第四十一話 悲しみの傍観者
ロペス兄弟は、机の上に、これまでの、資料を、すべて、広げていた。
「ヴィスタ・インベストメント・ライン」
ブランが、一枚の書類を指差す。
「ヴィヴィエ・イゾルド・ラングロワ」
ノワールが、もう一枚を並べる。
「ヴァロー・インベスト・レンディング」
ブランが、もう一枚書類を出した。
「ヴィレッジ・イン・ラメント」
ノワールがラメント村の資料を取り出した。
「どれも――頭文字が、V・I・L」
「福音書で見た、あの文字と……」
二人は、しばらく、その書類を見比べていた。
「きっと、これだけじゃないな」
ブランが、静かに呟いた。
「他にも――『VIL』の略称を持つ団体があるはずだ」
「そうだね、調べよう」
◇
数日にわたる、調査の末――ロペス兄弟は、ある団体の名前に辿り着いた。
「これは……」
ノワールが、資料を見つめたまま固まった。
「『ヴィクティムズ・イン・リムボー』」
ブランの声が、微かに震えた。
「フェリクスさんとクレール……マーガレットさんが、出会ったきっかけの失踪者コミュニティ?」
「そうだ。あのコミュニティの略称も同じだ」
二人の間に、重い沈黙が落ちた。
「フェリクスさんが気づいたって、可能性はあるね……」
ノワールが、掠れた声で続ける。
「同じ痛みを抱えた人が、支え合うための集まりだよね?」
「表向きは、な」
ブランが低く答えた。
「もし、あそこが組織の運営する場所だったとしたら――」
「クレールさんが、フェリクスさんに近づいたのも……」
「偶然じゃない」
ブランが、静かに続けた。
「最初から、仕組まれていた可能性がある」
◇
「フェリクスさんは……」
ブランが、静かに口を開いた。
「コミュニティで、何かに気づいた」
「だから――」
ノワールが続ける。
「殺された」
二人は、しばらく無言のまま、その事実の重さを噛みしめていた。
「調べる必要がある」
ブランが、静かに告げた。
「今回は――役割を逆にしよう」
「え?」
「俺が、コミュニティに潜入する。……お前は、参加者の身元を各地で洗ってくれ」
ノワールは、少しの間、驚いた様子だったが――やがて、静かに頷いた。
「分かったよ」
◇
ブランは、「弟を失った兄」として、ヴィクティムズ・イン・リムボーの集会に参加した。
集会は、静かな教会の一室で行われていた。
円になって座り、ブランを含めて十三人の参加者たちがいた。
それぞれが、失った家族の話を語り合っていた。
「今日は――」
進行役の女性が、静かに切り出した。
「失踪者への罪悪感について、お話しいただければと思います」
そのテーマに、ブランは一瞬息を詰めた。
参加者たちが一人、また一人とそれぞれの過去を語り始める。
「私が……あの日、娘を一人で外に出したから……」
「僕は……姉が変わってしまったことに、気づいていながら……」
そして、ブランの番が来た。
ブランは、しばらく沈黙していた。
やがて、静かに口を開いた。
「ブランだ」
「こんにちは、ブラン」
参加者が、声を合わせて挨拶した。
「ある日――一番下の、幼い、きょうだいが、重い流行病に倒れて……生死をさまよったんです」
その声は、いつもより少し掠れていた。
「親父は、出稼ぎに出たまま音信不通で――。追い詰められた母親は――最後の有り金を真ん中の弟に託して。滋養をつけるために――鶏を買ってきてって、頼んだんです」
参加者たちが、静かに耳を傾ける。
「でも……真ん中の弟は――道中で『この金の卵を食べれば、どんな病気でも治る』っていう詐欺に、騙されてしまって」
ブランの指先が、微かに震えていた。
「詐欺師の言葉を信じたんです。……家族の命がかかった極限状態の中で、幼い子供がすがりついた――希望の形だった」
「なのに……」
ブランの声が、初めて揺れた。
「偽物の卵を見た俺は――激昂してしまった。『金を取り返すまで、戻ってくるな』って、叫んでしまって……」
その場に、静かな沈黙が落ちた。
