第二十七話 勿忘草
王都の北に位置する、広大な平地の広がる町、ローランドシャイア。
そこから届いた手紙の差出人はアンリ・ヴォークランだった。
便箋五枚に綴られた行方不明の息子に対する思いと、些細な情報でもいいから欲しいという願いが痛いほどに伝わる文面だった。
「今回は、覚悟した方がいい」
ブランがそう言うとノワールは黙って頷いた。
◇
ヴォークラン邸を訪れると、出迎えたのは男性だった。
「アンリ・ヴォークランです。お待ちしておりました」
客室に通されると、先に口を開いたのはブランだった。
「我々の拙著を読まれて、お手紙を下さったのですが、あいにく本に書いてあることしか我々は知りません」
アンリは期待していたのだろう。落胆の表情を見せる。
「そうですか……ロペスさんたちは、行方不明の子どもたちを探されているんですよね」
「ええ」
「これ、受け取ってください。私が息子のレオンが、行方不明になってから七年間の調べた資料です」
渡された封筒の中身を確認すると、レオン少年の失踪までの足取りがこと細かく書いてあった。
「参考になるか分かりませんが、息子の部屋も見てください。事件の日から何も動かしていません」
扉を開けると、そこには――時が止まったような、部屋が広がっていた。
子ども部屋は、当時のまま。壁には、幼い筆跡の落書き。棚には、綺麗に畳まれた、子ども服。
「なんだろう……この、鼻を刺すようなアンモニア臭」
ノワールが鼻をひくひくさせた。
「確かに、匂うな」
ブランが、部屋のカーテンを開ける。
確かに、アンリが言った通り、部屋は当時のままなんだろう。うっすら積もった埃や部屋の角には蜘蛛の巣が張り始めていた。
「この辺から匂いがする!」
ノワールは子供用のベッドの下を覗き込む。
ベッドの下にはカビが生えた箱があった。
「これは?」
「レオンの宝物入れです。中身はボールや折り紙で作ったものや絵しかないはずですが……」
アンリがそう言いながら蓋を開けると、部屋中に腐ったような匂いが広がった。
「ゲホゲホ、換気しろ!」
部屋と廊下の窓を開けて、改めて箱の中を覗く。そこには、腐った卵の殻が入っていた。
「卵……?」
一番驚いていたのはアンリだった。
「以前、中を見た時は金色のボールだったんです」
「金色?」
ロペス兄弟の脳裏に『金の卵詐欺』が浮かんだ。
「レオンくんは、この金の卵……金のボールをいつ手にしたか分かりますか?」
アンリは、静かに、首を振った。
「恥ずかしながら、レオンが行方不明になるまで家のことは別れた妻に任せっきりで……」
「元奥様の居場所を教えて頂けますか?」
アンリはアドレス帳を見せた。
住所は、ローランドシャイアから西のヴァロンドールだった。
「別れた妻の名前はシモーヌ。現在は再婚してシモーヌ・ルソーです」
◇
翌日、ヴァロンドールの町にあるシモーヌの家を訪ねた。
シモーヌが明るく扉を開けた。
「行方不明のレオン・ヴォークランくんについて、伺いたいのですが」
ブランがそういうと、シモーヌの顔色は変わり勢いよく扉を閉めた。
「レオンのことは……忘れたいんです!」
中からシモーヌの叫び声に近い声がした。
「一つだけ、教えていただけませんか?アンリさんには、分からないことなんです」
ノワールが、扉越しに優しく声をかけた。
「……」
扉がゆっくりと開いた。
シモーヌは、目を伏せたまま、静かに話し始めた。
「何が知りたいんですか?」
ノワールは、ゆっくりと話し始めた。
ラメント村で見つかった案山子が着ていた服のこと、レオン少年のベッドの下から金の卵が見つかったこと。
シモーヌは、話を聞いている間に嗚咽を漏らす。
