《10》
マナブの暮らす警察官舎は『セントラル』から北に少し離れた群島地域『子ノ島諸島』にあるため、彼女が帰るためには高速海洋船『ジェットフォイル』に乗らなくてはならない。
しかし夜行便の出港時刻にはまだ少し暇がある。
フードコートでやや早めの夕食を終えた俺達は、屋上の脇にある釣り堀――たかが『釣り堀』と侮るなかれ。ココの堀は海に囲い網を張って作られた海釣りタイプ。泳いでいるのは活きの良い海魚ばかりだ――で時間を潰す事にした。
備え付けのベンチに並んで腰掛け、屋上を囲む格子柵の隙間から釣り糸を垂らす。
「どうでしたか、久しぶりのアキバは?」
マナブはすっかり冷めてしまった激辛ケバブを大口で頬張りつつ、疑似餌を虫か何かと思わせようとしているのか、せわしなく竿を揺らす。
対して俺は竿に一切触らず、着水してプカプカと海面に漂う浮きを見守った。
本当はタバコを吸いたいが、マナブが食事中なのでココは缶コーヒーを啜って我慢だ。
「まぁ、相も変わらずエネルギッシュな街だな。人酔いしそうなくらいに」
以前は週一でアキバを訪れていたが、長男として実家を継いでからは仕事柄、来る頻度は確実に激減した。
月に一度来られれば良い方で、今日のように時間を気にせず街を回れたのは実に三ヶ月ぶりの事。
そもそも『列車に乗って移動』という行為自体が、かなり久々だった。
「少なくとも、家にずーっと篭ってるよりは健全的だね」
マナブはケラケラ笑う。
確かに、直接日の光を浴びたのも久しぶりかもしれない。
「そっちこそ貴重な休日は満喫できたのかよ? 異動してからは、俺よりも来る機会は減っただろうに」
「まぁ、ボチボチと楽しめましたねぇ。…おぉ、来た⁉」
浮きが海中に沈み込むのを見るなり、マナブはケバブを口にくわえ込んだまま、竿を両手に持ち変える。
しかしマナブの手にする獲物は、所詮釣り堀用のレンタル竿、それも一番等級が低くリール無しで補強魔術なども成されていない激安なただの竹竿だ。
案の定と言うべきか、魚と格闘は始まるまでもなく、糸はプチンッと切れた。
マナブは一瞬呆気に取られていたが、残念そうに鼻から溜息を吐くとケバブを一気に食べつくす。
そして竿を置き、座ったまま大きく背伸びをした。
「ふぅ~…。でもやっぱり、ふとしたタイミングで仕事の事考えちゃってるね。こうしている間に、悪事を働く輩が現れないか心配で心配で。我ながら、職業病かな?」
「『尾ノ枝町』の警察って、忙しいので有名なんだろ? オンとオフの切り替えはしっかりつけた方が身の為だぞ」
「ん、心配してくれるんだ? お姉ちゃんは嬉しいですねぇ」
「グッ!」
先ほどの件があったのに、不覚にもまた心配してしまった…。
ココで認めると調子に乗るので「誰がするか」と悪態をついて誤魔化す。
「そもそも、どっちが上もないだろ? 双子なんだから」
「書類上は私が『姉』だもんね。大丈夫だよ、これでも元はヒーロー志望者ですから。試験に落ちてヒーローには成れなかったけど、正義の味方にはなれたしね。何処かの店主みたいに、万年オフシーズンみたいな生活よりは忙しいくらいが私の性にあってる」
「人聞きの悪い事言うなよ…。これでも、もう一つの仕事の方は頑張ってるんだぞ?」
「おやおや? なら次の新刊は期待してますよ、作家センセ? 前に出したラノベの時みたいに、また迂闊なこと書いて叩かれないように気をつけてね」