ただ、参加者たちは、静かにその痛みに寄り添うように頷いていた。
「あなたは……」
隣に、座っていた老人が、静かに口を開いた。
「その弟さんを――責めてはいないのですね」
「……ええ」
ブランは、静かに答えた。
「責めるべきは――俺自身、だったんです」
その言葉は、これまでブランが誰にも話したことのない――そして、初めて、口にすることのできた本音だった。
ただの"ブラン"として――彼は、初めて、本当の自分の傷を語っていた。
◇
一方、ノワールは――ヴィクティムズ・イン・リムボーの参加者名簿を頼りに各地を回っていた。
十三人の参加者。ブランを除く、十二人――。
それぞれの故郷を訪ねて身元を確認していく。
ウェストン。
ソーンリッジフォレストン。
ボルト・セール。
セイントマーシュ。
ハーバーウィック。
オルヴェール。
どの街にも、まだロペス兄弟の調査の手が、及んでいなかった土地だった。
ノワールは、一軒、また、一軒と家々を訪ねて回った。
「あの写真の……あの案山子の服を……」
ウェストンで出会った老夫婦が、震える手で案山子の纏っていた服を見つめる。
「うちの孫の服です」
フォレストンでも、同じように被害者家族の証言が得られた。
「ロランさんの手帳に……確かに、この名前が」
ボルト・セール――。
セイントマーシュ――。
ハーバーウィック――。
オルヴェール――。
ノワールは、各地を案山子の纏っていた服を持参して回った。
ボロボロになった子供服を、大事そうに抱きしめ涙する悲痛な姿をノワールは一人で受け止めた。
そして、地図に一本、また一本と、新しい糸を描き加えていった。
十二人中――六人。
半数の参加者の身元が、すでに判明していた失踪者と一致していた。
「六人は、繋がった」
ノワールは、地図を見つめながら呟いた。
「でも、残りの六人は……まだ、何も分からない状態だ」
ノワールは、その六人についても一人ずつ、訪ねて回ることにした。
◇
残る、六人のうち――五人は、聞き込みを進めると行方不明家族だということが分かった。
「父が、三年前に……」
ソーンリッジで出会った女性は、涙ながらに、当時の状況を語った。
「今も、父が無事に帰ってくるのを祈っています」
シャンペーヌで出会った男性も、同じように切実な言葉で、失った家族について語った。
証言に矛盾はなく、悲しみも帰りを待ち続ける姿は本物だった。
ノワールは、五人までの聞き込みを終えたところで――一人だけ、様子の違う人物に行き着いた。
「ヴァロンドールに住む女性――マリー・デュシャンという名前が、記録にはあるけど……」
ノワールがマリー・デュシャンの住所を訪ねると――そこは、以前にレヴァンス商会が幽霊騒動の時に、まとめて買い占めた土地の一部だった。すでに、整地されており、商業施設の建設が始まっていた。
ノワールは、レヴァンス商会の代表であるガストン・レヴァンスを訪ねた。
「げっ! ロペス兄弟……」
「お久しぶりです。今日はお聞きしたいことがあって」
「あ、あれからは、正規の手続きで交渉しているぞ!」
慌てるガストン・レヴァンス。
「いえ、購入された土地に関してです。この住所なんですが、マリー・デュシャンという方の家はありましたか?」
「マリー・デュシャン、なんて聞いたことないよ。疑うなら、売買契約書を見せてもいい。」
確かに、あの土地を売った者の中には、デュシャンという名前はなかった。
念のため、当時、その近辺に住んでいた住人たちにもあたったが、マリー・デュシャンを知る者はいなかった。
「マリー・デュシャンは偽名? 目的はなんだ?」
ノワールの背筋に、冷たいものが走った。
◇
その頃――ブランは、集会の中である違和感を抱き始めていた。
参加者の中に一人――他の誰よりも"聞き上手"な女性がいた。
彼女は、他の参加者の話に、深く頷き、共感の言葉をかける。
だが――
(自分の話になると……)
その、女性自身が語る"失った家族"の話は――内容が薄く、どこか具体性がなかった。
