第十七話 死神と呼ばれた男
「妙な男が、いるんだ」
インク・オブ・トゥルース社を訪れたのは、顔馴染みの憲兵隊長、ヴィクトル・グランジェだった。
「妙な男?」
ブランが、問い返す。
「葬儀屋の、エドガー・モルティエだ。……あいつは、いつも、医者より、俺たち憲兵隊より、早く、遺体に、駆けつける」
「それだけなら、葬儀屋として普通じゃない?」
ノワールはヴィクトルの前に珈琲を置くと興味深く尋ねた。
「それがな。死亡が確認される前から、遺族と接触していることがあるんだ……一度、事情を、聞いたこともある」
ヴィクトルは、腕を組み、渋い表情を浮かべた。
「街では、『死神』なんて、呼ばれ始めてる。……俺は、あいつが、何か、知っているとしか、思えない」
「調査してみよう」
◇
ロペス兄弟は、エドガーの葬儀屋を訪ねた。
黒いスーツに身を包んだ、痩身の男が、静かに、二人を迎えた。
「『死神』、と呼ばれているようですね」
ブランが、率直に、切り出す。
「……それは、心外ですね」
エドガーは、初めて、わずかに、表情を歪めた。
「私は、ただの、葬儀屋です」
「街の子どもたちの間では、『黒い死神が、死の匂いを、嗅ぎつける』とまで、言われているようですが」
ノワールが、あえて、追い打ちをかけるように言った。
「とにかく、噂は、噂に、過ぎない」
エドガーが、静かに、言い切った。
◇
ロペス兄弟は、まず、遺体を検分する医師、オーギュスト・ルノーに、話を聞くことにした。
「また葬儀屋に、先を越された、って?」
オーギュストは、悔しそうに、頭を掻いた。
「彼が現場に着いた時には、私より先に待っていることがよくあるのは事実だ。……正直、医者としての、面目が、丸潰れだよ」
自嘲気味に笑うと、オーギュストは、珈琲を一口すすった。
「死因に、不審な点は?」
ブランが、慎重に、尋ねる。
「いいや。私が、毎回、しっかり確認しているが、他殺はない。すべて、自然死、あるいは、持病の悪化。……お前さんたちが疑うエドガーが、手を下した形跡は、一切、ない」
「あの葬儀屋、いっそ、うちの病院で雇いたいくらいだ」
オーギュストは、ぼやくように、付け加えた。
オーギュストの証言により、エドガーが、死そのものに、関与している可能性は、ここで、消えた。
問題は、『なぜ、そんなに早く、分かるのか』という一点に、絞られていった。
◇
二人は、しばらくの間、エドガーの行動を、観察することにした。
エドガーの生活は、病院や近くの店を回るのが日課のようだった。
病院では、受付の職員と短い言葉を交わし、廊下を歩く家族たちを、何気なく眺めている。
ある家族は、医師の説明を聞き終えると、何度も頭を下げながら、俯いたまま病室から出てきた。
別の家族は、医師に何かを尋ねていた。
「……あと、どれくらいでしょうか?」
小さな声だった。
医師は、答えにくそうに言葉を濁していた。
また別の日には、家族が大きな鞄を抱えて病室へ入っていく姿があった。
着替えや日用品だけではない。
患者が昔好きだった写真。
家族との思い出の品。
手紙や、古びた玩具。
その日、エドガーはふらりと花屋に立ち寄った。
荷下ろしをしていた花屋の店主に、エドガーが声をかける。
「この時期には珍しい花を、随分と仕入れているようだが」
「ええ。最近、この花の注文が、多いんです。この時期には咲かないはずの花を、探している方が、何人かいてね」
「それは、誰の注文で?」
「名前は言えませんが……ほら、あそこの病院に入院されている、ご高齢の患者さんのご家族だと思いますよ」
店主は、花束を整えながら続けた。
「その方が、昔から好きだった花なんだとか。今のうちに、見せてあげたいんでしょうね」
エドガーは、しばらく、その花を見つめていた。
「……そうですか」
そして、同じ花を注文した。
その様子を見ていたブランとノワールは、顔を見合わせた。
「まだ、亡くなってはいないよな?」
「うん」
ノワールが頷く。
「でも、エドガーさんは何かを感じ取ったみたいだね」
ブランは、花屋を出ていくエドガーの背中を見つめた。
