第二十話 不発弾
『呪われた村、と噂されたラメント村。
我々とミステリウム研究会が訪れた時に確かに村人は存在していた。しかし、翌日訪れると村人は一人残らず消えていた。この案山子たちを残して……。
この案山子が着ている衣服に見覚えのある方は、インク・オブ・トゥルース社までご連絡いただきたい。
我々は、この衣服の持ち主を探し続ける。ブラザーズ・ロペス』
――And then……
そう記された告発本が出回ってから、インク・オブ・トゥルース社には、日に日に、手紙が届くようになった。
『この案山子の服、見覚えがあります』
『うちの子が、五年前に着ていた服に似ています』
『これは、姪が失踪した時の服だと思います』
最初は数通だった手紙が、やがて、十数通、数十通と、王都中から、そして国中から、届くようになった。
「こんなに……」
ノワールは、机の上に積み上がった手紙の山を前に、言葉を失っていた。
ブランは、無言のまま、王国の地図を、壁いっぱいに広げた。
「一通ずつ、確認していく」
手紙に記された差出人の住所を、一本ずつ、地図の上に、ピンで示していく。
王都の北。
東の港町。
西の農村地帯。
南の国境沿い。
ピンの数は、日を追うごとに、増えていった。
そして、それぞれのピンから、案山子が発見された、あのラメント村へと、一本ずつ、糸を張っていく。
一本、また一本――。
地図の上に、放射状の糸が、幾重にも重なっていった。
すべての糸はラメント村へ集まっていた。ただ一本、その差出人不明の手紙だけが、その法則から外れ、ロペス兄弟が幼い頃に暮らした土地を指していた。
「兄さん……?」
ノワールが、異変に気づき、声をかける。
ブランは、しばらく、何も言わなかった。
ラメント村へ集まる無数の糸。その中で、一本だけ故郷へ伸びる線を見つめていた。
◇
届いた手紙の中で、最も古い日付の記憶を語っていたのは、王都から遠く離れた、最北西部の町――ヴァルメールに住む、一人の老人からのものだった。
「この服、うちの息子のものかもしれません」
短い文面には、そう記されていた。差出人の名は、ジョゼフ・アダン。年齢は、七十を超えている。
「一番遠い場所から、一番古い記憶が届いた、ということか?」
ブランが、地図に立てた最初のピンを、じっと見つめる。
「行こう」
二人は、荷物をまとめ、ヴァルメール行きの長距離列車に乗り込んだ。
◇
車両に乗り込み、指定された席に向かうと、そこには、すでに、若い男女が座っていた。
「あの、すみません。この席は、私たちの指定席なのですが」
ブランが、切符を確認しながら声をかける。
「え?でも、私たちも、この席の切符を持っているんですけど……」
女性が、戸惑いながら、自分たちの切符を差し出した。
座席番号は――まったく同じだった。
新婚旅行中だという、若い夫婦だった。夫の名は、トマ。妻は、リゼット。二人とも、幸せそうな表情に、困惑の色を滲ませていた。
ブランは王国交渉人バッジを見せた。
「鑑定させていただいても?」
「ええ」
ブランは拡大鏡を取り出すと、光にかざしてチケットを見比べた。
「ご夫婦がお持ちの乗車券ですが、Cの文字が潰れています。それだけじゃない、インクの濃さが均等じゃない」
「そんな……」
騒ぎに気づいた鉄道警備員が車掌を呼び、双方の切符を確認してもらう。
「確かに……こちらの切符、印刷が、少し粗いですね」
車掌が、トマたちの切符を手慣れた素振りで、光にかざしながら言った。その表情は面倒くさそうに見えた。ノワールは、それを見逃さなかった。
「僕らは、格安の新婚旅行パッケージを、旅行会社で買ったんです」
トマが、慌てて説明する。
「会社の名前は?」
ブランが尋ねた。
「たしか……『ヴィヴィエ・イゾルド・ラングロワ』という、小さな旅行会社です。」
ノワールが、二枚の切符を見比べながら、目を細める。
「どうやら車掌は、面倒事に関わる気はなさそうだね」
ノワールはブランに小声で言った。
「お二人は新婚さんだ。ここは僕たち二人からのお祝いとして、乗車券を交換しましょう」
