第二十一話 意志を受け継ぐ者たちへ
王都に戻ったロペス兄弟を迎えたのは、山積みになった、依頼の未処理案件だった。
「ヴァルメールで、三日も使ったからな」
ブランが、机に積まれた書類の束を見て、深く息を吐いた。
「インク・オブ・トゥルース社を、これ以上、長く空けるわけにはいかないよ」
ノワールが、溜まった依頼状を、ぱらぱらとめくりながら言う。
「僕ら二人なんだから、事務所が機能しなくなるよ」
「だが、この調査を、止めるわけにもいかない」
ブランが、壁に広げたままの地図を、じっと見つめた。
無数のピンと、そこから伸びる糸。まだ、ほとんど手つかずのまま残っている。
しばらくの沈黙のあと、ノワールが、口を開いた。
「そうだ。並行して、やろう!」
「並行?」
「平日は、普通に依頼を受ける。今まで通りだ。……ただ、週末だけは、空ける」
ノワールが、地図に立てられたピンを、一つずつ、指でなぞっていく。
「近場から、順番に。日帰りか、一泊程度で回れる場所を、優先しよう」
「遠方はどうするんだ?」
「近場を片付けてからだよ。やるべきことはやらないと」
ブランは、しばらく黙っていたが、やがて、小さく頷いた。
「分かった。……依頼の近場にピンがあったら寄るからな」
「ピンの近場の依頼があったらね」
その日から、ロペス兄弟の間には、新しいルールが生まれた。
平日は、これまで通り、事務所に持ち込まれる、様々な依頼に応じる。
そして、週末になると、二人は、地図に立てたピンの一つを目指し、王都近郊の町や村へと、静かに足を運ぶようになった。
◇
事務所の扉が、控えめに叩かれた。
訪れたのは、老人福祉施設「陽だまりの家」の経営者、ドミニク・ヴァシェだった。
「幽霊が、出るんです」
ドミニクは、疲れ切った表情で、そう切り出した。
「詳しく、聞かせてください」
「幽霊が目撃されるようになってから、職員が夜勤業務を怖がってしまって……今では、私自身が、夜勤をしています」
「幽霊、というのは?」
「窓の外に、老婆が、張り付くように立っているんです。昨夜、ついに、私自身も、目撃しました。何か、呟いていましたが、聞き取れませんでした」
「王都憲兵隊には?」
「相談しました。ですが、『見回りはする』と言われただけで、何も解決していません」
ブランとノワールは、顔を見合わせた。
「調査を、お引き受けします」
◇
ロペス兄弟は、「陽だまりの家」へと向かった。
ノワールは、職員たちに、聞き込みを行った。
「最近、怖い体験したって聞いたけど、大丈夫ですか?」
ノワールの覗き込むような表情に、顔色の悪かった職員の頬が、ほんのり赤くなっていく。
「幽霊がすごい形相で、こちらを見ていたんです」
「幽霊が現れる時間は、決まっているんですか?」
「いえ、毎回、違うみたいです。他の職員の目撃情報や私が見た時間帯は深夜零時前後です」
「零時前後ね……」
◇
一方、ブランは、幽霊が現れるという窓を、外から調べていた。
窓の下の地面には、折れた枝と、踏み荒らされた跡があった。
「これは……」
ブランは、窓ガラスに、そっと、息を吹きかけた。
曇ったガラスに、人が身を寄せていた跡が、うっすらと、浮かび上がった。
「これは……幽霊じゃないな」
ブランは、静かに、そう呟いた。
◇
その夜から、ロペス兄弟による張り込みが始まった。
ドミニクが施設の談話室を提供してくれた。
入居者たちはロペス兄弟を歓迎してくれ、差し入れや声をかけてくれた。
待機中、二人は、暇を持て余すこともなく、地図を広げていた。
「次は、どのピンへ行く?」
「王都の東側から、詰めていこうか」
そんな、いつも通りのやり取りを重ねながら、静かに、夜を過ごす。
そして、二日目の夜――。
ついに、窓の外に、人影が現れた。
小柄な老婆と、その隣に立つ、壮年の男性。
「動かないでください」
ノワールが、静かに、声をかけた。
「ここは施設の敷地内だ。不法侵入にあたる」
ブランが二人にライトを当てながら言った。
声をかけられた老婆は、驚くどころか、むしろ、怒りをあらわにした。
「そこに、書いてあるじゃない! 『見学、いつでも大歓迎』って!」
ブランが入口の看板を照らす。そこには、確かに、そう記されていた。
施設側は、あくまで、日中の見学時間を想定した文言のつもりだった。だが、老婆――マドレーヌは、その言葉を、文字通りに受け取っていた。
「いつでも、って書いてあるのに、どうして、夜は駄目なのよ」
隣にいた息子のピエールが、困り果てた様子で、頭を下げた。
「すみません……。母は、昔から、こうと決めたら、聞かなくて」
「休みの日に、一緒に行こうと言ったんです。でも、その日はもう、別の施設の見学予約を入れているからって……」
ピエールが、力なく続けた。
「父が亡くなり、母一人で遠方で暮らすのは心配なので、王都に呼んだんですけど、嫁と不仲で……一日でも早く施設を決めたいと仕事終わりの、私に付き添わせて、来てしまったんです」
ブランとノワールは、顔を見合わせた。
「なるほど……悪意は、どこにもなかった、ということか」
施設長のドミニクは、事情を知ると、すぐに、看板を書き直すことを約束した。
「『見学は、日中のみ受け付けております』と、はっきり書きます……お恥ずかしい限りです」
職員たちも、幽霊の正体が判明し、安堵の表情を浮かべた。
◇
事件解決後、施設をあとにしようとするロペス兄弟に、一人の入居者が声をかけてきた。
「ちょっと、待ってくれないか」
声をかけてきたのは、ロラン・ジローという、白髪の老人だった。
「その地図……」
ロランは、ノワールが手にしていた地図を、じっと見つめた。
「その印は、幼児失踪事件を、追っているのか?」
ロペス兄弟は、思わず、息を呑んだ。
「どうして、それを?」
「私は昔、王都タイムズの、社会部記者だった」
ロランは、静かに、そう名乗った。
「もう、この歳だ。目も、耳も、随分と、鈍くなった。だが、記者魂だけは、まだ、死んでいないらしい」
ロランは、部屋から、一冊の、年季の入った手帳を持ってきた。
「これは?」
「私が、長年、追い続けていた事件の記録だ」
手帳の表紙は、擦り切れ、変色していた。中には、几帳面な文字で、いくつもの記録が、びっしりと書き込まれている。
「幼児失踪事件を、追いかけていた。だが、この歳まで追っても、真相には、辿り着けなかった」
ロランは、震える手で、その手帳を、二人の前に差し出した。
「私の意志を、引き継いでくれないか?」
ブランとノワールは、互いに、目を見交わした。
そして、静かに、しかし、力強く頷いた。
「お預かりします」
ブランが、手帳を、両手で受け取る。
「頼んだよ」
ロランは、皺だらけの顔に、穏やかな笑みを浮かべた。
ラメント村の調査は、まだ、終わっていない。
新たな依頼を、一つ一つ、解決しながら。
二人は、少しずつ、あの村へと続く、一本一本の糸を、静かに、辿り続けていく。
そして今、その手には、また一つ、新しい手がかりが、加わっていた。




