第四十六話 素顔のままで
貴族の交流会――。
今日のノワールは、仕事ではなく、貴族の道を選んだ身として社交の場に訪れていた。
長年の癖で、周囲の話に聞き耳を立ててしまう。
「あの方の話、ご存じ?」
扇の陰で、囁かれる声。
「平民の生まれから――貴族社会を渡り歩いて、今の地位を築いたあの方よ」
「ああ……"王都の毒婦"って呼ばれている……」
その言葉に、ノワールは耳を澄ませた。
「十七歳の時――四十歳以上も離れたスターリング侯爵の後妻に、迎えられたのよ」
「年上のスターリング侯爵は、自分が亡くなった後も彼女が困らないようにって――周囲の貴族たちに、遺言を残していたらしいわ」
「でも、結婚二年で――旦那様は急死でしょ。それで――」
「次に、結婚されたのは、スターリング侯爵の親友だったディマルコ侯爵――。でも、その方も二年後に……」
「自殺されたのよね。遺書には――『彼女と出会い、本物の愛を知った』って」
ノワールの背筋に、冷たいものが走った。
「次の、旦那様は――事件の調査を担当していた憲兵隊らしいわ。彼女との関係が原因で、辞職して……」
「そして、その方も――過労で亡くなったそうよ。貴族として暮らしていた彼女の生活水準を、落とさないようにって、昼夜寝ずに働き続けて」
「彼女、まだ二十代半ばなのに、多額の遺産を所有されているそうよ……それで、"王都の毒婦"って」
(職業病だな……これ以上は聞かないでおこう)
ノワールは、静かにその場を離れた。
◇
数日後――。
事務所に、一人のレイモン・ドリアン男爵が訪ねてきた。
「息子ルイスが――あの女性と結婚するつもりなんです」
レイモンは、深刻な表情で切り出した。
「彼女の名前は、ソフィア・ラングフォード。元平民で、最初の夫はあのスターリング侯爵、次がディマルゴ侯爵、一番最近の夫が元憲兵隊の男……全員、死別しています。」
ノワールは、聞き覚えのある話に思わず反応した。
「"王都の毒婦"」
ノワールの言葉に、レイモンは何度も頷いた。
「亡くなったスターリング侯爵の遺言で……彼女の後ろ盾となっている貴族が――私よりも、身分が上でして……」
「公に、反対できないということですか?」
ブランが、静かに尋ねる。
「彼女の身分は、気にしてません。昔と違って、時代も変わった」
レイモンは、チラリとノワールの顔色を伺う。
「……でも、あの女性の周りでは、何人もの男性が命を落としている。ルイスをそんな危険な目に遭わせたくはないんです」
「分かりました。調査をお引き受けします」
レイモンは深々頭を下げると、事務所を後にした。
「"王都の毒婦"……生まれが貴族でも、そう呼ばれたかな」
ノワールが、男の背中を見送りながら呟く。
「呼び方はどうであれ、噂はされただろう」
ブランは、溜め息混じりの返事をする。
「広いようで、狭い世界だね……貴族って」
「なんだ? ついに、貴族教育に根を上げたか」
「違うよ! それに、今日は息抜きの日。僕も調査に付き合うよ」
ロペス兄弟は、彼女――ソフィア・ラングフォードのこれまでの経歴を、丹念に洗い始めた。
彼女に関する証言が集まるほど――一つの、共通したパターンが、浮かび上がってきた。
ブランが指を折り曲げて、一つひとつ数える。
「相手が弱っている時に頼る」
「感謝を丁寧に伝える」
「手紙を欠かさない」
「相手を特別扱いする」
「相手に自分の弱さを見せる」
「『あなたがいないと困る』と思わせるなんて……これは、相当、色恋に手慣れた手法だね」
ノワールが、資料を見つめたまま呟く。
「意図的な手口なのかな?」
「いや」
ブランが、静かに首を振った。
「証言する誰もが――相手の男性は、真面目で厳格で洞察力に優れた人だった、と口を揃えている」
「じゃあ、本当に……無自覚ってこと?」
「彼女自身に会う必要があるな」
◇
ロペス兄弟は、ソフィア本人を訪ねた。
二十代半ばの女性の住まいとは思えない豪華な屋敷には、使用人まで常駐していた。
彼女は、静かで控えめな佇まいの女性だった。
これまでの噂から、想像していた"毒婦"という印象とは――まるで、違っていた。
「私のことを、調査をされていると伺いました」
ソフィアは、静かに二人を迎えた。
「あなたと、関わった男性たちが――皆、命を落としている。その理由を調べています」
ブランが、静かに切り出す。
「私が……殺したと、お考えなんですか?」
ソフィアの声に、初めて、動揺が滲んだ。
「いえ、証拠はありません。ただ、三度も続けば疑いたくはなります」
ブランが、静かに続けた。
「あなたは、関わった男性たちに――同じ行動パターンをとっていますよね」
「パターン……」
「相手が、弱っている時に頼る。感謝を伝える。手紙を書く。特別扱いする。弱さを見せる。『相手がいないと困る』と思わせる」
