第四話 ふたつの家庭を持つ男
その日、インク・オブ・トゥルース社の扉を開けたノワールは、二人の女性の間に挟まれたブランの姿を見て後退りした。
「お邪魔しましたー……」
「待て待て」
扉を閉めようとしたノワールを引き留めるブラン。
「兄さんのいざこざに、僕を巻き込まないでくれる?」
ノワールは溜め息をついた。
「違う、二人とも依頼者だ」
互いの姿を見て、二人は同時に息を呑んだ。
「だいたい、あなたがどうしてここに……!」
「それは、こちらの台詞です!」
二人の女性は対称的だった。落ち着いた佇まいの女性がリアーナ・ヴァレール。快活な印象の女性がキャロライン・ベルモン。
二人とも、初対面のはずなのに、なぜか互いを睨みつけていた。
ブランとノワールは、顔を見合わせた。
「一人ずつ、お話を伺いましょうか?」
◇
ノワールはリアーナの話を聞くことになった。
「夫は、ネルソン・ヴァレール。貿易商をやっています」
リアーナが、震える声で切り出した。
「仕事上、海外を飛び回っているので、長い時は半年近く家を空けることがあります。……でも、先日、息子のレオが『お父さんを町で見た』と言うんです。夫は今、海外にいるはずなのに」
一方、ブランはキャロラインの話を聞いた。
「夫は、ペーター・ベルモン。長距離運送の仕事をしています。何日も家を空けるのはいつものことなんですが……娘のシルビアが、『お父さんが違う女の人と歩いていた』って言い出して」
二人の妻は、互いに同じ言葉を口にした。
「「私こそが、本物の妻です」」
「戸籍を確認すれば、はっきりすることです」
ブランが静かに言う。
「本日、婚姻届の写しをお持ちですか?」
ノワールが確認した。
二人がそれぞれ差し出した書類を、ブランとノワールは並べて見比べた。
「……これは」
ノワールが眉をひそめる。
二枚の婚姻届に記された男の名前は、確かに違った。
「ネルソン・ヴァレール」と「ペーター・ベルモン」全く違う二人の名前――。
だが、添えられた家族写真に写った男は、恐ろしいほどよく似ていた。
「お二人が親戚であるということは?」
ブランが尋ねた。
「義両親にも確認しました」
「私もです」
二人の意見が初めて一致した。
「「『そんな親戚はいない』と……」」
その答えは謎をさらに深めた。
口に出さなかったが二人の夫が身分詐称して、別の家庭を作っていると思っていた。しかし、二人の夫には、異なる両親が実在する。
どちらかが偽物なれば、その両親も偽物ということになる。しかし、両親の戸籍まで用意して嘘をつくのは、あまりに手が込んでいる。
◇
調査を進めて分かったことは、「ネルソン・ヴァレール」も「ペーター・ベルモン」も存在しているということだった。
ネルソンの「貿易の仕事」について、王都の貿易組合に問い合わせると、確かにネルソン・ヴァレールという商人は登録されていた。
ペーターの「長距離運送」についても、運送組合に記録が残っていた。
「二人とも、仕事をしている……?」
ノワールが顎に手を当てる。
「これは、偽っているというより――」
ブランが遠くを見るように言った。
「それぞれの家庭にいる時間を、『仕事』という言い訳で埋めている。まるで、二つの人生を、同時に生きているみたいだな」
子供たちの証言も記録と照合すると日付は一致した。
レオが父を見かけたという日、シルビアの家にはペーターが帰っていた記録がある。
逆に、シルビアが「違う女性と歩く父」を見た日、ネルソンはヴァレール家に帰っていた。
「同じ時刻に、別の場所にいる」
ノワールが唸る。
「……これまさか、本当にドッペルゲンガー?」
「馬鹿を言うな。幽霊だろうと分身だろうと、俺たちが今まで見てきたのは、全部『人間』だ。今回も、必ず種がある」
ブランがピシャリと言った。
◇
手がかりを求め、二人はネルソンとペーター、双方の出生記録を調べることにした。
王都近郊のとある産院で、二人はついに核心に辿り着く。
「二十八年前……同じ日に、同じ母親から、二人の男児が生まれています」
老いた産婆――当時を知る唯一の人物が、震える声で語った。
「その頃、その母親は大変な貧しさの中にいました。双子を二人とも育てることができず……苦渋の決断で、それぞれを、別の家庭へ養子に出したのです」
「二人とも、そのことを知らないんですか?」
