でるにも音楽を聴くにもやや遠いのではなかろうか?
もっと近く、それこそ光愛ビルの真ん前で営業すれば、見物人が買いにも来て利益も得られるから一石二鳥の筈だが…。
「言っただろう。ハーモニック隊は『良くも悪くも有名』だと」
「ファンに厄介勢が多いとか?」
「いや…。彼女達の野外ライブが、全てゲリラだからだ」
「ゲリラ、……無許可って事ですか?」
「そうだ。しかもこのアキバでな。これがどういう事かはお前でも、」
ジョーンズが全てを言い切る前に、どこからともなくサイレンのけたたましい音とエンジン音が近付いてきた。