「金の卵……覚えがあります。行方不明になる前の日に、金色の鳥の卵だと言って、持って帰ってきたんです。いくらだったかまでは、はっきりとは覚えていませんが、高額だったので、すぐに返してくるように言ったんです」
「……まさか、お金を払わなかったから拐われたんですか?」
シモーヌは立ち上がり、ノワールの服に掴みかかる。
「シモーヌ!落ち着きなさい」
シモーヌを止めたのは、キッチンからお茶を持ってきた男性だった。
「シモーヌの夫のクリス・ルソーです」
夫は、静かに、シモーヌの手を握った。
クリスの手に縋るように泣くシモーヌ。
「申し訳ありません。彼女が再婚していて、レオンくんのことをふっ切れたと思われたかもしれませんが……それは違います」
クリスが、静かに続けた。
「僕が、彼女に出会った時、彼女は……本当に、限界だったんです」
「毎日、泣きながら、街を、探し回っていました。……食事も、ろくに取れず、眠ることも、できずに」
「彼女は、生き残るために、忘れるという選択肢を選んだんです」
シモーヌは、静かに涙を拭った。
「私は、ひどい母親でしょう」
その問いに、ロペス兄弟は、すぐには答えられなかった。
重苦しい空気の中で、ブランが案山子が着ていた服を出す。すでに、アンリから確認を取っていたレオン少年の服を、ブランは裏返した。そこには、ローランドシャイアのヴォークラン邸の住所が縫ってあった。
「本当にひどい母親なら、レオンくんの服一枚一枚に住所をいれたりしませんよ」
シモーヌは汚れてボロボロの服を抱きしめ、再び声を上げて泣いた。
その声に幼い少年が駆け寄る。
「ママ、大丈夫?」
その子どもは、失踪した当時のレオン少年くらいの年齢だった。
子ども服と一緒に、その少年を抱きしめた。
◇
シモーヌは、しばらく沈黙していたが、やがて、ぽつりと語り始めた。
「あの子がいなくなった後……私たちの生き方が、少しずつズレが生じたことが離婚原因でした」
「アンリさんは、探すことをやめられなかった」
ノワールが、静かに続ける。
「シモーヌさんは、探すことをやめなければ、生きられなかった」
「はい……」
シモーヌが、静かに頷いた。
「あの人に言われました。『お前は、あの子を忘れた』って。……私も言い返しました。『あなたは、あの子に縛られている』って。互いを責め合った末に、二人は別々の道を選んだんです」
シモーヌの声が、静かに震えた。
「どちらも、レオンくんを愛していなかったわけじゃない。だから、どうか自分を責めないでください」
ノワールが、シモーヌの肩にそっと手を置いた。
ロペス兄弟は、それ以上、何も言えなかった。
どちらの生き方が、正しいのか――。
その答えを、二人は持ち合わせていなかった。
◇
数日後、王都に出回った記事には、こう記されていた。
『ある日、愛する子どもが消え去った時――。
その事実に、親はどう向き合えばいいのか。
待ち続けることも、愛だった。
忘れようとすることも、また愛だった。
二人は、同じ痛みを抱えながら――違う方法でしか、それを抱えきれなかった。
どちらが正しいということは、ない。
ただ、二つの不器用な愛の形が、そこにあっただけだ。
許されざる者は、二人から愛する者を奪った者だ。
――ブラザーズ・ロペス』
事務所に戻る道すがら、ノワールが静かに口を開いた。
「兄さん」
「なんだ?」
「……シモーヌさんって、死んだ母さんに似ているよね」
ノワールの声が、微かに震える。
「……母さんが、許せないか?」
ブランは、遠くを見つめながら静かに言った。
「……分からない」
ブランは、静かに続けた。
「恨むなら、俺を恨め。幼いお前を守れなかった俺を……」
「どうしようもなかったんだよ。」
ノワールは、はっきりと言った。
「生きていくためには、しょうがなかった……」
王都の空には、いつも通り、静かな夕暮れに二つの影が揺れていた。




