第六話 血は嘘をつかない
インク・オブ・トゥルース社を訪れたのは、実直そうな男、ダリル・ルイスだった。
「浮気している妻を、罰したいわけじゃないんです」
椅子に腰を下ろすなり、ダリルは静かにそう切り出した。
「ただ浮気相手の上司に、社会的な責任を取らせたい。それだけなんです」
「理由を聞こうか」
ブランが、静かに促した。
◇
「妻のミレイユとは、私の上司――ヴィクトール・ウィルソンの紹介で結婚しました」
ダリルは、ぽつりぽつりと語り始めた。
「息子のノアが生まれて、幸せでした。でも、出産後すぐに、妻が夜に外出することが増えたんです」
「理由は?」
「『友人と会っていた』としか。最近、ベビーシッターからの請求額が増えていて、私が知らない時間もノアを預けて出かけているようなんです」
ダリルの拳が、膝の上できつく握られる。
「浮気を疑いました。探偵に調査依頼しようと考えていた時に、ノアが心臓に疾患が見つかったんです」
ノワールは、頷きながら聞いていた。
「ノアは先天性の心疾患で……輸血が必要でした。手術費用も、決して安くはなくて……私は一生懸命仕事の掛け持ちして工面しようとしました。そんなある日、妻が数百万の大金を用意してきたんです」
「その出所は?」
ブランはメモを取る手を止めた。
「聞いても、教えてくれませんでした。ただ『援助してくれる人がいる』としか……」
ダリルは、震える声で続けた。
「それで、はっきりと分かったんです。妻は、誰かと不倫している。それでも、ノアのためなら……と目を瞑っていました」
「それで、ヴィクトール・ウィルソンを疑うのは、なぜだ?」
「決定的だったのは、手術前の検査でした」
ダリルの声が分かりやすく落ち込んだ。
医師の言葉が、耳に蘇る。
『――お子さんは、非常に珍しい血液型です。この血液型の組み合わせは、ご夫婦から生まれる可能性が、極めて低いです』
その時のことを思い出したダリルは目を閉じ、絞り出すように言った。
「その瞬間、頭が真っ白になりました」
ダリルは、深く息を吐いた。
「そして、思い出したんです。同じ、珍しい血液型を持つ人間が周りに一人だけいるって……」
「それが、ヴィクトール・ウィルソンか」
ブランが、静かに名前を口にした。
ダリルは、力なく頷いた。
◇
翌日から、ロペス兄弟は、裏取り捜査を始めた。
最近、王都でも人気のパティスリーのメレンゲ菓子の差し入れを持って、ノワールはベビーシッターたちに話を聞くことにした。
女性たちは菓子に手を伸ばしながら、話を始めた。
「ルイスさん?ああ、ロングの家ね。」
「ロング?」
「長時間利用者を仲間内で『ロング』って言ってるの。奥様の入院や出産の時にロングの申し込みする人は多いけど、ルイスさんはいつもロング利用だったわ」
「そうそう。平日も休日も構わずって感じ。普通は担当制だけど、ルイスさんの家は頻繁だから、私たちが日替わりで受け持っていたの」
「そうなんだね。ところで最近のルイスさんの家に通った日を教えてくれないかな?」
◇
一方でブランはダリルからのヴィクトールの勤怠表を待つ間、送金の流れを追っていた。
(あれだけの大金を動かしたんだ。誰か覚えているだろう)
銀行員は守秘義務から話せないの一点ばりだった。
ブランは休憩中の清掃員に目をつけた。
喫煙スペースでポケットの火を探す清掃員。
「良かったら、どうぞ」
ブランは火を差し出す。
清掃員がタバコに火を点けた。
「ここの仕事は長いのかい?」
「ああ。この支店が出来てから働いてる」
「毎日、大金が動くんだ。強盗とか現れたら怖いな」
ブランは煙をゆっくりと吐き出した。
「最近は、現金取引する馬鹿はいねえよ。あ、そういえば最近久しぶりに見たなー。ボストンバッグに大金入れてる男を……」
「それは、どんな人だった?」
「どんなって……四十から五十歳くらいの男さ」
「例えば……こういう男か?」
ブランはポケットからダリルから借りていた写真を出す。
「ああ、こいつだ。今どき物騒だなって思ったんだ」
(大金の出どころは、ヴィクトール・ウィルソンで間違いない)
