《3》
正確にはどれほど過去なのか定かではない。
少なくとも、海の底がまだ『地上』だった頃。
アキバは今とは比べ物に成らないほど多くの人と物、そして魅力が溢れる街だったと言われている。
何せ今俺が立っている廃ビルを含め、足元に沈んでいる大小の建物全てが、機械部品やグッズショップなどの商店、飲食店として営業していたのだ。
海上に露出する限られたスペースに生活圏を追いやられた現代とでは、収容力や品揃え、なにより物量が桁外れに違う。
だが海面水位が人々の生活を脅かし始めた当時、世界はどうすれば人類が生き残れるかの対策で必死だった。
いくらニホンがサブカル文化に寛容だったとはいえ、生命維持に関わる物ならいざ知らず、アニメグッズなど嗜好品のためだけに貴重な地上部や収容スペースを用意する訳が無い。
何よりフィギュアにしても書籍にしても、基本的には製造方法から素材、重量に至るまでデータ化がなされていた。
つまり元データさえ残っていれば作り直す事が出来るのだ。
水没がいよいよ目前に迫ってようやく《完全防水の魔術【ウォーター・プルーフ】》や《形状記憶の魔術【アンチエイジング】》の処理が施されたそうだが、海上生活化へのゴタゴタも相まってか、多くの品々はその後回収されることもなく、海の底に放置される事となった。
ただし、それも昔の話だ。
『データから量産された、複製ではないオリジナル品』
『魔術処理のみでデータ化されなかった古書』
『ハンドメイドで一点物のフィギュアやガレージキット』
海上生活化に完全適応した現代、それらが沈んでいると解れば、欲しくなるのがオタクの性。
いや、これは何もオタクに限った話ではない。
サルベージされたグッズの中には、その歴史的価値と造形美から実際にオークションなどで云千万単位の取引がされる物もある。
沈んでいるグッズの数々はどれも、正真正銘『お宝』に他ならない。
『もしもぉ~し? マナブちゃんよりガッ君、応答願いまーす!』
隣のビルでチラシを配るメイドさんをボーッと眺めていると、頭に装着したヘッドセットに、潜水中のマナブから応答を求める通信が入る。
嬉々としたその声から、どうやら目当ての品を発見したらしい。
タバコを踏み消し、吸殻を灰皿に拾い入れながらマイクのスイッチを押す。
「はいよ、こちらガク。今日は見つかったのか?」
『うん! やぁ~、十三軒目でようやく見っけましたよぉ。『魔砲少女ハッピー・トリガー』の完全覚醒フルアーマー装着バージョンPVC塗装済みリボルバージョイント可変式フィギュア!! 来るたんびに探しててホント良かったぁ! あ、しかもコレ、付属品も全部付属してる完品じゃないですか、最高!?』
まるで何かの呪文のような単語を一息で並べ立て喜んでいるマナブだが、古いアニメのキャラクターだという事以外、俺には何の事だかさっぱり解らない。
「ならさっさと上がってこい。俺はもうだいぶ前に上がって、道具もレンタルに返してきたぞ? それに13時まであと1時間もない。『潜水禁止時間』になって『海保』がチェックしに来る前に戻ってこないと、せっかくのお宝、全部没収されるぞ」
『えぇ?! ‥うわぁ、もうこんな時間! うぅん、このガラスケースは鍵掛かってるから、解錠しなきゃならないのにぃ……』
「‥おい、間違っても『ガラスを割る』なんてマナー違反するなよ? マナブ以外にもそのショーケースにあるフィギュアをゲットしたい奴は居るんだ、後から来た人たちが怪我するような、」
『解ってるよ! お休みとはいえ私は婦警さん、国家公務員なんですから!? ガッ君はどうしてそういつも説教くさいんだか……。 ‥うぅ~ん、仕方がない! 場所は覚えた。今日はここまでにする。道具も無いから、割る事すら出来ないしね。ただ次来る時まで誰かに取られないように、予約タグを貼り付けて……、これで良し! ガッ君は今どこに居るの?』
「今は、えぇ~……」
訊ねられ、俺は改めて屋上を縁取る柵の外側、海面の方へ視線を向けた。
かつてはこの町のメインストリートだったであろう【中央通り】を挟んだ向かい側の建物も、こちら側と同様、上層部より下は水没している。
「トラのコスプレしたキャラの描かれてるビルの向かい」
『となると『マップビル』の一号館? ……あ、さてはガッ君、エロゲ漁りですかぁ? どおりで珍しく「今日は俺も潜る」なんて息巻いてた訳ですな。なぁるほどねぇ~』
「ち、違ぇよ馬鹿!? FCとかPSのレトロゲー探しに潜っただけだって! この前オークションで筐体落札出来たから……」
『ほぉ~う? んでそのついでに、PCゲーも回収って訳ですね、解ります』
顔を見なくてもニヤニヤしているのが容易に想像できるマナブの声。
俺は必死に誤魔化したが、自分で言うのもなんだが声が結構上ずってしまう。
そりゃあ俺だって男の子ですから?
