第三十一話 孤立の先の闇
「……お前らに聞きたいことがある」
インク・オブ・トゥルース社を訪れたのは、王都憲兵隊長ヴィクトル・グランジェだった。
「どうされました?」
ノワールが、椅子を勧める。
「ダミアン・コストの取り調べが、難航してる」
ヴィクトルは、疲れた表情でそう切り出した。
「ダミアン・コストは、身分詐称については素直に認めた。だが……なぜ、お前らがそれを突き止めたのか。……いや、それより先に聞きたいことがある」
「何でしょう?」
「お前らは、一体、何を知っている?」
ヴィクトルの目つきが鋭くなった。
「ダミアン・コストが詐称した戸籍が、どこから来たのか。……お前らは、もう、その先を掴んでいるんじゃないのか?」
ブランとノワールは、顔を見合わせた。
「隊長……いや、ヴィクトル」
ブランが、静かに切り出す。
「先に、聞かせてくれ。ダミアンの取り調べで、何が出ている」
「まだ、口が固い。……だが、少しずつ、崩れかけてはいる」
「では、僕たちも協力します」
ノワールが静かに微笑んだ。
「ただし――情報は対等に」
ヴィクトルは、しばらく渋い顔をしていたが、やがて、諦めたように頷いた。
実際のところ、ロペス兄弟は、組織そのものの正体をまだ王都憲兵隊に渡すつもりはなかった。
だが、ダミアン本人と改めて話す機会を得ることには意味があった。
◇
「戸籍をどうやって手に入れたか……もう一度、詳しく聞かせてください」
ノワールが、静かに切り出す。
「服役して罪を償ったあなたに、社会は居場所を与えてくれなかったから、あなたは身分詐称という犯罪に手を染めたって言ってましたよね?」
ダミアンは、しばらく抵抗するように黙っていたが――やがて、ぽつりぽつりと語り始めた。
「出所後――、王立職業斡旋所に通っていたんです」
「職業斡旋所?」
「刑期を終えたあと……仕事を、探そうとしました。でも、どこも駄目で」
ダミアンの声が、静かに沈む。
「『前科がある』『前職のような仕事は無理だ』『学校関係は論外だ』……何十件も断られました」
「それで?」
「そこで、声をかけてくれた親切な職員がいたんです」
◇
「仕事が、見つからないんですか?」
ダミアンの回想の中で、その職員の声は穏やかだった。
「……ええ」
「前歴を理由に断られることが多い、と?」
「……はい」
「だったら、別の方法がありますよ」
ダミアン曰く、その職員は親身な対応をした。
「遠方なら、前歴を知らない雇用主もいます」
「身元を保証してくれる会社もありますよ」
「過去をやり直せる仕事があるんです」
職員は、様々な提案を重ねていった。
ダミアンにとっては、出所後に初めて選べる立場になった。
そして、ダミアンがその言葉に頼り始めた頃――。
「そもそも、名前を変えれば……もっと、選択肢が増えますよ」
ダミアンは静かに目を伏せた。
「あの人だけが……行き場のない俺に、親身になってくれたんです」
ブランとノワールは、しばらく言葉を失っていた。
「その職員の名前は?」
ブランが静かに尋ねる。
「エマーソン・デュランさん……です」
◇
ロペス兄弟は、ヴィクトルを伴い、王立職業斡旋所を、訪ねた。
だが、そこにエマーソン・デュランという職員は――どこにも、いなかった。
「エマーソン・デュランさん……いたはず、なんです」
斡旋所の管理者は、困惑した様子で答えた。
「どういう意味ですか?」
ブランが聞き返す。
「二週間前から無断欠勤が続いていて……さすがに、おかしいと思って連絡を取ろうとした時には、彼の連絡先どころか個人情報すべてが消えていたんです」
ヴィクトルが、捜査機密情報開示命令書を示す。
「ダミアン・コスト容疑者の取り調べで、エマーソン・デュランさんが担当していたと調べがついてます」
管理者は、エマーソン・デュランと名乗る職員が、過去に担当していた利用者たちの記録は膨大な数だった。