「おい、ノワール!勝手な……」
ノワールはブランの方を見て、人差し指を鼻にあてる。
ブランは大きく溜め息をつくと、頭を掻いた。
「これで、この乗車券の所有者は僕たちだ」
「と、とにかく一度、最寄り駅の駅務室で、詳しい事情を伺いましょう」
新婚夫婦を乗せた列車は、そのまま次の駅へと走り出した。
列車を見送ったロペス兄弟は駅務室に通された。
「で、僕らで何人目なの?」
ノワールは駅務室のソファーに腰かけると口を開いた。ブランは黙って鉄道会社職員を見つめる。
「今年に入って五枚目です。ヴァルメール行きの乗車券ばかりが偽造されていて……」
◇
ロペス兄弟は、当初の目的――ジョゼフ・アダンへの訪問の前に、鉄道会社と協力し、偽造切符の出所を調べることにした。
旅行会社「ヴィヴィエ・イゾルド・ラングロワ」を訪ねると、そこは、こぢんまりとした、しかし清潔感のある小さな店だった。
「うちは、正規の切符しか、扱っていません」
店主エミール・ガロは、困惑した様子で、そう主張した。
「では、なぜ、あなたのところで購入した切符が、偽造品だったんだ?」
エミールは、キャビネットからファイルを取り出した。
「そんなはずは、ありません。確かに、鉄道会社から購入しました。」
鉄道会社職員が納品書を確かめる。
「確かに、うちの会社から発行されています」
納品書にはエンボス加工された鉄道会社のロゴがくっきりと入っていた。
「日付が今日の指定席と……今日の十八時発の分もある」
ブランの目にも納品書に違和感がなかった。
「……この店、ずいぶん新しそうだが、いつからやっている?」
エミールの顔が一瞬曇ったように見えた。
「先月からです」
「先月の取引分も見せてくれないか?」
「ええ、もちろん」
エミールは先月の納品書を取り出した。
ブランは、発券番号を確認すると、眉を寄せた。
「今日の十八時発、ヴァルメール行きの乗車券が、まだ残っている」
「それがどうしたの?」
ノワールが尋ねる。
「もし同じ手口なら、今日も偽造券が使われる」
「なるほど!」
「俺たちは、十八時のヴァルメール行きの列車を追う!」
◇
目的の列車を待つ間、ノワールはずっと黙っていた。考える時に顎先を触るノワールの癖を見たブランが話しかけた。
「どうした、ノワール?」
「なんか、イカサマポーカーのテーブルについている気分なんだ」
「イカサマポーカー?」
「カードが配られて、相手は自分が用意した偽物札を出す……じゃあ、本物のカードは?」
「僕たちの乗車券は本物のカードだった。でも、購入したのは王都の鉄道換金所だ。本物乗車券はどうやって王都に来たのかなって……」
「……」
その時だった。列車の汽笛の音がした。
停車した列車に乗り込み、紙に書かれた指定席を探す。
「Cの二十五……あった」
そこに座っていたのは取引先から戻る男性だった。
事情を説明して、乗車券を確認させてもらう。乗車券はインクの色が均等ではなく、Cの文字が潰れている偽物だった。取引先から戻るというその男性もまた「ヴィヴィエ・イゾルド・ラングロワ」で乗車券を購入していた。
「これは、偽造乗車券を売ること自体が目的じゃない」
ブランは呟いた。
◇
翌日、旅行会社「ヴィヴィエ・イゾルド・ラングロワ」に向かうと、昨日の鉄道会社職員がいた。
「どうされたんですか?」
そう尋ねると、彼は慌てたように喋り始めた。
「偽造乗車券と納品書に記載された番号が一致していたんです!」
「そうか、こっちもだ」
しばらく三人で店の開店を待ったが一時間過ぎても開く様子はない。
その時、初老の男性が三人の前を横切り鍵を開けた。
「失礼ですが、あなたはこちらの従業員ですか?」
ブランが初老の男性に声をかけた。
「いや、私はこのマンスリーアパートを管理する者だ。昨日で契約満了だったからね。中の様子を見に来たんだ」
エミールはすでに消えた後だった。その時、エミール・ガロは最初から逃げるつもりだったのだと気づいた。
「これで、全部繋がったよ」
ノワールが、静かに言う。
