第二十二話 タロットの導く答え
インク・オブ・トゥルース社に、一人の女性が訪れた。
「近々、離婚するんですが……」
イザベル・ガニエは、静かに、しかし迷いのない声で切り出した。
「理由を、聞いても?」
ブランが尋ねる。
「夫曰く、『星が決めたことだから』です」
事務所に、束の間の沈黙が落ちた。
「……すまない、もう一度、聞かせてくれ」
「星が、そう告げたそうです。私との関係は、これ以上続けるべきではない、と」
ブランとノワールは、顔を見合わせた。
「夫の言動がおかしくなったのは、昨年の昇進がきっかけでした」
イザベルは、静かに語り始めた。
「食事も、持ち物も、休日の予定も――すべて、『星が決めた』と言うようになったんです」
「ご主人は、宗教団体か、何かに、関わっているのか?」
ブランの問いに、イザベルは首を振った。
「分かりません。だから、ここに来ました」
◇
調査を始めたロペス兄弟は、夫セドリック・ガニエが、王都で評判の「占いの館ルミエール」に、足繁く通っていることを突き止めた。
ノワールは客を装って館へ通い、占いの順番を待つ人々へ何気なく話しかけた。
「やっぱり、こういうところは女性が多いんだね」
ノワールは恥ずかしそうにハンチング帽を目深に被った。
その仕草に前方に並んでいた女性がくすりと笑った。
「そんなことないわ。仕事帰りに必ず寄るっていう男性がいますもの」
誰もが同じ男の特徴を口にした。
一方、ブランは占いの館が入っているテナントビルの夜間警備員に聞き込みをした。
「ああ、あの占い師の彼氏だろう?閉店後も残って、占い師と裏口から一緒に出ていくのを何度も見た」
(館の営業時間が終わった後に一緒に?)
(占いは口実で通っているのか――)
さらに調べを進めると、セドリックが、そこに所属する占い師、ソフィー・ラヴェルと、不倫関係にあることも判明した。
◇
ロペス兄弟はお互いが集めた情報を共有した。
「セドリックの同僚の話では、たまたま占ってもらった時に『あなたは認められる』と言われて、その直後に昇進が決まり、それ以来、占いを信じるようになった。」
ノワールが、報告書をめくりながら言う。
「その後も、些細な偶然が重なるたびに、セドリックは、占いにのめり込んでいったようだね」
ブランが、静かに言葉を継いだ。
「占いにのめり込むのは、よくある話だ。今回は、それだけじゃない」
ノワールは何とも言えない表情をした。
「ハマったのは、セドリックだけじゃないんだ。占い師のソフィー・ラヴェルも――彼に、恋愛感情を抱いていたってこと?」
調べを進めるほど、ソフィーが占いを利用してセドリックの行動を少しずつ変えていた形跡が浮かび上がった。ラッキーフードを指定して妻の手料理を避けさせ、ラッキーアイテムとして勧めた香水も、それまでの彼の趣味とはかけ離れたものだった。
◇
ロペス兄弟は、セドリック本人と対峙した。
「あなたは、占い師ソフィー・ラヴェルに、利用されています」
ブランが、事実を、淡々と告げる。
だが、セドリックの反応は、予想の斜め上をいくものだった。
「星が言った通りだ!僕たちに、大きな障害が起きた」
「……は?」
「これも、試練なんだ。真実の愛には、必ず、障害が訪れる。星は、そう告げていた」
どれだけ事実を積み重ねても、セドリックは、その一つ一つを、都合よく「占いの予言」として、再解釈してしまう。
ブランとノワールは、言葉を失った。
「これは……正論じゃ、届かないな」
ノワールが、深く息を吐いた。
「僕たちの声が、届かないなら」
ノワールの言葉に、ブランの目に静かな光が宿った。
「届く人に、話してもらえばいい」
◇
ロペス兄弟が集めたのは、王都に名を連ねる、複数の占い師たちだった。
王都で最も古株のタロット占い師、マダム・セレス。冷静で理論派の占星術師、アルマン・デュラン。明るく面倒見の良い、手相占い師、ミレイユ・ベルナール。寡黙だが名の知れた数秘術師、クロード・ヴァラン。
「占いは、人生の道標であって、人生を決めるものでは、ありません」
マダム・セレスが、静かに言う。
「事情は、聞かせてもらいました。この件、私たち占い師にも、無関係ではありません」
占い師たちは、状況を正確に把握した上で、セドリックとソフィーを、それぞれ占うことに同意した。
「恋人の逆位置。これは……」
タロット占い師マダム・セレスがカードの意味を告げる。
「太陽星座から……」
占星術占い師アルマン・デュランは結果を説明した。
「感情線と運命線を見る限り……」
手相占い師ミレイユ・ベルナールは、二人の手の平に線を描きながら言った。
「生年月日から導かれる数字を見る限り……」
数秘術師クロード・ヴァランが読み解いた。
――手法は違えど、四人の占い師が、それぞれの技法を用いて導き出した答えは、一つだった。
「この二人の関係は、うまくいかない」
四者四様の言葉で、しかし、まったく同じ結論が、セドリックの前に、突きつけられた。
その瞬間、セドリックの顔色が、初めて、大きく変わった。
結局、セドリックとソフィーの関係は、そこで終わりを迎えた。
セドリックは、イザベルのもとへ戻り、やり直したいと、頭を下げた。
だが、イザベルの答えは、静かなものだった。
「占いが、やめた方がいいって、言っているので」
柔らかな笑みを浮かべたまま、彼女は、静かに扉を閉めた。
その言葉に、皮肉が込められていることに、セドリックは、最後まで気づかなかったのかもしれない。
◇
数日後、王都に出回った記事には、こう記されていた。
『占いそのものは、罪ではない。
人生に迷った時、道標を求めることは、誰にでもある。
だが、その道標を、他人を操るための道具として利用した時――それは、もはや占いではなく、洗脳へと変わる。
星は、迷い人の行き先を照らしても、罪を犯さない。
罪を犯すのは、いつも、星の名を借りた人間だ。
――ブラザーズ・ロペス』
事件が解決した後、ロペス兄弟が「占いの館ルミエール」をあとにしようとした、その時だった。
「お待ちなさい」
呼び止めたのは、マダム・セレスだった。
「最後に一つだけ、占わせてもらったわ」
ブランが、振り返る。
「結果を聞くかどうかは、あなたたち次第だけれど」
二人は、黙って、続きを待った。
老占い師は、一枚のカードを、伏せたまま、静かに見つめた。
「近いうちに――」
彼女の指先が、カードの縁を、そっとなぞる。
「止まった時計の針が、動き出す」
それだけ言うと、彼女はカードを回収し、何事もなかったかのように、店の奥へと戻っていった。
「……どういう意味?」
ノワールが、首を傾げる。
「さあな」
ブランは、軽く肩をすくめた。
「占いなんて、天気予報みたいなものだ。傘を持つかどうかは自分で決めるさ」
二人は、その言葉を気にも留めず、王都の雑踏の中へと、消えていった。
――だが、その予言はロペス兄弟が、長く追い続けることになる、あの止まっていた事件を、再び動かす、最初の合図となるのだった。