「さすがに、エマーソン・デュランが関与している証拠がない以上、ダミアン・コストの件でこれ以上、憲兵の人員は割けない」
ヴィクトルが、苦渋の表情で呟く。
「隊長さん、ここは俺たちの得意分野だ。あとは任せてくれ」
ブランが、ヴィクトルの肩を手を乗せた。
「餅は餅屋ってね」
ノワールが笑みを浮かべて、慣れた様子で資料の束を抱える。
「捜査機密情報開示命令書を出す。閲覧できる範囲で、すべて見てくれ。……俺には、おまえたちみたいな優秀な人材が、インク・オブ・トゥルース社に拘る意味が分からないよ」
ヴィクトルは資料をロペス兄弟に任せて、エマーソン・デュランの同僚に話を聞きに行った。
その場に残ったロペス兄弟は、資料を丹念に読み進めた――すると、ある共通点が浮かび上がってきた。
失業したばかりの者。
出所したばかりの者。
多額の借金を抱えた者。
家族を失った者。
身寄りのない者。
身分的な事情で就職先が限られる者。
「全員……社会の隙間に取り残された人たちだ」
ノワールが、静かに呟く。
「その一人一人に、エマーソン・デュランは寄り添っていたんだろうな」
ブランの声が、低く響く。
「あの組織は……調べれば調べるほど違う一面が出てきた」
ブランが、静かに資料の束を机に広げた。
「組織が狙っている人間には、共通点があった」
ブランが、静かに続けた。
「ここまでの規模の組織が二十件程度の誘拐で終わるはずがない……失踪は組織犯罪の氷山の一角だ」
ノワールが、指を折りながら言葉を継ぐ。
「『子どもを預ければ、生活が楽になる』という子どもの身売り――」
「失踪者の個人情報の売買――」
「あの組織は……人間の弱みを見つけて、その解決策で商売している」
「それだけじゃない」
ロペス兄弟の声が、静かに重なった。
二人の間に――底の見えない深い闇が広がる。
「……逮捕されるのは、何も知らない末端のみ。エマーソン・デュランは、ダミアンが逮捕された時点で、俺たちがここに来るのを予想して、痕跡すら残していない」
ブランが、拳を握りしめた。
「組織の本体には、まだ指一本触れられていない……」
ノワールが、苦々しく呟いた。
◇
数日後、王都に出回った記事には、こう記されていた。
『この国には、社会の隙間に取り残された人たちを探し出し、それを商売にする組織が存在する。
失業した者。出所した者。借金を抱えた者。家族を失った者。身寄りのない者。
その誰もが不安と孤独の中、ただ優しい言葉を求めただけだった。
だが、その優しさの先にあったのは――人生そのものを商品として売買する、暗い闇だった。
困った人に手を差し伸べるのは、善意だ。
だが、その善意を装った先に罠が待っていることもある。
社会的孤立を防ぐことが、その闇を絶つ近道なのかもしれない。
――ブラザーズ・ロペス』
事務所に訪れたヴィクトルは、しばらく、黙り込んでいた。
「そろそろ、話してくれないか?おまえたちの比喩とする闇のことを――」
ヴィクトルはインク・オブ・トゥルース社の本を広げた。
ブランは、しばらく黙っていたが静かに答えた。
「話して何になる?」
ブランは、ヴィクトルを突き放した。
「ヴィクトル、おまえは役人だ。役人なら役人らしく、その仕事に専念しろ」
「ロペス!」
ヴィクトルが、立ち上がった。
「ヴィクトルさん! 兄さんは、あなたを巻き込まないために言ってるんです!」
ノワールが二人の間に入る。
「証拠を掴めたら手柄は譲る、それでいいだろ?」
ブランの目が静かに鋭くなった。
「兄さん!」
ノワールがブランを睨み付けた。
ヴィクトルは、しばらく二人の顔を見比べていたが――やがて、静かに溜め息をついた。
「……分かった。俺ができることがあるなら、協力する」
そう一言、残して事務所を去って行った。
「自分から孤立に向かって、どうするんだよ」
ノワールは呆れ顔でブランを見た。
しかし、ブランは返事をせず、窓から黙って景色を見ていた。




