第四十八話 組織の成り立ち
ブランが故郷エスプリから戻ってきた翌日――。
事務所を訪れたヴィクトルが、静かに一冊のファイルを机に置いた。
「これを見てくれ。過去に詐欺で服役していたジョーン・スミスの記録だ」
「詐欺?」
ブランが、資料を手に取る。
ヴァルメールで遭遇した偽造乗車券と酷似していた内容の事件だった。
だが、偽造事件は国中で起こっている。これを組織と関連していると考えるのは、時期尚早な気がした。
「この詐欺、どこかで聞いたことないか?」
ヴィクトルの声が、静かに続いた。
「偽造詐欺なんて、よくある事件だ」
ブランは、読み終わった資料を机に置いた。
「鑑定の結果、ヴァルメールで押収した乗車券と、この過去に行われた詐欺事件の印刷機が同一である可能性が出てきた」
ブランは、顔を上げた。
「まさか……」
「これが、五十年前に行われていたんだ」
ヴィクトルが、静かに告げた。
「五十年前……?」
ブランの声が掠れる。
「服役していたジョーン・スミスは、今どこにいる?」
ブランが、再び資料を読み直す。
「まだ生きているよ……ただ」
急に、ヴィクトルの歯切れが悪くなる。
「王都南西の教会区域にある、介護施設に入っている」
ヴィクトルが、静かに続けた。
「認知症が進んでいるらしい」
◇
ブランは、ヴィクトルに教えられた施設を訪ねた。
案内された部屋には、車椅子に座った白髪の老人がいた。
「失礼します」
ブランが、声をかける。
ジョーンは、しばらく、ぼんやりとブランの顔を見つめていた。
そして――突然、表情が、ぱっと、明るくなった。
「おお! ビル坊じゃないか!」
「……ビル坊?」
ブランが、戸惑ったように聞き返す。
「ビル坊! 大きくなったな」
老人は、車椅子から身を乗り出さんばかりに、嬉しそうに続けた。
「親父さんは、元気か? あの頃は、良かったなあ。……お前の親父さんが、みんなをまとめてくれてたから、義賊でいられた」
(自分を『ビル』という人物と間違えているのは、偶然か……)
ブランの脳裏に――出稼ぎに出たまま消え、失踪宣告で死亡扱いになった父親の記憶が、静かに蘇っていた。
「ビル……いや、俺の親父は、どんな人だった?」
ジョーンは、しばらく、宙を見つめていた。
「戦後、国は、何もしてくれなんだ。補償も、保護も間に合わん。……俺らは、親のいない子どもや生活できない片親の家庭に、手を差し伸べとった」
ジョーンは、まるで、昨日起きた出来事のように話す。
「困っている者同士が手を取り合い、そこから今に繋がっている。なのに、最近の若い者は金儲けばかり考えおって!」
ブランは、もう一度、聞き直した。
「俺の親父について教えてくれ」
ジョーンは澄んだ瞳で、ブランを見つめ返した。
「そうだ、あれは……戦争の、あとだった」
ジョーンは、壊れた蓄音機のように、同じことを繰り返していた。
ブランは諦めて、部屋から退室しようとした。
その時――ジョーンが再び、話を始めた。
「ビル坊。人が集まればな、目的も変わる。……最初は助けるだけだったのが……いつの間にか、"守ってやる"側と"守られる"側に分かれていた」
ジョーンは、そういうとまた遠い目をした。
ブランが何度、その言葉の意味を尋ねてもニコニコと微笑むだけだった。
ブランは、施設の職員に話を聞いた。
「ジョーン・スミスさん?いつも、ああなんですよ」
職員が、困ったように微笑む。
「昔の、映画か何かの話だと思うんですけど……スパイ映画とか、マフィア映画とか、そういうのがお好きだったみたいで」
「居室には、本も、たくさん、お持ちですよ」
案内されたジョーンの私室には――確かに、古い書物が何十冊も並んでいた。
ブランは、その一冊を手に取った。
(これは……)
「背表紙の綴じの部分――そこには、一度も、開かれた形跡がなかった。
別の本を手に取るが、どの本も――同じだった。
新品のまま、ただ、飾られているだけ。
「読んだ形跡が……ない」
ブランが、静かに呟く。
「あの話は――物語じゃない。本物の……記憶だ」
ブランは、再び、ジョーンの元に向かったが、ジョーンは傾眠していた。
「ジョーンさん、起きてくれ」
目を覚ましたジョーンが、嬉しそうに笑う。
「先生、こんにちは」
ジョーンの中のブランは、『ビル坊』ではなくなっていた。
「ジョーンさん、教えてくれ!あなただけが手がかりなんだ!」
ブランの声が響き渡り、施設の職員が駆け寄る。
「ちょっと、落ち着いてください!」
それでも、ブランは止められなかった。
「戦争の、あと?」
ブランが、先程の話を促すが、ジョーンは不安そうに見返してくるばかりだった。
ブランが諦めて、ジョーンに背を向けた。
「そろそろ、ラメントに帰ります」
ジョーンの声が、静かに響いた。
その言葉に、ブランが振り向いた。
「スミスさんのお家は、ここですよ」
施設の職員が、ジョーンを諭す。
「ラメント村に帰らないと」
ジョーンが、静かに続けた。
「困っとる、子ども。困っとる、仲間……みんなが待っている」
(ラメント村に、子どもや仲間……)
「ジョーンさん、あなたは組織の人間だったんですね……」
ブランが、静かに呟いた。
「時代が、どれだけ変わってもな……弱い者は、いるんだよ」
ジョーンの声が、微かに震える。
その言葉には――なぜか、深い実感がこもっていた。
「国と法律の……隙間にな」
ジョーンは、再び、遠い目をした。
◇
インク・オブ・トゥルース社に戻ると、タキシードのタイを緩めたノワールがソファーで横になっていた。
「兄さん、どこに行ってたの?」
ブランは、今日あった出来事をノワールに話した。
「ビル坊って、まさか……」
ノワールが、目を見開いた。
「いや、ビルなんてよくある名前だし、ジョーン・スミスが、たまたま口にしただけかもしれない」
ブランは、ため息混じりに答えた。
「ジョーン・スミスの言葉から、組織の成り立ちについて、一つの手がかりを得た。そして、ラメント村……あの村は、始まりの村だったのかもしれない」
ブランが、静かに続けた。
「認知症を患ったジョーン・スミスの話を信じないように、細工された持ち物……本物のジョーンさんは、どんな人だったんだろう」
ノワールが、目を閉じ、呟いた。
その言葉は――どこか、遠く、誰かに向けられているようにも聞こえた。
「今度は、おまえも一緒に来てくれ」
ブランが、窓の外を眺めながら言った。
「やっぱり、僕がいないとダメなんだね」
ノワールは、勢いよく体を起こす。
ブランは、しばらく、その顔を見つめていた。
そして――静かに、頷いた。
組織の始まりが――誰かの善意だったという事実。
そして、その善意が――いつしか、歪んでいった経緯。
ブランの胸の中には――言葉にならない、複雑な感情が渦を巻いていた。
事務所の窓から見える夜空には――十六夜の月が、静かに浮かんでいた。
満月から、まだ数日――。
その丸みは――ほんの少しだけ、欠け始めていた。