ノワールが、静かに挙げていく。
「……それは、いけないことなんですか?」
ソフィアは、うつむきながら呟いた。
「亡くなった彼らには――親切にして、いただきました」
「その感謝の気持ちを、私なりに表現した。……それだけ、なんです」
彼女の言葉には、嘘は感じられなかった。
「あなたは、男性を騙したわけではないと言いたいんですね」
ノワールが、静かに続けた。
「しかし……あなたには、人を依存させてしまう危うさが――あるのかもしれません」
その一言に、ソフィアは、静かに目を見開いた。
「私、に……?」
「あなたが、何気ない弱さを見せるたびに。あなたが大袈裟に感謝を伝えるたびに――相手は『自分があなたを支えなければ』と思い込んでしまう」
ブランが、静かに続けた。
「それが、繰り返されてきた結果が――今のあなたの周りに起きていること、なのかもしれません」
ソフィアは、しばらく何も言わなかった。
やがて、静かに口を開いた。
「私が……悪いんですか?」
その声は震えていた。
「誰かに、愛される――大事とされることが……嬉しかっただけなのに」
◇
ロペス兄弟は、依頼人のレイモン・ドリアンに調査結果を報告した。
「彼女が、夫たちを殺したという証拠はありません」
ブランが、まず、明確に告げた。
「ただし――彼女と関係を持った男性が、彼女を守ることに、人生を賭けてしまう傾向があったことは事実です」
「つまり、彼女の魅力のせい、と?」
依頼人は、しばらく、その言葉を噛みしめていたが――やがて、深く息を吐いた。
「つまり……息子の結婚を止める理由にはなりませんね」
「結婚を止めろ……とは言えません」
ブランが、静かに答える。
「でも」
ノワールが、続けた。
「何も知らずに結婚するのは、危険です。息子さんに警告するくらいなら、親としてゆるされるのではないでしょうか?」
◇
その後――依頼人の息子が、インク・オブ・トゥルース社を訪れた。
「話は、父から聞きました」
彼は、静かに切り出した。
「彼女の儚げな魅力には気づいていましたし、それがきっかけで、好きになったことも認めます。でも、危険性を知った上で――それでも、僕は彼女と結婚します」
その声には、揺るぎない意志があった。
「あなたは、それでいいんですか?」
ノワールが、静かに尋ねる。
「知らずに選ぶのと、知った上で選ぶのは――歩む道の重さは違いますよ」
彼は、静かに微笑んだ。
「同じ轍を踏むつもりは、ありませんよ――僕には、考えがあるんです」
◇
後日、ロペス兄弟は、ソフィアと彼の対話の場に立ち会った。
「あなたは……」
彼が、静かにソフィアに告げた。
「僕にはありのままで、いい」
「え……」
「僕も、あなたのために――命をかけようとは思いません。僕が望むのは、二人で生きていくことだ」
ソフィアは驚いた様子で、彼を見つめた。
「本当のあなたと結婚したいんだ」
彼は、静かに続けた。
「あなたが、自分を演じなくても。僕の虚栄心を満たそうとしなくても……ただ、隣にいてくれるだけでいい」
ソフィアの目に、静かに涙が滲んだ。
「ありのままの、私……で、いいの?」
「ええ」
彼女は、小さく頷いた。
「私、この癖を――変えられるかしら」
「ゆっくりで、いいと思います」
ルイスが、静かに答えた。
◇
その様子を見守りながら――ノワールは、静かに考え込んでいた。
(彼女は、無意識に――相手が望む"守るべき、女性像"を作ってしまう)
(僕は……意識的に"ノワール"という人間を演じ続けてきた)
(でも、それは、もう――演じているんじゃ、なくて、僕自身の一部になっている)
「人は……」
ノワールが、小さく呟いた。
「相手が見たい自分を――作ってしまうものなのかもしれないね」
「どうした?」
ブランが、静かに尋ねる。
「ううん……なんでもないよ」
ノワールは、静かに微笑んだ。
だが、その笑顔の裏に――これまでとは、違うアイデンティティーという重さが宿っていた。
◇
数日後、王都に出回った記事には――これまでとは違う、静かな筆致で、こう記されていた。
『ある哲学者が愛の形を分けた。
強く求める情熱的な自己中心的な愛――。
見返りを求めない無償の愛――。
対等な関係から生まれた互いを大切に思う愛――。
"毒婦"と呼ばれた彼女を愛した男たちの愛は、どのようなものだったのか。
それは、彼ら自身にしか分からない。
残された彼女の想いは――自分自身を縛る鎖になっていた。
彼女は、毒婦だったのか。
我々は、その答えを――見つけることが、できなかった。
ただ、一つだけ、確かなことがある。
相手が望む姿は、本当の自分の姿とは限らない。
誰かのために、引かれた口紅で彩られた表情は美しいかもしれない――。
しかし、それは真実なのだろうか?
素顔のままで――。
――ブラザーズ・ロペス』




