第十話 卵が先か 鶏が先か
インク・オブ・トゥルース社を訪れたのは、王都で画廊を営む美術商、アルベール・デュランだった。
「『偽物を売る画廊』……そんな噂が、うちに立っているんです」
アルベールは、疲れた表情で切り出した。
「客足が、目に見えて減っています。原因は、うちで扱っている新人画家――リュシアン・モローの作品です」
「盗作を疑われている、ということか?」
ブランがアルベールの経営する画廊のリーフレットを見ながら尋ねた。
「はい。彼の作品を見た人たちが、皆、『あの巨匠の絵にそっくりだ』と言うんです。……ですが、私は、あの絵に惚れ込んだんです」
アルベールは自分の判断に自信があるようだった。
◇
ブランとノワールは、まず国立美術館を訪れた。
展示されているのは、王国を代表する巨匠、ギヨーム・ルノワールの作品群だった。
その隣に並べられた、アルベールから借り受けたリュシアンの絵と見比べる。
「……これは同じ構図」
ノワールが、思わず声を漏らした。
「手前に小さな木造船が停泊しており、中央に長い桟橋が一本、水平線へと伸びている。左右には倉庫。空には数羽のカモメが飛んでいる。そして、海面には奥から登った朝日が桟橋へと繋がるように光となって反射している。」
「違うのは、光の捉え方やカモメの位置や波や雲といった動きがあるものか……コラムの間違い探しみたいだね」
船の配置。視線の誘導。奥行きの取り方。まるで、同じ絵を、二人の人間が描いたかのようだった。
ブランは、しばらく無言で、二枚の絵を見比べていた。
◇
ロペス兄弟は、ギヨーム・ルノワール本人のもとを訪ねた。
巨匠の反応は意外なものだった。
「あいつは、私の弟子だ」
ギヨームは、穏やかに言った。
「あそこには、弟子とスケッチに行ったのは間違いない。それに、あの場所は公共の場所だ。盗作と呼ぶのは、少し違うと思うがね?」
「ですが……」
同席していた国立美術館の館長、オーギュスト・ベルナールが、険しい表情で口を挟んだ。
「世間は、そうは見ません。師匠の名声に、あからさまに便乗しているようにしか見えない絵です。館長として、この件を看過するわけにはいきません」
「館長。それは、私に私有地以外は描くなと言うことか?」
ギヨームが、静かにオーギュスト・ベルナールを見た。
「と、とんでもない!」
◇
ブランは、購入したギヨームの絵が印刷されたポストカードとリュシアンの絵を、何度も見比べていた。
「構図は、確かに酷似している。だが、ギヨームが言っていたとおり、同じ場所で描くのは罪ではない」
ノワールが、二枚を見比べる。
「うーん、例えるなら同じリンゴでも赤いリンゴと青いリンゴみたい……そう、この違和感は色だ」
「色?確かに、ギヨームの絵は、落ち着いた、抑制された色使いだ。だが、リュシアンの絵は大胆すぎる」
ブランは、しばらく黙ったまま、二枚のポストカードを何度も入れ替えた。断定するには、まだ材料が足りない――そう言いたげな沈黙だった。
「まるで、見えている世界そのものが、違うみたいだな」
「兄さん、それはさすがに飛躍じゃない?」
「憶測だ。だから、確かめに行く」
ブランの目が、鋭くなった。
「これは、単なる模倣じゃないな」
◇
翌日、二人はリュシアンのアトリエに向かった。
アトリエには、絵の具が色相順ではなく、リュシアンだけが分かる印で並べられていた。
「……なるほど。」
ブランは静かに頷いた。
ブランとノワールは、リュシアン本人と、彼のかかりつけの眼科医のもとを訪ねた。
「リュシアンさんには、幼い頃から、色覚に特性があります」
眼科医が、静かに説明した。
「本人は、それを深く意識してこなかったようですが……彼が『見えている』色と、一般的な人が見る色には、はっきりとした差異があります」
リュシアンは、驚いた様子で、自分の手を見つめていた。
「僕は、師匠みたいな絵が描きたかったんです。」
「同じ場所で描いて、同じ技法を教わって……同じ色を置いたつもりでした。」
「それなのに、僕の絵は師匠の絵にならなかった。」
ノワールがリュシアンの肩に手を置いた。
「あなたにしか見えない色で、絵を描いていた。構図やタッチが師匠にどれほど似ていても、配色だけは、あなたしか表現できない」
ブランが続けて言った。
「違うのは当然だ。技法は受け継げるし、構図も学べる。だが、あなたの目で見た世界までは、誰のものにもならない。アルベールさんが言ってましたよ。『あの絵に惚れ込んだ』って」
リュシアンは、しばらく言葉を失っていた。
やがて、机の上に並んだ絵の具に、そっと手を伸ばす。いつも他人から借りていた色相順ではなく、自分だけの印がついた瓶を、一つずつ、確かめるように触れていった。
「……ずっと、これを、誰にも見せたことなかった」
それだけ言うと、リュシアンは、絵の具の並びをそのままに、小さく笑った。今まで見せたことのない、屈託のない笑みだった。
ノワールが、静かに言葉を添える。
「それがあなたにしか描けない絵を、生んでいたんだ」
◇
「では、盗作ではない、と?」
ベルナール館長が、まだ納得のいかない様子で尋ねた。
「盗作かどうかを決めるのは、俺たちじゃない」
ブランは、一呼吸置いてから、続けた。
「ですが、この作品は、間違いなく、彼にしか描けません」
その言葉に、ベルナールは、しばらく黙り込んでいた。
「……む。そういうことなら、話は別だ」
咳払いを一つ挟み、館長は表情を切り替えた。
「唯一無二の才能というのなら、なおのこと、国立美術館としては見過ごせませんな。リュシアン君、常設展への出品を、前向きに検討させてもらおう」
手のひらを返したような態度に、アルベールが小さく苦笑した。
「やっぱり、私の目は確かだった!」
◇
数日後、王都に出回った記事には、こう記されていた。
『人は、誰かと違うことを、欠点と呼ぶ。
しかし、芸術は、その違いから生まれる。
模倣の先に、個性があるのか――。
個性の先に、模倣があるのか――。
卵が先か、鶏が先か。答えは、誰にも分からない。
ただ一つ言えるのは――その絵は、世界に一枚しか存在しない、ということだ』
◇
この記事をきっかけに、リュシアンの絵は、「模倣」ではなく「唯一無二の色彩」として、王都で再評価されることになった。
事務所に戻る道すがら、ノワールが、ふと呟いた。
「兄さん。オリジナルって、何なんだろう?」
ブランは、少し考えてから答えた。
「誰にも真似できないものだ」
「じゃあ、リュシアンの絵は、模倣から生まれたオリジナルってこと? それとも、オリジナルだったものが、たまたま模倣に見えただけ?」
「……さあな。卵が先か、鶏が先か、俺に聞かれても困る」
ノワールは、それ以上、何も言わなかった。
ただ、その横顔には、何か、遠くを見るような色が浮かんでいた。
王都の空には、夕暮れの色が、静かに広がっていた。
それは、誰の目にも同じように映る色ではなく――見る人それぞれの中に、少しずつ違う色として、焼き付いていくものだった。




