第五十四話 友との酒
「このあと、飲みに行かないか?」
事務所を訪れたヴィクトルに、ブランが――珍しく、そう切り出した。
「……珍しいな。お前から、誘うなんて」
ヴィクトルが、怪訝そうに答える。
「たまには、いいだろう」
ブランの様子は――いつもと変わらないはずだった。
だが、ヴィクトルは――そこに、微かな違和感を覚えていた。
(どうした……なんだか、いつもと違う)
ヴィクトルには、その違和感の正体がまだ掴めなかった。
◇
二人が辿り着いたのは――場末の小さなバーだった。平日ということもあり、客は少ない。
二人の指定席という決まりはなかったが、注文がしやすいと理由から、ブランはいつもカウンターに座っていた。ヴィクトルも慣れたようにカウンターの席につく。店内には、静かなジャズが流れている。
「懐かしいな……この曲」
ブランが、目を細めてふと呟いた。
「ああ」
ヴィクトルも、静かに頷いた。
「俺たちが、初めて会った頃……よく流れてた曲だ」
グラスを傾けながら――二人は、自然と当時の記憶を辿り始めていた。
◇
――今から、数年前。
当時のブランは――探偵社に勤務しながら、大学に通うノワールの生活を支えていた。
一方、ヴィクトルは、憲兵隊に配属されて三年目。仕事にもようやく慣れてきた頃だった。
その頃、王都では――遺体の一部を持ち去る殺人事件が未解決のまま続いていた。
ある日、事件現場に駆けつけると――そこにいた第一発見者がブランだった。
そして、彼の事情聴取を担当したのが――他でもないヴィクトルだった。
「ロペスさん、遺体発見時の状況を、詳しくお聞かせ願えますでしょうか?」
ヴィクトルは、手帳を開いてメモをとる。
「俺は、探偵事務所で働いていて、この女性の浮気調査をしていた」
ブランは、彼女の写真を見せて答えた。
ヴィクトルは、遺体と写真を見比べる。
「あの女、恋多き女性でな。俺の依頼者の夫以外にも……複数の相手と関係を持っていた」
「なるほど……」
ヴィクトルは、ペンを動かしながら頷いた。
「嫉妬からくる怨恨か……」
ヴィクトルの言葉を、ブランはすぐに否定した。
「嫉妬と片付けるのは早計ですよ、憲兵さん。遺体の一部を持ち去る謎が、まだ判明していない」
「怨恨だとしたら……なぜ、今回は片耳だけ切り取るんだ? なぜ、両耳じゃない?」
「それは……」
ブランの指摘に、ヴィクトルは口ごもった。
「過去の事件から洗い直す、必要があるな」
「おい、部外者が勝手な行動をするな」
ヴィクトルが、牽制する。
だが、ブランは、静かに探偵許可証を取り出した。
「依頼者は、あんたでいいな。……憲兵さん、あんたの名前は?」
「……ヴィクトル・グランジェだ」
渋々と名前を名乗るヴィクトル。
「じゃあ、捜査は明後日からだ」
ブランはそう言うと――規制線のテープをくぐった。
「お、おい! 申請出してから、何日かかると思ってるんだ」
ヴィクトルの問いに――ブランは、ニヤリと笑った。
「俺には、コネがあるんだ」
ブランは、王国交渉人のバッジを見せると――夜の闇に消えていった。
そして、二日後――。
ブランが正式な同行許可証を持参して現れた。
その手には――被害者の過去の交際相手や密会場所などの資料が握られていた。
「なんだ、この資料は」
「今から、過去の遺体の一部を持ち去る事件の被害者と……関係者が一致するか、照合する」
「憲兵隊でも、被害者の交際歴は調べたが……無駄だ」
「誰が交際相手と言った? 関係しているのは交際相手とは限らない」
ブランが、静かに続けた。
「犯人が持ち去っている遺体の部位で――照合する相手が違うんだ」
「どういうことだ?」
「持ち去られた部位を、思い出してみろ」
ヴィクトルは、過去の調査資料を見直した。
「右手。左手の薬指。唇。歯。……性器。そして、今回の右耳……」
ヴィクトルには――ただ、犯人の異常性としか思えなかった。
「何か、思い当たらないか?」
「いや……」
そう答えるヴィクトルに――ブランは、深く溜め息を漏らした。
「本気か? うちの弟の方が、よっぽど使えるぞ」
「持ち去られた体の部位は、遺失物に関連していると思う」
「遺失物? 何の関係が……」
「時計。指輪。口紅。イヤリング。歯ブラシ。下着……ホテルでよくある忘れ物だ」
「ま、まさか」
「俺は、被害者女性たちが……同じホテルを利用したことがあると睨んでいる」
ヴィクトルは――こんな馬鹿げた推理が通るはずがないと思っていた。だが、ブランの推理は、それだけでは終わらなかった。
「遺失物届けの内容が――男性用品に偏っているホテルやモーテルや宿屋からあたれ」
ヴィクトルは、半信半疑のまま――言われた通りに調査を進めた。
結果――三日後には、あるホテルの従業員が容疑者として浮上した。
犯人の動機は、一般人には理解できないものだった。初めは、女性客の忘れ物を持ち帰っていた犯人が、持ち主を知りたくなり、来客者名簿から個人を突き止めたという。そのうちに、忘れ物だけでは未完成に思えた犯人が起こした犯行だった。
その事件は、『コレクターコンシェルジュ事件』と名付けられた。
◇
「――あの事件から、もう随分経つな」
現在のバーで、ヴィクトルがグラスを傾けた。
「あれからも、お前の推理には、いつも驚かされてばかりだった」
「ヴィクトル……あんたが俺のことを信じて動いてくれなかったら、俺の言うことなんて戯言に過ぎない」
ブランが、静かに笑う。
ヴィクトルは、しばらく、その横顔を見つめていた。
あれから数年の付き合いになる。
だが――今夜のブランには、これまでとは、違った。
「何かあったのか?」
ヴィクトルは、自分の中に感じる違和感を素直にブランにぶつけた。
「……色々世話になっているあんたに一杯奢りたくなっただけさ」
ブランは、目線を合わさず言った。
その後も二人は、静かにグラスを傾けながら――ただ、流れるジャズに耳を澄ませていた。
バーを出ると――夜空には、有明の月が細く浮かんでいた。
満月から――ほとんど、その光は失われていた。
新月まで――残された時間は、あとわずかだった。




