第九話 作られたスキャンダル~正義という名の商品~
王都中の新聞が、その名前で埋め尽くされていた。
『アルフォンス・ヴァルメール』
国王からの信頼も厚く、次期宰相候補とまで目される有力議員。彼が、若い女性書記官への破廉恥行為で告発された――そのニュースは、瞬く間に王都を駆け巡った。
彼が心血を注いでいた「契約伴侶制度」――同性・異性を問わず、法的に家族となれることを認めるパートナー制度――の審議も、この一件で停止に追い込まれた。
そんな中、インク・オブ・トゥルース社を訪れたのは、アルフォンスの筆頭秘書、エミール・ローランだった。
「ここで話したことは、公言しないと約束できますか?」
エミールは、思いつめた表情で切り出した。
「話したくないなら、出て行ってもらっても構わない」
ブランが、静かに答える。
エミールは、しばらく黙り込んだあと、意を決したように口を開いた。
「私と、閣下は……恋人なんです」
事務所に、一瞬の沈黙が落ちた。
「男性相手なら、私も疑ったかもしれません。でも――女性、それも若い方に対して、閣下は、無理なんです」
「詳しく話してくれ」
「若い頃、敵対派閥に何度となく、無理やり色仕掛けされたことがあるんです。それ以来、閣下は、若い女性と二人きりになることを、極端に避けてきました」
ノワールが、腕を組む。
「確かに、記事を読む限りじゃ、証拠が揃いすぎている。……あらすじが、元々あったみたいだ」
「捏造だという証拠は?」
ブランが、鋭く問う。
エミールは、力なく首を振った。
「ありません。……だからこそ、お願いしたいんです」
「自身の嗜好が同性愛者だと反論すれば、己の欲のための制度法案だと反対派から叩かれるか……」
ブランは、静かに呟いた。
「立証の難しい冤罪レベルだね」
ノワールが、資料をめくりながら言う。
◇
ロペス兄弟は、告発した書記官リリア・フェルン、記事を書いたゴシップ新聞『王都週報』の記者カイル・レーヴェン、そして事件を担当する女性人権派の弁護人ベアトリス・エルマン、三人それぞれの背景を洗い始めた。
「記者のカイル・レーヴェンは、一年以上、大きな特ダネが取れていない。編集長からは、最後通告に近いことを言われている」
「弁護人のベアトリス・エルマンは、次期法曹院代表の座を争っている最中だ。この事件を勝ち取れば、一気に名が売れる」
「書記官のリリア・フェルンは……」
ノワールが、少し声を落とした。
「恋人のダリオが、商売の失敗で高利貸しに借金を抱えている。多額の報酬と引き換えに、証言を頼まれた線が濃厚だ」
「記者は手柄。弁護人は名声。書記官は金」
ブランが、静かにまとめる。
「三人が三人とも、十分すぎる動機を持っている」
ロペス兄弟は、王都中の宿屋の帳簿、郵便馬車の配達記録、そして密会の場を目撃した御者の証言を、一つ一つ集めていった。
「事件が公になる前から、三人は、何度も接触していた」
ノワールが、記録を突き合わせながら言う。
「宿屋の裏口で。郵便馬車の待合所で。人目を避けるように」
決定的だったのは、カイルの取材メモだった。
「見てくれ、兄さん」
ノワールが差し出したメモには、告発が公になるより前の日付で、「会見」「証言」「記事掲載日」の予定が、几帳面な字で書き込まれていた。
「事件が起きる前から、記事の完成予想図が、出来上がっていた」
ブランの目が、冷たく光った。
◇
翌日、アルフォンス・ヴァルメールの代理人として、ロペス兄弟は三人を呼び出した。
三人を前に、ブランは静かに、しかし確信を持って告げた。
「これは、アルフォンス・ヴァルメールを辞職に追い込むための冤罪だ」
ブランが静かに告げると、ノワールが、肩をすくめながら付け加えた。
「こういう時に悪党は、大体こう言うんだよね」
「「証拠はあるのか?」」
二人の声が重なった。
ノワールが、小さく笑う。
「ほら、言った通りだ」
「これが、破廉恥事件を、作り上げた証拠だ」
ブランは調査資料を広げた。
沈黙の中、リリアが、先に崩れ落ちた。
「……お金が、必要だったんです。ダリオの借金を返さなければ、彼が、危ない目に遭うと言われて」
リリアの声は、涙で何度も途切れた。
ノワールは、何も言わず、彼女の前にそっとハンカチを置いた。
「……で、誰に頼まれた?」
ブランの問いに、リリアは震える声で答えた。
「依頼主から頼まれました」
短い静寂のあと、カイルが、疲れたように口を開いた。リリアほどの震えはなく、どこか諦めたような口調だった。
「私も、そうです」
「これを書けば、編集長からの信頼を取り戻せる、と。……依頼主から、記事の筋書きまで、渡されていました」
ベアトリスも、静かに頷いた。
「私にも、依頼がありました。この事件を勝ち取れば、法曹院代表への道が開ける、と」
「三人とも、依頼主は、誰だ?」
三人は、顔を見合わせたあと、ほぼ同時に、ある宗教団体の名を口にした。
王国最古の宗教団体――「契約伴侶制度」が、彼らの説く伝統的な家族観と相容れないと考える、保守的な勢力の一角だった。
だが、その団体自体への追及は、そこで途切れた。証拠となる書類はすでに焼却され、資金の流れも、複雑に迂回させられた末に、痕跡が消されていた。
黒幕は、確かに存在した。
三人は、それぞれ司法取引に応じ、罪を認めた。だが、黒幕を法で裁くことは、できなかった。
◇
数日後、インク・オブ・トゥルース社は、事の真相を出版した。
『法は、信仰の自由を認める。生き方を選ぶ自由も、愛する者を選ぶ自由も、万人に等しく与えられた権利である。
だが、その自由を盾に、他者へ罪を着せることは、いかなる理由があろうとも、許されない。
真実の愛に幸多からんことを。
――ブラザーズ・ロペス』
この記事は、王都中に衝撃を与えた。アルフォンスの疑いは晴れ、契約伴侶制度の審議も、再び動き出すこととなった。
事務所に、後日、エミールが一人で訪れた。
「閣下から、伝言を預かっています」
エミールは、少し照れくさそうに、それでいて誇らしげに続けた。
「『この国に、契約伴侶制度が根付いたら、真っ先に、私と彼の名前を書類に記す』と」
「それは、ずいぶん気の早いことだ」
ノワールが、笑いながら言う。
「ええ。でも、待つのは得意な方なので」
エミールは、そう言って、静かに一礼した。
◇
事件が落着したあと、『王都週報』の編集長が、直々に事務所を訪れた。
「今回は、うちの記者が、とんでもないことをしでかした。すまなかった」
編集長は、深々と頭を下げた。
「お宅らのおかげで、うちの新聞も、廃刊にならずに済んだ。……この借りは、いつか必ず返す」
「借りだなんて、大げさな」
ノワールが、軽く笑って手を振る。
だが、編集長は、真剣な表情を崩さなかった。
「いや。マスコミは甘くはない……いつか、それが役に立つ時が来るかもしれないぞ」
その言葉に、ブランとノワールは、深く意味を考えることもなく、軽く頷いただけだった。
この時、二人はまだ知らない。
いつかこの編集長が、事務所の扉を叩き、一枚の封筒を差し出すことになることを。
そこに書かれた見出しが――『ロペス兄弟の弟はもう死んでいる』という、あの言葉であることを――。
王都の夜は、いつも通り、静かに更けていった。