「いつ、失踪されたんですか?」
ある日、ブランがそれとなく尋ねてみた。
「……去年の秋頃だったと思います」
「最後に会ったのは?」
「……春先だったと思います」
家族を失った人間なら、決して忘れないはずの細部が――その女性の言葉からは抜け落ちていた。
そして、それとは対照的に――彼女は、新しく集会に加わった参加者に対して、やたらと質問を重ねる傾向があった。
「弟さんは、何歳だったんですか?」
「ご家族のご職業は?」
(この女は……)
ブランの目が鋭く光った。
(悲しみを共有しているんじゃない。……情報を集めているんだ)
◇
決定的な瞬間は、次の集会で訪れた。
「ブランさん」
その女性が、静かに声をかけてきた。
「先日のお話……弟さんは、王国風邪だったんですよね」
ブランの動きが止まった。
(俺は……病名までは話していない)
ブランが語ったのは――「重い流行病」という言葉だけだった。
具体的な病名など、口にしていなかった。
「……なぜ、それを知っている?」
ブランの声が、低く鋭くなった。
女性の表情に、一瞬、動揺が走った。
「い、いえ……当時、流行っていた病気が王国風邪だったんで、なんとなく、そうかな、と……」
「俺は、病名なんて、一言も言っていない」
ブランの視線が、女性を捉えたまま、離れなかった。
女性は、それ以上、何も言わず――静かに目を逸らした。
◇
その夜、事務所に戻ったブランは、ノワールとそれぞれの情報を共有した。
「あの女……」
ブランが、静かに切り出す。
「参加者の話を聞く時――必ず『最後に誰と会ったか』を聞いていた」
「……それ」
ノワールが、はっと、顔を上げた。
「六人のうちの、一人だ。……住所もでたらめだった――実在しない女」
「マリー・デュシャン」
二人の声が揃った。
「やはり、悲しみを演じて、情報を集めているんだ」
ブランが、低く告げた。
◇
次の集会の後――ロペス兄弟は、王都憲兵隊隊長のヴィクトルに協力を仰ぎ、マリーを尾行することにした。
マリーは集会を出ると――王都の裏通りへと向かった。
人目を避けるように、狭い路地をいくつも抜けていく。
やがて、彼女は小さな酒場の裏口で――一人の男と接触した。
「新しく入った男……弟を失ったと言っていました」
マリーの声が、微かに風に乗って届いた。
「まだ、確信はないですが……要注意リストに入れる必要があるかと」
その言葉に、ブランは静かに息を呑んだ。
「……俺のことか?」
ブランがそう呟いた、その直後だった。
「フェリクス・アダムスの、件で――お話を、伺いたい」
ヴィクトルが、静かにブランの背後から姿を現し、マリーの前に進み出た。
「な……!」
マリーが、驚いた様子で後ずさる。相手の男は足早にその場を去った。
「王都憲兵隊だ。……大人しく、来てもらおうか」
ヴィクトルの声には、これまでにない鋭さがあった。
マリーは、逃げようとしたが――すでに、周囲には、憲兵たちが取り囲んでいた。
◇
連行されるマリーの背中を見送りながら――ロペス兄弟は、しばらく、無言のまま、その場に立ち尽くしていた。
「あの女が、報告していた相手……」
ノワールが、静かに口を開いた。
「あの男も追う必要があるね」
「ああ」
ブランが、静かに頷いた。
「あのコミュニティは、組織に関係する失踪者情報を家族がどこまで掴んでいるか、把握するためのものだったんだ」
彼の声に、これまでにない緊張が滲んだ。
「失踪者が出る。……家族が悲しむ。ヴィクティムズ・イン・リムボーに入る。そこで、情報が集められる。」
「そして――フェリクス・アダムスさんのように、組織の存在に気づいた者を消していく」
「これは……」
ノワールが、掠れた声で続けた。
「加害者の手の中で、被害者が自助努力するって……酷すぎる」
改めて見えた闇は――静かな残酷だった。
そして、その悲しみを――誰よりも近くで、利用していた闇がある。
ロペス兄弟は、まだ――その闇の、入り口に立ったばかりだった。