「言われるまでも無いっての。……あんなのは二度と御免だ…」
「…そうだね」
マナブと共に、しばし無言になる。
――そう、屋上の裏ルートが世間にバレてしまうきっかけとなったラノベ。
それを書いた作家とは、この俺、平賀 學なのだ。
作家としての俺、……というより、これまで書いてきた作品は、どれも決して有名でもなければ人気という訳でもなかった。
もちろん一作一作全身全霊をもって書いて来たが、スマッシュヒットを飛ばしたような作品は一つもなく、今だって極たまに現れる感性の合った読者が固定化してくれるお陰で、なんとかモチベーションを落とさずに作家を維持できているような状態だ。
件の作品も、書いた当時は万人受けを狙うどころか、伝わる人に伝わってくれればという思いの方がずっと強かった。
それがどういう訳かその作品に限っては反応が良く、あまつさえ『聖地巡礼』的な事まで行われるとは露ほどにも思っていなかった。
最初こそ人気の急上昇で有頂天になっていた俺だったが、日に日に増す誹謗中傷や思い出すのも辛い出来事に、俺たち姉弟は本当に辛い期間を過ごした。
精神的にも病みに病み、薬や病院に掛かっていた時期もある。
しかし、完全ではないながらも立ち直った今の目線で考えると、収穫がなかったわけではない。
極めて手痛い授業料だったが、作品が良くも悪くも注目された事は、あの作品の作り方や構成、題材自体は悪くなかったのかも知れない。
結果的にはいい勉強になったとも言える。
とはいえ、俺だって一人の人間だ。
傷付かない訳じゃないし、批判されないに越したことはない。
うっかりリアルな情報を盛り込みすぎず、かといって単調にもなりすぎず……。
つまり現在執筆中の作品もいつも通り、全力をもって挑むのみだ。
「連絡した時は随分と苦しんでたみたいだけど、完成の見込みは立ちそう?」
「非常に刺激的な外出だったお陰で、頭は良い感じに回ってきた。帰ったら一気に進めて『冬コミ』には雛型を持って行けそうだな」
「それはなにより。目指せ、大賞受賞! ‥ん?『刺激的』って何かあったの? そういえば服装も朝と違うような…」
「あぁ、コレか? 実はさっきジョーンズさんの屋台で……」
俺は数時間前に邂逅したハーモニック隊と機動隊の対決をマナブに話した。
するとマナブは「なんですとー!」と素っ頓狂な声を上げて立ち上がり、屋上の柵に乗り出して光愛ビル方面を見る。
ただラジ館は周囲の建物に比べて背丈が低い。
マナブがいくら柵の上によじ登ってジャンプしたところで、現場が今どうなっているかまでは窺い知れない。
「しまったぁ、私としたことが情報を見逃してましたよ。リリイべ逃しとは『団員』として何たる失態! ‥まぁジョーンズさんの事だから動画撮ってるだろうし、言えば後でデータ貰えるだろうけど……」
そのまま柵に腰掛け、ふて腐れた子供のように足をブラブラとさせるマナブ。
「お前もファンなのかよ⁉ あの人騒がせなバンドって、そんなに人気なのか?」
「ウチの警察署の中にもハーモニック隊のファンは多いよ? 私は先輩から教えて貰ってからどっぷりだけどさ」
「へぇ、意外だなぁ……」
マナブの先輩警官、確かハバネさんだったか?
何度か会った事があるが、マナブの持つ『正義の味方』という概念にもっとも影響を与えた女性で、秩序を乱す輩には容赦ない人だったと記憶している。
ハーモニック隊の歌には、そのハバネさんの心を震わせる『何か』があるのだろうか?
