第三十六話 ベルジェの正体
インク・オブ・トゥルース社で、まるで、自分の家のように、くつろぐ男がいた。
ベルジェ・バルガスである。
最初は、いちいち気にしていたロペス兄弟も――今では、彼のことを半ば、置き物のように扱い始めていた。
その日も、ベルジェが買ってきた弁当を三人で囲んでいた。
「ベルジェさんって」
ノワールが、何気なく口を開いた。
「ちゃんとした仕事してるの?」
ブランも、気になっていたのだろう。弁当を口に運びながらも、視線だけはベルジェに向けられていた。
「自警団は、ボランティアだからな。普段は、ちゃんと仕事してるぞ」
いつもの調子で、ベルジェが答える。
「へー。どんな仕事?」
ノワールは興味なさそうに、とりあえず聞いた。
「医者だ」
「ブフォッ!」
ブランが、思わず吹き出した。
「兄さん、汚いなあ……って。今、ベルジェさん、『医者』って言った?」
ノワールが、思わず聞き返す。
「その病院の名前を、今すぐ言え!」
ブランが詰め寄る。
「お? なんだ、ロペス兄。診て欲しいのか?」
「逆だ。何があっても、その病院だけは行かない」
「わははは! 残念だが、俺は外科医だ」
「外科医!?」
意外な答えに、ロペス兄弟は言葉を失っていた。
「王都メディカルケアで働いている」
「あの、有名病院!?」
「父は、教授兼院長だ。兄は、内科医の准教授だ」
「ベルジェさんは、何か役職ないの? っていうか、こんなところでサボっていていいの?」
「俺は、麻酔がかかった患者しか、相手にしないからな。まあ、たまに、検死や解剖もやるぞ」
「な、なんで、そんなピンポイントなの?」
「親父と兄さんが……お前は、意識のある患者は、駄目だって言ってな」
ベルジェが、堂々と続けた。
「俺のような男を、前にすると緊張するんだろう」
◇
その後、当直だというベルジェの真意を確かめるために――ロペス兄弟は、病院までついていくことにした。
だが――その道中で、三人は何者かに襲われた。
麻袋を頭から被せられ、無理やり押し込められる。
狭く身動きの取れない状態の中で、ベルジェの声がした。
「この三人が狙われたということは、レグナードコンテストで目をつけられたか」
「ベルジェさん、圏外だったでしょ!」
ノワールの声がする。
「とりあえず、落ち着け」
ブランが声を上げる。
「これ、出勤時間に間に合うか……」
「今は、それどころじゃない!」
ギャーギャーと、騒ぎながら、運ばれていく、三人。
辿り着いたのは、人気のない倉庫だった。いかにも、裏稼業といった雰囲気の集団が、待ち構えていた。
「これは……」
ブランが、静かに警戒する。
自分たちが追っている組織の関係者かと身構えた。
だが、その正体は――近隣国のマフィアだった。
「被弾したボスの銃弾摘出のために……お前を、連れてきた」
狙いは――ベルジェだった。
拘束されたままの、ロペス兄弟。
用意されていたのは、ビニールカーテンに覆われた簡易的な手術室だった。
慣れない環境で、執刀させられる、ベルジェ。
そう、思っていたのは――そこにいた、ベルジェ以外の全員だった。
「これ、高額な医療器具じゃないか!終わったら、うちの病院にくれよ」
「俺、スクラブは緑色派なんだよなー。知ってるか? スクラブの色にも意味があるんだぞ」
「なあ、この銃弾ってのは、意外と抜きにくい構造をしてるんだよなあ」
いつもの調子で、一人で勝手に喋り続けるベルジェ。
「真面目にやれ!」
苛立つ、マフィアたち。
「俺は、患者の前でも、ご遺体の前でも……いつも、こうだ!」
なぜか、威張るベルジェ。
その光景を見て、ロペス兄弟は――ようやく理解した。
(ベルジェの父と兄が、麻酔のかかった患者と遺体しか担当させない理由が……分かった気がする)
周囲を苛立たせながらも――手術は、無事、成功した。
「俺、撃たれないように、気をつけよう」
執刀するベルジェの姿を一部始終見ていたマフィアの手下たちが、小声で話し合う。
こうして、ロペス兄弟とベルジェは解放された。
「あの状況で……よく、できたな」
ブランが、感心したように呟く。
「まあ、失敗したら」