「ええ。二か所の福祉事務所がそれぞれで、里親を募集しましたから」
ブランとノワールは、しばらく言葉を失っていた。
「本人も里親たちも、知らない兄弟……」
ノワールが、ぽつりと呟く。
「互いに、生き別れの兄弟がいることさえ、知らずに生きてきたのか」
ブランは、何も言わなかった。ただ、その横顔には、いつもとは違う色が浮かんでいた。
◇
二人はそれぞれ、ネルソンとペーターに連絡を取った。
偶然を装って同じ場所――インク・オブ・トゥルース社の応接室に、二人の男を呼び出す。
扉が開き、互いの姿を見た瞬間、ネルソンとペーターは、その場に凍りついた。
そこには同じ顔を持つ男がいた。
「「同じ顔……」」
鏡合わせのような二人の男が、言葉を失ったまま、見つめ合っている。
「あなた方は、双子の兄弟です」
ブランが静かに告げた。
「二十八年前、同じ産院で生まれ、幼くして離れ離れになった。今日まで、互いの存在を知らないまま生きてきたようですね」
しばらくの沈黙のあと、先に口を開いたのはペーターだった。
「……どうりで。自分にそっくりな男を見た、という知り合いに言われたことがあったんだ。まさか、双子の兄弟だったなんて」
「俺も、似たようなことを言われてきた」
ネルソンが、震える声で応じた。
「兄さん……いや、弟なのか……?」
「分からない。どっちが先に生まれたのかも確かめようがない」
二人は、どちらからともなく歩み寄り、互いの肩を掴んだ。
そして、静かに抱き合い涙した。
「二十八年生きてきて、本物の兄弟がいるなんて」
「ずっと、会ってなかったのが嘘みたいな感じだ」
二人の男が肩を抱き合って泣く姿を、ブランとノワールは、しばらく黙って見つめていた。
ノワールが、小さく呟く。
「……よかったね」
その一言には、単なる感傷以上の響きがあった。
ブランは、何も言わなかった。ただ、静かに、二人の再会を見届けていた。
◇
「では、二人の『夫』は、どちらも本物、ということですか?」
リアーナが、恐る恐る尋ねた。
「はい」
ブランが頷く。
「ネルソン・ヴァレールと、ペーター・ベルモン。戸籍上も、まったく別の二人の人間です。リアーナさんはネルソンの、キャロラインさんはペーターの、正式な妻です」
「浮気でも、二重生活でもなかった……」
キャロラインが、脱力したように呟いた。
「子どもたちが見た『もう一人のお父さん』は、本物の兄弟、ということです」
二人の妻は、しばらく呆然と顔を見合わせていたが、やがて、どちらからともなく笑い出した。
「なんだ、そういうことだったの。きつく言い過ぎて、ごめんなさい」
「いいえ、私こそ。家族を守ることで頭がいっぱいになってたわ」
険悪だった二人の空気が、嘘のように和らいでいく。
◇
数日後、王都に出回ったロペス兄弟の本には、こう記されていた。
『二十八年前、一人の母のもとに生まれた双子の兄弟は、貧しさゆえに引き裂かれ、互いの存在を知らぬまま、別々の人生を歩んだ。
偶然にも、それぞれが家庭を築き、偶然にも、互いによく似た顔で、互いの知らない場所で生きていた。
これは事件ではない。裏切りでもない。
ただ、一つの命が、二つに分かれ、二つの家族を作った物語である。
時に、磁石のように互いを引き寄せる不思議な偶然が人生にはある。それは『運命』か、それとも『絆』か?
その答えは、これからの二人にしか分からない。――ブラザーズ・ロペス』
この記事は、これまでのどの告発文とも違う反響を呼んだ。
「ドッペルゲンガーじゃなかったのか……」
「生き別れの兄弟、無事に会えたんだね」
読者たちの声には、安堵と、温かな祝福が滲んでいた。
「これは告発じゃない。からこそ書き残す価値があるんだ」
ブランは書店に並んだ自分たちの本を見て呟いた。
◇
事務所に戻った夜、ノワールがぽつりと切り出した。
「兄さん」
「どうした?」
「今日の二人を見てて、思ったんだ」
ノワールは、窓の外の夜空を見上げた。
「僕らにも、探したい人がいる」
ブランは、しばらく黙っていた。
「ああ」
「もし見つかったら、俺たちも、あんな風に泣けるかな」
「……どうだろうな」
ブランは静かに答えた。
「でも、答えを見つけるまでは諦めないさ」
窓の外では、王都の夜が、静かに更けていく。
二人の男が、生き別れの兄弟と再会し、涙を流したその日――。
ロペス兄弟も、まだ見ぬ誰かへの想っていた。




