第十八話 オカルトに勝る狂気
「心霊スポットの真実を、世に出してください!」
インク・オブ・トゥルース社に押しかけてきたのは、オカルト愛好家の団体「ミステリウム研究会」の面々だった。
会長のエドモン・ヴィエル、副会長のクロエ・マルタン、そして記録係のジュール・レミーの三人が、興奮気味に説明を始める。
「王都近郊に、心霊現象で有名な集落があるんです。呪われた村だと噂されていて!」
ブランは、正直、興味がなかった。
「うちは、オカルトは専門外だ」
軽くあしらおうとした、その時。
「場所は、ラメント村で……」
エドモンの一言に、事務所の空気が、わずかに変わった。
ノワールが、ふと顔を上げる。ブランも、しばらく無言のまま、その名を反芻していた。
「……詳しく、聞かせてくれ」
◇
木でできたアーチ型の入口には『ヴィレッジ・イン・ラメント』と書かれている。
「嘆きの村ね……」
ロペス兄弟は、ミステリウム研究会の三人を伴い、ラメント村へと向かった。
村の入口に近づくと、一人の農夫らしき男が、鍬を手に立ちはだかった。
「出て行け! ここは、よそ者が来る場所じゃねえ!」
普通なら、それで踵を返すところだろう。オカルト研究会の三人も、怯えた様子で後ずさりした。
だが、ブランだけは、じっとその男を観察していた。
(靴に、泥がついていない)
(爪も、綺麗すぎる)
(鍬は……新品だ)
農作業をしている人間の身なりでは、決してない。
「農夫の格好を、しているだけだな」
ブランが、小声でノワールに囁いた。
「あの農夫、東部訛りがある。なのに、あそこで僕らを見ながら小声で話している人たち、彼らは北部特有のイントネーションがある」
ノワールは視線を悟られないよう、ブランに合図しながら小声で伝えた。
◇
ひとまず村を離れ、ロペス兄弟は王都の登記所に向かった。
「王国交渉人として、この山林一帯の登記を確認したい」
「……確かに、この土地、最近になって売りに出されていますね」
登記官が、書類をめくりながら答える。
「つまり――」
ブランが、目を細めた。
「合法的な手続きさえ踏めば、誰でも、あの村に足を踏み入れられる、ということか」
村を守っていたのは、呪いでも祟りでもない。ただの、『よそ者を追い返す芝居』だった。
◇
翌日、ロペス兄弟は、再びラメント村を訪れた。
だが、昨日出てきた農夫の姿は、どこにもなかった。
それどころか、村には人の気配がまったくない。
代わりに、畑や庭先には、無数の案山子が、ぽつんぽつんと立っていた。
「や、やっぱり呪われてる……!」
エドモンが震えて叫んだ。
「村人が全員案山子に……」
クロエが、震える声で呟く。
ジュールが、震える手で、カメラのシャッターを切り続けていた。
「違う、よく見ろ。案山子の着ている服は、全員子供服だ」
ブランが、静かに、はっきりと否定した。
だが、その声は、いつもより硬かった。
「確かに、大人が着るには全部小さいね」
ノワールが案山子の着た洋服の前後を確認する。
ブランは、案山子の一体ずつ確認していく。そして、一体の案山子の前で、足を止めた。
着せられているのは、色褪せた、子供用のシャツだった。肩のあたりに、不揃いな縫い目で当てられた、継ぎ当て。
その継ぎ当ての形に、ブランは見覚えがあった。
(嘘だろ……これは)
幼い頃、自分が着ていたシャツだった。母が、袖と肩を、自分の手で継ぎ足してくれた。あの、不格好な継ぎ当て。
ブランの手が、震える。
案山子に近づき、震える指で、その継ぎ当てに触れた。
「兄さん……?」
ノワールが、異変に気づいて声をかける。
しかし、ブランはしばらく答えなかった。
「この服、覚えているか?」
声が、掠れていた。
「……」
ノワールの表情が、凍りついた。
「……これ、まさか」
「この継ぎ当てを、覚えてる」
ブランは、案山子の服から、目を離せずにいた。
「母さんが、俺のお下がりを縫い直したものだ」
「そんな……十年以上前の服がなぜラメント村に?」
オカルト研究会の三人は、事情が分からないまま、ただ、二人の様子を、固唾を呑んで見守っていた。
ノワールは、他の案山子にも、目を走らせた。
それぞれに、違う子供服が着せられている。サイズも、年頃も、まちまちだった。
「……この村にあった案山子、全部」
ノワールの声が、震えを帯びる。
「調べる必要があるってことだ、おいジュール!案山子の服の写真を取れ……全部だ!」
ブランは、静かに言った。ただ、拳を、強く握りしめていた。
「は、はい!」
ブランの気迫にミステリウム研究会は従うしかなかった。
◇
家々の中には、確かに、生活の痕跡があった。食器、寝具、衣類――一見すると、つい先ほどまで人が暮らしていたかのようだった。
だが、ブランは、一つ一つを丹念に検分していった。