◇
「話を整理しよう」
ブランが、机の上に資料を広げた。
「ヴィクトールがダリルとミレイユを紹介した経緯。会社の出張記録。ホテルの宿泊履歴。ミレイユへの金の受け渡し。病院の記録。ベビーシッターの証言」
ノワールが、一つ一つを指でなぞる。
「外回りと称した日とホテルの利用日が、綺麗に重なってるね。ミレイユのベビーシッターの利用とも一致している」
「金の方は流れを追えないように、現金で受け渡ししていた。だが、ヴィクトールが銀行口座から金を引き出した数日後に、ミレイユが大金を持って帰ってきている」
「病院の来院記録は?」
「これが決定的だよ。ノアの手術説明の日、ヴィクトールが同じ病院に来ていた記録がある。ダリルは、その日、出張で不在だったのに」
ブランは、資料を睨みながら呟いた。
「ヴィクトールは、知っていたんだ。ノアが、自分の子だということを」
「でも、ヴィクトールはウィルソン家の婿養子。認める覚悟はなかった、ってことだね」
ノワールが、静かに続けた。
「匿名で医療費だけ援助する。父親になる責任は取らない。不倫を公表する覚悟もない……ってことか」
調査の結果、事の全貌が明らかになった。
ヴィクトールは、ミレイユとの関係の中で、ノアが自分の子である可能性を、早い段階から察していた。
だからこそ、ダリルには気づかれないよう、匿名で多額の医療費を援助し続けていた。良心の呵責からか、それとも、せめてもの償いのつもりだったのかまでは分からなかった。
だが、彼には、父親としてノアの前に立つ覚悟も、長年の不倫を公にする覚悟もなかった。
会社での地位。婿養子としての立場。人格者としての評判。すべてを守ったまま、罪の意識だけを金で埋め合わせようとしていた。
◇
ロペス兄弟が真相を突きつけた夜、ダリルは自らヴィクトールと対峙した。
「あなたが俺を裏切ったことは、どうでもいい」
ダリルの声は、静かだが、震えていた。
「ノアは、お前の子なんだろう?」
ヴィクトールは、答えなかった。だが、その沈黙こそが、答えだった。
「だったら……」
ダリルの目に、怒りではなく、切実な光が宿る。
「命から、逃げるな」
その一言が、事件の核心を貫いた。
「ウィルソンさん、あなたがノアくんの病院に行っていたことも、確認が取れている。息子が輸血を必要としているのに、あんたは金だけ払って終わりか?」
ブランがヴィクトールを睨み付けた。
「ウィルソンさん、あなたは珍しい血液型だ。ノアくんも同じ血液型。調べたら遺伝するらしいね。つまり、あなたがノアくんと適合する可能性が最も高い」
ノワールは血液検査結果の紙をひらひらと動かした。
ヴィクトールは言葉を探すように、ずっと黙り込んでいたが、最後には深く頭を垂れた。
「……分かった」
彼は、輸血に同意した。
◇
数日後、王都に出回った告発本には、こう記されていた。
『人は、身勝手な欲望のために嘘をつく。
地位を守るために、誰かを騙し、戸籍さえも偽ることができる。
だが、命を救うために流れる血だけは、決して嘘をつかなかった。
その血に勝るものがあるとすれば、それは、本当の愛だけだ。――ブラザーズ・ロペス』
この事件は、静かに、しかし確実に、王都の社交界に波紋を広げた。
◇
その後、ダリルとミレイユはミレイユの有責で離婚した。親権はダリルが取得し、ノアを育てることになった。
ブランは王国交渉人として、ヴィクトールとの間で慰謝料だけでなく、ノアの将来に関わる費用についても強制執行認諾文言付きの取り決めをまとめた。輸血を含め、必要な医療協力についても書面に残された。
事務所に戻った夜、ノワールがぽつりと呟いた。
「血が繋がっていなくても、家族なんだね」
ダリルとノアの、これからの暮らしを思い浮かべながらの言葉だった。
ブランは、少し考えてから答えた。
「時には、血よりも濃いものが、この世界にはあるってことだ」
ノワールは、その言葉に、小さく頷いた。
窓の外には、王都の静かな夜が広がっていた。
真実の血縁と、選び取った家族。
その狭間で、人はそれぞれの答えを見つけていく。