「私的には、この情報過多のご時勢にハーモニック隊の存在を知らないガッ君に驚愕。もっとテレビとか見た方がいいよ?」
「お前までジョーンズさんみたいな事を……。警官が警察組織をおちょくってるような連中を応援していいのか?」
「個人の趣味嗜好は、法的にも保障されてる人の権利なのです」
「でも警察は、しょっ引こうとはしてるんだろ?」
「そりゃそうだよ、……っと」
マナブは柵を掴んで後ろ向きに倒れると、そのまま器用に一回転して着地。
ズレた帽子を被りなおして、少しキリッとした表情を見せた。
「いくらみんなから支持されてる相手でも、イコール何をしても許されるって訳じゃないよ。不特定多数の誰かに実害や迷惑をかける存在なら、それを取り締まるのはお巡りさんの責務! アキバは比較的に『自由』がある街ではあるけど、決して『無法地帯』にしてはならないのです。あと、警察には警察なりの面目があるしプライドもあるからさ。仮に個人的には不本意だとしても、通報があったからには一般市民に信頼される行動を取らないと」
「御尤もで…。改めて思うけど、マナブは警察官って仕事がピッタリだよ」
「うん、まさに天職。これぞ我が生きる道ってね。……だから、感謝してる」
突然マナブが改まった態度で俺に礼を言う。
何に対してのお礼なのか解らず首を傾げると、マナブは「家の事」と付け加えた。
あぁなるほど、そういう事か。
「本当なら姉で長女の私が、家を継ぐべきだった。でもガッ君が継いでくれたお陰で、私は夢の為に家を出て、警察官になれた」
「……あの時も言ったけど、別に礼を言われるほどの事じゃないって。それまで放蕩息子してたのは俺の方だ。実家が無くなるなんて事態は俺も嫌だったし、自宅が仕事場な物書きとしてはむしろ都合が良い」
両親が亡くなるまで、俺は旅好きなのもあって各地を転々とする放浪の日々を送っていた。
『作家』とは、作品の売れ行きによって収入が左右される。
編集者との修正作業があるとはいえ、一つの場所にじっくり腰を据えて創作活動を行う方が当然作品の質は高まる。
調子が悪いときは特に影響は顕著で、デビューしたての頃はその所為でますます収入が下がるという悪循環に苛まれてもいた。
不謹慎ながら、実家暮らしになった事自体は感謝している。
「まぁ代わりに『店の維持』という別の悩みが発生したけどな…」
両親が営んでいた骨董品店をそのまま継承したが、個人のネット販売が普及した今日日、新品なら兎も角、ワザワザ店に来てまで買いに来る者はほとんど居ない。
正直今も、危うい経営が続いている。
「そこはガッ君が頑張らないと。あんなに綺麗な奥さんが居るんだし」
「ブフォッ⁈」
『奥さん』というキーワードに思わず咽てしまい、コーヒーを盛大に吹き出した。
鼻にまで回ってしまい、ツーンとした痛みに涙が出てくる。
「ゲホッ、ゲッホォ! ……だ、誰が誰の嫁さんだって⁈」
咄嗟の事だったというのに、目の前に居た筈のマナブは、ちゃんと吐き出されたコーヒーの飛沫を避けている。
流石はお巡りさん、良い身のこなしだ。
「今日迎えに行った時に出迎えてくれた女の子。自分で『妻です!』って挨拶してくれたよ?」
「あ、あの化け猫ぉ……」
「‥バケネコ?」
「勘違いするなよ、マナブ。『アイツ』は勝手に居座ってる只の居候だ。アイツが嫁さんだなんて、考えただけでも恐ろしい…」
「あははは! まさかの『押しかけ女房』パターンでしたか。古風ですなぁ」
頭を抱える俺の姿を見て、マナブはさも面白そうにケラケラと笑う。
しかし俺的には笑い事ではない。
居候条件として本人が『自分の食費は自分で稼ぐ』というので譲歩したが、結局何だかんだで俺も彼女の仕事を手伝わされる事が多い。
アイツの所為で、締め切り間際はかなりの確率で修羅場だ。
「いいじゃん、いまどき居ないよぉ? あんな可愛くて綺麗な子が義理の妹になってくれるなら、私は大歓迎だし。姉である私が結婚を許す!」
「冗談はそのアホみたいに分厚い眼鏡だけにしてくれ。とにかく、アイツは嫁でもなんでも無い!」
「はいはい」
マナブはニヤニヤしながら、おもむろにベンチ脇に置いていた手荷物をまとめ始めた。
その様子に俺も体をひねってベンチの後ろ、屋上中央の時計を確認。
駅に向かうには、いい感じの時間になっていた。
「それじゃあ名残惜しいけど、そろそろ帰ります」
「ん、駅までは送る」
「ホント? ではお言葉に甘えて…。さらば、我が心のオアシス、アキハバラよ!」
俺が釣り道具を片付けている間に、荷物を背負ったマナブは今一度、夕日に染まるアキバの街を見回す。
今度はいつ、まともな休みを取れるのか解らない生活。
それを苦にしないマナブの堅実さと正義感には『弟』として尊敬の念を感じた。