「郵便物や個人情報が、どこにもない」
「家畜小屋は、あるのに、家畜の形跡がない」
「畑には、作物の跡すら、ほとんどない」
「これは……」
ノワールが、眉をひそめる。
「生活しているように、見せかけていただけ、ということ?」
村の裏手に回ると、そこには、慌てて何かを引き抜いた跡のある、荒れた畑があった。
土の中に、いくつかの葉が、取り残されている。
ブランは、その葉を一枚、手に取った。
「……ケシだ」
ブランの目つきが険しくなった。
「この集落は、農村じゃない」
ブランが、静かに結論を口にした。
「薬物栽培だけのために存在する、偽装の村だ」
「村人たちも……本当の住民じゃなかった、ということ?」
ノワールの問いに、ブランは頷いた。
「この村自体が組織だった可能性もある……この村は、薬物を作るためだけの場所じゃない。……ここに、行方不明になった子供たちが、いたんだ」
ノワールの視線が、案山子の列に戻る。
「あの案山子は、その痕跡を隠すための、目眩ましだった、ということ?」
ブランの声が、抑えきれない怒りを滲ませる。
「あるいは……もう、その子たちが、ここにはいない、という意味かもしれない」
ブランが、静かに、しかし重く言葉を継いだ。
「案山子が現世との最後の繋がり……」
ノワールは拳を握り、案山子の着た服を見つめた。
「村人は一晩で消えた訳じゃない」
ブランが、荒れた村を見渡しながら呟いた。
「最初から、逃げる準備が、できていた」
ブランが、静かに続けた。
「山林を、売りに出した時点で――この集落は、最初から、捨てられる予定だったんだ」
ブランは、手にしたままの、あの継ぎ当てのシャツを、そっと胸に抱いた。
「この村に、アイツがいたのかもしれない」
「兄さん……」
「証拠は、何もない。俺たちの話も仮説に過ぎない」
二人の脳裏に、これまで追いかけてきた、ある大きな出来事がよぎった。
巧妙に姿を隠し、証拠を残さない手口――。
二人が最も憎み、そして最も恐れている、わずかな手がかり、そのものだった。
「この村は……繋がっていた」
ブランの声に、これまでにない、確信の色が滲んでいた。
「この村も、関係してた可能性がある」
ノワールは、何も言わず、ただ、痛みを堪えるように、拳を握りしめた。
ふと、ブランの脳裏に、幼い頃の記憶が過った。
『この金の卵を食べれば、どんな病気でも治る』
あの日の詐欺師の言葉と、目の前の光景が、静かに重なっていく。
「……もしかしたら」
ブランは、それ以上、言葉にしなかった。
だが、その沈黙だけで、ノワールにも、彼が何に気づいたのかが、伝わっていた。
「とにかく、案山子が着ていた洋服の持ち主の情報を追うぞ」
「追うぞって……洋服に名前や住所が書いてあるわけじゃ……」
ノワールは、一瞬だけ目を見開いた。
「……僕たちはインク・オブ・トゥルース社だ」
◇
数日後、王都に出回った彼らの本には、こう記されていた。
『呪われた村、と噂されたラメント村。
我々とミステリウム研究会が訪れた時に確かに村人は存在していた。しかし、翌日訪れると村人は一人残らず消えていた。この案山子たちを残して……。
この案山子が着ている衣服に見覚えのある方は、 インク・オブ・トゥルース社までご連絡いただきたい。
我々は、この衣服の持ち主を探し続ける。ブラザーズ・ロペス』
そう記された本には、何十体となる洋服にピントを合わせた案山子の写真が掲載された。
◇
事務所に戻ったミステリウム研究会の三人は、複雑な表情を浮かべていた。
「インク・オブ・トゥルース社は、真実しか書かないと思っていました」
エドモンが、少し肩を落として言う。
「ラメント村の住人は犯罪組織って言ってたじゃないですか!」
クロエが、ヒステリーに声を上げて続けた。
「悪いが俺たちは真実を追うためなら何でもする」
ブランが冷ややかな目をして言った。
「それに嘘は一言も書いてないよ。君たちと同じ追及している途中なんだ」
ノワールはミステリウム研究会を諭すように言った。
「僕が撮った写真が役に立つ日が来るなんて」
ジュールが、撮影したフィルムを大切そうに抱えながら、頷いた。
三人は、事件の裏にあった本当の重さには気づかないまま、事務所をあとにした。
残されたブランとノワールの間に、しばらく、沈黙が流れた。
ブランは、机の上に置いた、あの継ぎ当てのシャツを、じっと見つめていた。
「兄さん」
ノワールが、静かに声をかける。
「追いかけよう」
ブランは、黙って頷いた。その時に、シャツの継ぎ目を、指先で、そっとなぞる仕草はノワールも気づかなかった。
窓の外には、王都の夜が、静かに広がっていた。
その夜の闇の中に、まだ、見つからない誰かがいる。
二人は、そのことを、決して忘れたことはなかった。