◇
数日後――。
その病院から、一人の患者が亡くなった。
エドガーは、医師や憲兵隊より先に駆けつけたわけではない。
死亡が確認され、家族が葬儀屋を探し始める頃には、エドガーはすでにその家族の前にいた。
葬儀では、あの時の季節外れの花が、参列者の手によって献花されていた。
少し離れたところで、その様子を見守るエドガーに、ブランが声をかけた。
「あなたは、あの花を注文した時点で、何かを感じていたんですね」
エドガーは、しばらく黙っていた。
やがて、静かに首を横に振った。
「いいえ。死ぬと、分かっていたわけではありません」
「では、何を?」
「……兆しです」
「兆し?」
「家族の表情。声の震え方。医師の言葉を聞くときの反応。病室に運び込まれる荷物。そして、患者本人の声なき感情」
エドガーは、献花された花を見つめた。
「人は、別れを覚悟し始めると、少しずつ変わります」
「それが分かる、と?」
ノワールが尋ねる。
「ただ、なんとなく伝わってくるんです」
エドガーは、苦笑しながら静かに答えた。
「声の調子。視線の動き。歩き方。手の動かし方。……本人が隠そうとしていることまで、気づいてしまう」
「それは……」
ノワールが言葉を探す。
「難儀な癖です」
エドガーは、淡々と言った。
「見なくてもいいものまで、見えてしまう。聞かなくてもいいものまで、聞こえてしまう」
ブランは、エドガーをじっと見つめた。
「だから、『死神』と呼ばれているのか」
「私が死を呼んでいるわけではありません」
エドガーは、静かに答えた。
「ただ、人が別れを覚悟していく姿を、他の人より少し早く気づいてしまうだけです」
その言葉に、二人は何も返せなかった。
エドガーにとって、それは才能ではない。
長年、付き合い続けてきた――難儀な癖だった。
「だったら」
ブランの声が、静かに、鋭くなった。
「止められる死も、あるんじゃないのか?」
重い沈黙が、落ちた。
エドガーは、まっすぐに、ブランを、見つめ返した。
「なぜ、止める必要が、あるんですか?」
「なに?」
「私は、見送るのが、仕事です。終わりの景色を美しく彩り、残された者たちを慰める。それで、報酬を、いただいている。……死を、止めることは、私の、役割ではありません」
その言葉には、迷いも、動揺も、なかった。
「医者には、医者の、仕事がある。私には、私の、仕事がある。それだけのことです」
ロペス兄弟は、それ以上何も聞けなかった。
◇
調査結果を聞いたヴィクトルは、しばらく、複雑な表情を、浮かべていた。
「天賦の才、ってやつなんだろうな」
「ああ」
「だが……もったいない、とも、思っちまうな」
ヴィクトルが、ぽつりと、呟いた。
「そこまで、敏感に、人の機微が、分かるなら……もっと、他に、活かせる道が、あったんじゃないか、って」
ブランもノワールも、その言葉に、すぐには、答えられなかった。
それきり、ヴィクトルは、珈琲を飲み干し、何も言わずに、席を立った。
◇
数日後、王都に出回った記事には、これまでとは違う、静かな筆致で、こう記されていた。
『死神、と呼ばれた男がいた。
彼は、ただ、人一倍、他人の心の機微に、敏感なだけだった。
誰かが、別れを覚悟する、その瞬間の、微かな兆しを、彼だけが、見逃さなかった。
人の死に、慣れることと、心をなくすことは、違う。
弔う者がいるからこそ、残された家族は、ようやく涙を流せる。
誰かを癒すということは、救うことだけではない。
ときには、もう戻れない場所へ旅立つ者を、静かに見送ることもまた、救いなのかもしれない。
レスト・イン・ピース――ブラザーズ・ロペス』
事務所に戻ったノワールが、静かに、呟いた。
「エドガーさんは、優しい人だね」
「ああ」
ブランが、短く、答える。
「でも、あの生き方は、俺には、真似できないな」
「どうして?」
「見えてしまったものを、割り切るっていうのは……多分、俺には、一番、難しいことだ」
ノワールは、何も言わず、ただ、静かに、頷いた。
王都の空には、いつも通り、穏やかな夕暮れが、広がっていた。




