第四十二話 逆鱗
連行された、マリー・デュシャンの取り調べは、王都憲兵隊本部で行われた。
数日後――王都憲兵隊隊長であるヴィクトル・グランジェが、事務所を訪ねてきた。
「これは、俺の独り言だ」
「独り言?」
ヴィクトルは、用心深く周囲を見回してから続けた。
「マリー・デュシャン、本名はトリッシュ・ルーデス……幼い頃、家族に身売りされた過去がある」
ヴィクトルは、静かに椅子に腰を下ろした。
ブランとノワールは、ヴィクトルの前に座った。
「困窮した家庭で育った彼女は、まだ幼い頃に身売りされた。それきり、家族とは離れ離れになっていたようだ」
「彼女がそう話したのか」
ブランが、静かに尋ねる。
「いいや、彼女は黙秘している。これは――先日の国民扶助法の資力調査で、名前が浮かんでいた世帯の一つがトリッシュ・ルーデスの家庭だった」
ヴィクトルの声が低く続いた。
「これから、両親との面会が行われる予定だ」
◇
面会は、王都憲兵隊本部の一室で行われた。
初老のルーデス夫妻が、震える手で扉を開けて入ってくる。
「トリッシュ……」
母親が、声を詰まらせながら呟いた。
「本当に、トリッシュなのね……」
トリッシュ・ルーデスは、椅子に座ったまま、静かに両親を見つめていた。
その表情には、これといった感情の揺らぎが見られなかった。
「すまなかった」
父親が、深く頭を下げた。
「あの時――お前を手放すしかなかった。生活が立ち行かなくて……」
「毎日、後悔していたのよ」
母親も、涙ながらに続けた。
「あなたが、どこかで無事に生きていてくれることだけを、ずっと、祈って……」
両親の言葉は真摯だった。長年、抱え続けてきた罪の意識が、その声に滲んでいた。
だが――マリーの反応は静かで、そして、冷たかった。
「謝罪は結構です」
彼女の声には、一切の揺らぎがなかった。
「捨てられた時点で――もう、あなた方は、私は何の関係もありません」
「トリッシュ……」
「私の、家族は」
マリーは、静かに続けた。
「あの場所――だけです」
その場に重い沈黙が落ちた。
両親は言葉を失ったまま、ただ、娘の変わり果てた姿を見つめることしかできなかった。
この面会には、国民扶助法に取り組む複数の議員たちも、立ち会っていた。
「これは……」
一人の議員が、静かに呟いた。
「単なる貧困問題では――ない」
「彼女は、洗脳されているのか……」
別の議員も、青ざめた表情で続けた。
この日を境に――ロペス兄弟が追い続けていた組織の脅威は、ロペス兄弟だけの問題ではなくなった。王都憲兵隊だけでは収まらない――国家レベルで組織の犯罪は認識される事態へと発展していった。
これは、ロペス兄弟にとって追い風になると、この時の二人は思っていた。
◇
数日後――事務所に、王都憲兵隊の一団が訪れた。
「これまでの調査資料を――すべて、提出していただきたい」
そこには、王都憲兵隊隊長としてのヴィクトルがいた。ヴィクトルが厳かに告げた。
「国家が、正式に、この事件を捜査することになった」
ブランとノワールは、無言のまま、その言葉を受け止めていた。
「分かりました」
ブランが、静かに頷いた。
これまで、積み上げてきた膨大な、資料――記録や証言の束が、次々と憲兵隊の手によって運び出されていく。
ノワールは、それを黙って見つめていた。
「兄さん……」
「ああ」
ブランが、静かに答えた。
「もう、俺たちだけの手には負えない――そういう規模になったんだ」
ロペス兄弟に、抵抗する術はなかった。
国家が、正式に、動き出した以上――一民間の出版社にできることには限りがあった。
◇
すべての資料が運び出された後――事務所には、静けさだけが残った。
「僕たちの手元に残ったのは……」
ノワールが、鞄の中を確認する。
そこにあったのは――肌身離さず、持ち歩いていた、あの地図とロランの古い手帳だけだった。
「これだけ、か」
ブランが、静かに呟いた。
「これだけ、あれば――十分だ」
ノワールが、静かに答えた。
「僕たちが、探しているものは……国の資料に載っているものじゃないから」
ブランは、何も言わなかった。
ただ、静かに、ノワールの横顔を見つめていた。
◇
翌日――ロペス兄弟は、トリッシュが接触していた男について探してみた。
「ヴィクトルさんのオフレコ情報だと、『知らない』の一点張りだって言ってたよね」
「ああ、店で何か掴めればいいが……」
ロペス兄弟は、トリッシュと男が接触していた、あの酒場を改めて調べることにした。
「先週、この店先で、王都憲兵隊に連行された女性と一緒にいた男について、何か知らないか?」
店主に尋ねると――彼は、しばらく、考え込んでから答えた。
「ああ……月に一回くらい来る無口なお客さん、だね」
「他に、何か知っていることはないか?」
「特には……いつも、静かに一人で飲んで、捕まった女性と店を出るだけで」
どれだけ、聞き込みを重ねても――男の素性に繋がる手がかりは、何一つ、得られなかった。
「そう簡単にはいかないか……」
ノワールが、溜め息混じりに呟いた。
「地道にやるしかないさ」
ブランが、静かに答えた。
◇
王都は、いつもと変わらない日常に見える裏側では『V・I・L』という略称になる会社や団体に大規模な家宅捜索が行われていた。
もちろん、ロペス兄弟に知らされることはなかった。
この一連の出来事が、誰の逆鱗に触れたか――ロペス兄弟は、まだ知らなかった。