あんな甘美で淫靡なゲームのパッケージを見てしまったら、そそらない訳が無い。
ニホンには『据え膳食わぬは男の恥』という大昔からの名言があるじゃないか。
性欲があっても良いじゃないか、人間だもの。
『気にしなくて良いよ~。ガッ君がスケベェなのは今に始まったことじゃないし、ガッ君がアキバに来る主たる目的が新作エロゲの予約だってことも知ってるからねぇ』
「‥オレ、サキニ、カエル」
冷やかしてくるマナブに少し脅しをかけた。
今は水中にいるので浮力が働いているが、浮上すればマナブが身に着けているダイビングの一式は自前の古いタイプのためかなり重たくなる。
サポートなしでも警察職員であるマナブなら、自力で上がって来られなくは無いだろう
だが、水中でまごついている内に『海上保安局(通称『海保』)が到着すれば『潜水禁止時間を過ぎてのサルベージ行為』として発見した品はすべて没収、さらにペナルティで一ヶ月の入水禁止命令を喰らう。
マナブの職業上、本当にしょっぴかれでもしたら色々とマズい事になるだろう。
『わわッ! 待って待って!! 謝る! 謝りますから! も~ぅ、ちょこっとからかっただけじゃないですかぁ~』
急に猫なで声になって許しを請うマナブ。
こういう切り替えはホントに素早い奴だ。
だが、これが本気の謝罪でないことなど百も承知。
逆に俺が本気で怒ってないことも、マナブにはバレているのだろうが。
『双子』というのは、なんとも厄介なものだ。
二卵性なので性別も趣味思考も違うが、変な所で勘が良く、考えが読まれてしまう。
「冗談はさておき、マジで時間がないぞ。ホントに摘発されたくないなら、とっとと上がってこい」
『りょーかいでーす。今から浮上するけど、絶対先に帰らないでよ?』
通信機のスイッチが切られる『ブツッ』という音が一瞬聞こえ、それっきりイヤホンからは何も聞こえなくなった。
ヘッドセットを外して首を回す。
けして重たい物ではないのだが、長時間頭を締め付けられていたので何だか肩が凝ってしまった。
(さぁて、本当に13時までに戻って来れるやら……)
首筋を揉むようにさすりながら、水上列車ステーションの方向を見やる。
マナブが潜っているのは駅前の【ラジ館ビル】第五階層にあるフィギュアやドール専門の区域だった筈だ。
何度か一緒に潜った経験上、行きだけでも30分以上はかかる。
どう考えても、ここまで来るのに泳いでいたのでは間に合わない
(恐らく頑張っても、ラジ館の屋上で待機だろうな。‥しゃーない、迎えに行ってやりますかね?)
今日の戦利品であるディスク数枚とカセットソフト。
そして妙にデカく、とても剥き出しで持ち運ぶには躊躇せざるを得ない絵柄の長方形の箱をリュックにつめたところで、不意に腹の虫が鳴った。
思えば朝は軽く食べた程度で、待機してからもほとんど何も食べていなかった。
恐らく、マナブも同じ状態だろう。
マンガや小説の物語に出てくる仙人は『霞(もしくは霧)』で腹が膨れるらしいが、生憎とただの人間である俺の腹は、タバコの煙では膨れない。
マナブには悪いが、先に腹ごしらえをさせてもらおうとしよう。




