第四十九話 猫と積み立て貯金
「従姉妹のブレンダが、悩んでいるの」
アストリア邸の居間で――ローズが、静かに切り出した。
「あなたも親戚になるんだし、力になってあげて欲しいの」
「ローズさんの、従姉妹?」
ノワールが、静かに尋ねる。
「ブレンダ・フォックス。……夫のことで、悩んでいるみたい」
数日後、ノワールは、ローズと共にブレンダの屋敷を訪れた。
「実は……主人に、隠し子がいるようなんです」
ブレンダは、憔悴した様子で、静かに切り出した。
「詳しく、聞かせていただけますか?」
ノワールが、静かに促す。
「最近、主人が積み立て貯金を始めたんです。何のためかは教えてくれなくて」
ブレンダは、震える声で続けた。
「それに……週末も知人に会うと言って出掛けたら、服に金髪の毛がついて帰ってくる日が、一度や二度じゃないんです」
「それは……」
ローズが、思わず眉をひそめる。
「愛人がいるという可能性は?」
ノワールも、一瞬、その可能性を頭によぎらせた。
(隠し子。積み立て貯金。金髪の毛。……確かに、揃いすぎている)
「ブレンダさん」
ノワールが、静かに切り出した。
「確かに、ご主人の行動だけを見れば――疑いたくなる気持ちは分かります」
「ですが……」
ノワールは、少し間を置いた。
「まだ『浮気』とは、決めつけない方がいいでしょう」
「なぜ、そう思うの?」
ローズが尋ねる。
「証拠が――揃いすぎているのが、逆に、気になるんです」
ノワールは、静かに続けた。
「自分の罪悪感を和らげたくて、優しくふるまったり――家庭内の空気を壊さないように、慎重に行動する人が多い」
「だが、ご主人は、積み立て貯金を始めたことをブレンダさんに話している……それは矛盾する行動です」
ノワールは、フォックス家に飾られた写真に、犬の写真が多いことに気がついた。
「金髪の毛、というのは……髪の長さは、どれくらいでしたか?」
「え……」
ブレンダが、戸惑ったように答える。
「はっきりとは、分からないです。でも、うねりのない直毛だったのは覚えています」
「それは、ご主人のどこに付着していましたか?」
「肩のあたり……だったと思います」
ノワールは、静かに頷いた。
(肩に金髪。……写真のご主人は、ブレンダさんより背が高い。ブレンダさんも平均身長より高めだ。人間の女性、とも限らない)
ローズは、そんなノワールの様子を、少し不思議そうに見つめていた。
「ノワール、随分、慎重ね」
「僕は……」
ノワールが微笑んだ。
「人が、相手に見せたい姿と、本当の姿が違うことを――何度も見てきたので」
その言葉に、ローズは、一瞬、何かを察したように目を細めた。
◇
ノワールは、ブレンダの夫――フォックス氏本人に、話を聞くことにした。
「積み立て貯金を、始めた理由を教えていただけますか?」
ノワールが、率直に尋ねた。
フォックス氏は、しばらく口ごもっていたが――やがて、観念したように口を開いた。
「実は……猫を拾ったんです」
「……猫?」
ノワールが、思わず聞き返す。
(猫……?)
フォックス氏は続けた。
「昔、飼っていた犬と同じような足先だけ白い模様の子でした。……道端で、怪我をしていて。放っておけなくて」
「それで?」
「病院に、連れて行ったら……その猫、妊娠していたんです」
「そして、回復した頃には、子猫が生まれて……」
フォックス氏は、少し照れくさそうに続けた。
「ますます、放っておけなくなって……保護猫のシェルターを作ろうと、動き始めていました」
「積み立て貯金は……」
「シェルターの運営費です。この王都だけでも、かなりの数の野良猫がいるんです」
フォックス氏は、静かに続けた。
「猫好きの貴族の方々にも、協力をお願いして回っています。……服についていた、あの金髪は」
「母猫の毛」
ノワールが、静かに続けた。
「隠し子、というのは?」
「友人たちが子猫の世話に慌てる私を見て、からかって言い始めたことです。まさか、第三者から妻の耳に入るとは……妻を心配させてしまいました」
◇
ノワールから、事の顛末を聞いた、ブレンダは、しばらく、呆然としていた。
「猫……だったの?」
「はい」
ノワールが頷いた。
「積み立て貯金は、愛人との生活資金ではなく、シェルターの運営費。金髪の毛は、母猫のもの。隠し子は、生まれた子猫たちのことでした」
「だったら、言ってくれれば……」
ブレンダが、静かに息を吐いた。
「愛犬を亡くしたばかりで、落ち込んでいるあなたに、時間が必要と考えていたみたいです」
「もう……優しいんだから」
その目には、安堵の涙が滲んでいた。
◇
事件解決後、馬車の中――ノワールは、ふとローズに尋ねた。
「ローズさん」
「何?」
「本当は……最初から、知っていたんじゃないですか?」
ローズは、悪戯っぽく微笑んだ。
「あら」
「やっぱり」
ノワールが、呆れたように笑う。
「フォックス氏の人柄は、よく知っていたもの。……浮気なんてするはずがないってね」
ローズは、静かに続けた。
「でも、身内が言っても、ブレンダは聞く耳を持たなかったと思うわ。安心させるには――ブレンダ自身が納得できる真実を、自分の目で確認させたかったのよ」
「それに……」
ローズが、悪戯っぽく笑った。
「あなたが、巻き込まれてくれたおかげで――猫たちも、みんな、ハッピーエンドよ」
その言葉にノワールは、思わず苦笑した。
(ローズさんにとっては……最初から、猫の保護活動を広めるための、きっかけだったのか)
◇
数日後、王都に出回った記事には、こう記されていた。
『積み立て貯金の謎、金髪の毛の謎、隠し子の謎――。
すべてを解いた先にあったのは、一匹の母猫と、その子どもたちだった。
保護猫シェルターの活動は、今日も静かに広がっている。
もし、あなたの街にも行き場のない命がいたら――このシェルターを思い出して、手を差し伸べてみてほしい。
そして、新しい家族を迎えるときは、一度、このシェルターを訪れてほしい。
――ブラザーズ・ロペス』
その記事を目にした王都の人々の間で――保護猫活動への関心が広がっていった。
「見て、ノワール」
ローズが、新聞を指差した。
「貴族の方からも、平民の方からも、引き取りの申し込みが来ているみたい」
「本当だ」
ノワールが、記事を覗き込む。
「支援の輪が広がってる」
ローズは、嬉しそうに微笑んだ。
「ええ」
「猫たちを救うきっかけを作れたのは――良かったよ」
ノワールは、窓の外へ視線を向けた。
西の空には、昼に見える立待月が青空の中で、青白く輝いていた。