ベルジェが、あっけらかんと答えた。
「病院――死体安置所に、送ってもらえるだろう?」
ロペス兄弟の顔色が、静かに青ざめた。
◇
後日――回復したマフィアのボスが、インク・オブ・トゥルース社を訪れた。
事務所では、いつも通り、くつろぐベルジェの姿があった。
マフィアのボスが椅子に腰を掛けると、手下がアタッシュケースをテーブルに置いた。中には、一生遊んで暮らせそうな額の大金が入っていた。
当のベルジェは、マフィアのボスが差し出した謝礼金には見向きもせず、クロスワードパズルを解いていた。
「俺の前に寝転がっている人は、俺から見れば、みんな同じだ」
ベルジェがマフィアのボスに向かって、悪びれる様子もなく言い放った。
呆れる、ロペス兄弟。
帰ろうとするボスを、ブランが静かに呼び止めた。
「ベルジェを、狙ったのは誰だ?」
「うちの……若頭だが」
「じゃあ、あんたは、その若頭に命を狙われてるな」
「どういうことだ?」
「この男の腕前を意識のある人間は知らない。……そんな男に、執刀させる意図は?」
事務所内の空気が変わった。
マフィアのボスの表情が、静かに強張る。
「……失敗しても、事故に見える」
「……俺を殺すために、あの男を呼んだというのか」
そこで、当のベルジェ本人が、クロスワードから手を放して口を挟んだ。
「なに? 俺が、名医だからじゃないのか!」
その、あまりにも、緊張感のない言動に――意識のある状態で、始めてベルジェを見たボス自身も何かを確信した様子だった。
帰り際、ボスが静かに足を止めた。
「……バルガス先生」
ベルジェが、クロスワードから顔を上げる。
「なんだ?」
「あなたには、借りができた」
「だったら――」
ベルジェが、あっさりと答えた。
「そこの兄弟にあげてくれ。……ここに居座る、チャージ代だ」
マフィアのボスが、去ったあと――事務所には、しばらくの間、静かな沈黙が残っていた。
「結局……ベルジェって、何者なんだ?」
ブランが、心底疲れたように呟いた。
「自警団長で、外科医……マフィアの前でも動じない、人?」
ノワールも、げんなりした様子で、答える。
「俺には……もう、分からない」
ブランが、深く、息を吐いた。
その時だった。
「おい、ファイリングぐらい規則性を保て」
ベルジェが、いつも通りの調子で声をかけてきた。
「それは、年代ごとに分けてたんだよ」
ノワールが止めに入るが、すぐに、その手を止めた。
「ベルジェさん……なんで、こう分けたの?」
「アルファベット順だが」
「……だったら、ラメント村は"L"じゃないの?」
「この写真見ろ! 『ヴィレッジ・イン・ラメント』って書いてあるだろ?」
ロペス兄弟は、顔を見合わせ――ベルジェが分けた資料を見直す。
「あの旅行会社……ヴィヴィエ・イゾルド・ラングロワ 」
ブランが、静かに続けた。
二人は、弾かれたように、他の資料を次々と机に広げ始めた。
「弁当屋の投資会社……ヴィスタ・インベストメント・ライン 」
ブランが、書類をめくる。
「戸籍を担保とした金融業者……ヴァロー・インベスト・レンディング」
ノワールの手が震えていた。
「そして、『ヴィレッジ・イン・ラメント』」
「これまで扱ってきた事件が、フェリクスの遺した、あの三文字に繋がっていた。」
「全ての頭文字が、『V、I、L』だ……」
「まさか……」
ブランが、低く呟く。
「これまで、俺たちが追いかけてきた事件は……全部」
「一つの組織に繋がっていた、ってこと?」
ノワールの声が掠れる。
事務所に、これまでにない重い静寂が落ちた。
偶然が、二つ、三つと、重なっていく中で――二人は、ようやく、はっきりと理解し始めていた。
これは、もう偶然ではない。
自分たちが、これまで点在する事件として、個別に追いかけてきたもの――そのすべての裏に、同じ頭文字を持つ、一つの巨大な存在が静かに潜んでいたのだ。
「V、I、L……」
ブランが、その三文字を改めて、紙に書き記した。
「これが……俺たちが、追い続けている組織の名前なのか」
その文字を、じっと、見つめる二人の目には――これまでにない、強い緊張と確信が宿っていた。