「あの店は、最初から、旅行会社の看板を被っただけの、資金洗浄用の器だったんだ」
「どういうことですか?」
鉄道会社職員が、困惑した様子で尋ねる。
「正規の手続きで鉄道会社から本物の乗車券を仕入れる。ここまでは何も違法じゃない」
ノワールが指を一本立てた。
「でも、その本物は客には渡さない。別の販売ルートへ流して現金化する」
「僕たちが鉄道換金所で手に入れた本物の乗車券。あれが、その流された乗車券だったんだ」
「そして旅行会社の客には、精巧な偽造乗車券を渡す。そうして得た金は『旅行商品の売上』として帳簿に残る」
「つまり、この店は利益を稼ぐためじゃない。金の出所を分からなくするための会社だったんだ」
鉄道会社職員は、息をのんだ。
「資金洗浄か……」
「短期間だけ営業して、十分に金が動いたら店を畳む。最初から、そのためだけに作られた会社だったんだろう」
ブランは誰もいない店内を見回した。
「この旅行会社そのものが、ただの器だったってことだね」
ノワールも、がらんとした店内へ視線を巡らせる。
「ラメント村の時も思ったけど、最近の犯罪者は、本当に逃げ足が早い」
「この事件が、どこと繋がっているのかは、まだ分からない。だが、部屋を見る限り、書類一枚残すつもりもなかったようだ」
ブランは、がらんとした店内を、静かに見渡した。
◇
後味の悪い事件を終えたあと、ロペス兄弟は、ようやく、ジョゼフ・アダンのもとを訪ねることができた。
小さな一軒家。出迎えたのは、深い皺の刻まれた、老人だった。
「よく、いらっしゃいました」
ジョゼフは、震える手で、茶を淹れながら、静かに語り始めた。
「息子は、私の、たった一人の家族でした。……妻を早くに亡くして、私が、一人で育てていたんです」
「何が、あったんですか?」
ノワールが、静かに尋ねる。
「四十年以上前のことです。近所に来た行商人に、息子が騙されたんです」
ジョゼフは、震える声で続けた。
「『このお金を今預ければ、来年には倍になって返ってくる』――そんな、子供だましの話に、息子は乗ってしまって。二人で暮らすための、なけなしの生活費だったのに……全部、奪われてしまった」
「私は、それを知らずに、金を使い込んだと思ってしまって……酷く叱りました。あの子が、どんな思いで、その金を失ったのかも知らずに」
「その日の夜、息子は、家を出て行きました。それきり、一度も、戻ってきていません」
ブランは、何も言わずに、その話を聞いていた。どこかで聞いたことのある、あまりにも似た構図に、胸の奥が、静かに軋んだ。
「これを」
ジョゼフが、震える手で、古びた木箱を差し出した。
中には、色褪せた子どもの写真が、大切に収められていた。
ラメント村の案山子が着ていたものと、まったく同じ、意匠のものを着た子どもの写真だった。
ブランが袋からボロボロの子供服を出す。
「これは、息子さんが最後に着ていた服です。……もう、生きているかどうかすら、分かりませんが」
「この刺繍……亡くなった妻が入れたんです」
ジョゼフは刺繍部分を優しく撫でると嗚咽を漏らした。
結局、息子自身の消息は、何一つ、掴めなかった。
ただ、色褪せた小さな服だけが、確かに、あの村と、この老人の家族を、繋いでいた証として、家族の元に帰された。
ヴァルメールを去る列車の中で、ノワールは、流れる景色を、見つめていた。
「兄さん」
「なんだ?」
「僕たち、こんな風に、何も持ち帰れないまま終わる日が、これから、何度もあるのかもしれないね」
ブランは、何も答えなかった。
手には、あの小さな子どもが写った写真だけが残されていた。ブランは写真の裏に書かれた日付を、何度も指でなぞっていた。
「……まだ終わってない」
ブランは小さく呟いた。
その言葉は、事件のことなのか、それとも自分自身の過去のことなのか――。
インク・オブ・トゥルース社には、まだ調べ終わっていない手紙が山のように残っている。
その一枚一枚が、いつ爆発するとも知れない、過去から届いた不発弾のように思えた。




